第2話 幽閉塔は薔薇苑でした

 瞼を通して、強烈な光を感じる。

 眩しさに薄く目を開けば、抜けるような蒼が広がっていた。

(そ ら  空? )[なんだ ここ ]

 蒼天の煌めく空の下。

 石畳に張りついたユーリカが、汗まみれで横たわっていた。

 顔だけ動かして右を見れば、三歩ほど先に景色を遮る石壁が見える。そのまま左を見ても、同じくらいの距離をあけて石壁がある。

 痛む首を起こして足元を窺うと、錆の浮いた重厚な鉄扉が閉まっていた。

(ここは、どこ? )[どうなって…]

 動くたびに、身体のあちこちが痛い。いや、動かさなくとも痛みに苛まれる。

 おまけに朦朧とする頭に、異質で奇妙な声がする。

 まるで、自分がふたり居るような。。

 息を詰めてゆっくりと上体を起こせば、石壁で囲まれた細長い場所にいた。

 鉄扉の反対側も高い石壁で、その向こうに崩れかけた塔の上部が見えた。

 どこかの野外の牢獄に、閉じ込められた気がする。

 ツキリと、頭が痛んだ。

 幼馴染だった第一王女アルカネットの、嘲るような笑みを思い出す。

 ユーリカの婚約者、アレン・サントリナ公爵子息の蔑む視線が、あまりに酷薄で信じられない。

(なぜ、わたくしを裏切ったのですか)[あの野郎、すかしやがって]

 理由が分からず、悲しみだけがこみ上げる一方で、今まで感じた事のない荒々しい言葉と感情が身内を駆け巡る。

 異なる意識に、これは幻聴だろうかと心細くなった。

 強い日差しに汗が滴り、顔がひりついて物思いから覚める。

 喉もひりついて、堪らず壁際の日陰へ這いずった。

 途中で咳き込んだ拍子に胸が痛み、点々と血が落ちる。

 傾く日差しの中、辿り着いた壁を背にして、ユーリカは痛む身体を抱え込む。

 濃い影は、ユーリカに僅かな涼を与えてくれた。

(ここは、どこかしら)[最悪だ]

 改めて見回せば、違和感に浅い呼吸が止まった。

 何かが、おかしい。ふと、鉄扉の上に目が行く。

「あれは  」

 そう遠くない山脈の中腹に、小さく王城が見えた。

 方角から考えれば、おぞましい場所を思いつく。

「まさか ここ」[嘘 だろ? ]

 振り返った突き当たりの石壁の上には、さっき見た塔が聳えている。

 記憶をさらって、細かな部分を当てはめた。

(…幽閉塔!  あれ? )[床の影が…]

 引っかかる違和感に、ユーリカは痛む首を傾げる。

 背中を預けた石壁には、濃い影ができていた。だが、突き当たりの床には影がない。

(ここは、通路なの? )[鈍いな こいつ]

 無理矢理立ち上がるのに、押し殺した悲鳴が漏れる。

(痛い…)[いってぇ あいつら、思い切り蹴りやがって ]

 途切れそうな意識をかき集めたユーリカは、身体の痛みと、さっきから聞こえる幻聴に顔を顰めた。

 ともすれば崩れそうな膝を叱咤して、影の中を石壁に縋って歩く。

 やっとの思いで辿り着けば、扉の幅くらい壁が途切れていた。

 ほんの一歩踏み込んで、突然開けた庭園に呆然となる。

 そこには巨大な塔を中心に、同心円を描いて広がる薔薇苑だった。

「え? 」[ここは? ]

 庭へ入る前に見上げた砦は、崩れ果てて恐ろしいほどの威容を湛えていたが、いま見ているのは、明るい石組みの真新しい塔だ。

 硬い連続音に振り向けば、通り抜けた通路が塞がって、壁になりつつあった。

「ここって 本当に 廃棄離宮の 幽閉塔? 」[…違うだろ]

 幽閉塔は、リンデン王国建国の際、王族に呪いを掛けた魔女が封印された離宮の塔だ。

 今では表沙汰にできない罪で裁いた、貴族の処刑地でもある。

 反逆を企てた貴族や、召し上げた人質を密かに葬るには、一番都合の良い場所だった。

 小高い中腹に建つ王城から、いつでも見る事のできる幽閉塔は、支配者への服従と忠誠を強要し、威圧するのに最適な象徴だった。

(でも、こんなの おかしい)[それは、そうだ]

 過去に王城から見た幽閉塔は、恐ろしいくらい荒れ果てていた。

 幼馴染であり、仕える主人でもあった第一王女と遠眼鏡で覗いた塔は、瓦礫に等しい廃棄離宮の中で、崩れかけた砦のように見えた。

 黒々とした高い壁に囲まれた、亡霊のような廃墟だったはず。。

 吹きぬける風に、馥郁ふくいくたる薔薇特有の香りが運ばれてきた。

 濃密で、身体の芯まで癒される。

 暫し瞑目していたユーリカは、軽くなった身体に目を見開いた。

 気のせいではなく、傷が癒えていた。

 殴られて酷い痣になった腕が、元の滑らかな肌に戻って、破れた袖から覗く。

 蹴られた腹部の痛みも、引いていた。

「ここは、幽閉塔ではないの? どうして こんな」[…… ]

 なぜだか、包まれるような安心感に、深いため息が出た。

 見回す薔薇苑が輝いて見え、お伽話の精霊を思った。ふと、誘うように開いている塔の扉が目に入る。

 ユーリカは夢の中を彷徨うように、足を踏み出した。

 大輪の薔薇からは、心を蕩けさせる香りがする。

 大きく吸い込むたびに心地よく、意識が明晰になり、痛みが引いていった。

 活力が、希望が、湧き上がる。

 緩やかな半円を描く階段を登り、僅かに開いた両開きの扉から中を覗き込む。

「ふぁぁ」[はぁ? ]

 あるはずのない景色。言い換えれば、異様なもの。。

 覗き込んだ円筒形の巨塔の内部は、整然とした果樹園を呈していた。

 どこまでも広い木々の林。根元を覆う草花や雑木は、すべて実をつけている。

 石積みの輪郭を残した壁が、外の薔薇苑を見渡せるほど透けていた。

 天井が、遥かに高い。

 果樹の間を進めば、幾つもの巣箱に蜜蜂が集まっている。

 四季それぞれの果樹が、たわわに実っていた。

(ふしぎ…)[ありえない。どうして違う季節の果物が、実っている? ]

 一足ごとに見上げながら歩いて行くと、円形の広場に行き着いた。その中心には、遥かな高みに向けて硝子の螺旋階段が設置されていた。

 地下へ降る階段と、上に続く階段。

 迷った末に、ユーリカは登る段に足を掛ける。

 天井へ近づくに従って、色づく果実が足元に広がった。

 透ける壁に沿って巡る花壇には、薬草らしき緑も見える。

(  ? )[計算し尽くされた、植生の分布か? ]

 公爵令嬢のユーリカでは知り得ない知識に、ふっと意識がブレた。

 二重に存在するような、違和感。

「ここは  どこ? わたくしは  誰」

 込み上げる不安で、思わず足が止まる。

(気持ち悪い)[…夢なのか? ]

 何かに取り憑かれたような悪寒がした。

(わたくしは、ユーリカ。公爵家令嬢の、ユーリカ・フェンネル。わたくしは、他の誰でもない。ユーリカよ)[… ]

 違和感を押さえながら登った上の階には、黄金色の穀物と様々な野菜が、透ける壁から差し込んだ夕日に照らされていた。

 更に登った上の階は倉庫のようで、この階の壁は透けていなかった。

 幾つかの部屋には、穀物や加工食品、衣服やリネンを納めた棚もあった。

 まるで、人の営みに必要な物を、詰め込んだ巨塔。

 あまりに不可解で不自然で、都合の良すぎる展開に、身の内ではしゃぐ、もうひとりの自分がいる。

 ユーリカの内で目覚めた別の人格が、物珍しさに興奮していた。

 引きずられそうになる思考を気にしてはいけないと、冷静な自分がたしなめる。

 次に上り詰めた最上階らしき廊下で、ユーリカは立ち尽くした。

(ここには、誰かが いる? )[なんか、出てきそうだ。やべぇ]

 下の階と同じに、硝子の螺旋階段の周りには廊下が巡っていた。

 左手には、幾つかの別の廊下と扉。

 右手には両開きの扉があり、薄く開いていた。

 誘っている。もしくは導かれているのか。

 もうひとりの自分が、早く行こうと急き立てた。

(誰かがいるなら、きっとあの部屋だわ)[早く動けよ…勘弁してくれ…]

 ここにいても不安は晴れない。

 理不尽なほど整った場所の意味を知りたいならば、行くしかない。気がした。

(行きましょう)[行こう]

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