#26 7月1日

「やっほー太陽くん。最近夜宵といい感じらしいじゃない」


 放課後の喧騒に包まれた教室内で、水零は俺の机に近づきながら、そう話しかけてきた。


「一緒にお洋服買いにいったり、オフ会に行ったり、随分お楽しみって聞いたわよ」


 俺はその話を水零にはしてないので、情報源は夜宵だろう。

 俺の机に手をつきながら、水零のダル絡みは続く。


「ずるいなー太陽くんは。私が夜宵を遊びに誘った時なんて毎回断られてたのに。一体どんな弱みを握って夜宵に言うこと聞かせたのかしら?」

「人聞きが悪いことを言わない! キミはなにかね? 俺と夜宵が仲良くなるのがそんなに面白くないのかね?」

「もっちろーん。最初に太陽くんが夜宵をお出かけに誘った時だって、私は猛反対したからね。太陽くんは狼さんだから駄目よって。上半身が下半身と直結してる性欲モンスターなのよって」

「風評被害をばら蒔くのは止めなさい。それと上半身が下半身と直結してるのは至って普通の人体構造だからね」


 そうやって意地悪く笑う水零に俺は当てつけがましく言ってやる。


「全く不思議なこともあるもんだな。そんなに反対してるのに、夜宵に服を貸してくれたりするんだから」

「あっ」


 それを忘れてたという様子で間の抜けた顔を見せる彼女。

 普段は俺をからかうのが生き甲斐みたいなところはあるが、根はいい奴なんだよなこいつ。

 どうせ俺と出掛けるのを猛反対したなんてのも嘘だろう。


「ありがとな、夜宵のこと色々サポートしてくれたんだろ」


 素直に礼を言うと、それに面食らったのか水零は拗ねたように口を尖らせた。


「感謝の気持ちがあるなら行動で示して欲しいわね」

「一体何をご所望ですか、お嬢様」


 そう聞き返すと、水零は自分の唇を人差し指でトントンと叩く。


「ご褒美のチューならいつでも歓迎よ」


 ざわっ、と教室内の空気が変わった。

 学校一の美少女と噂され、男女問わず人気の高い星河水零の口から、キスして欲しいなどという問題発言が飛び出したのだ。

 クラスのみんなが俺達の一挙手一投足を固唾を呑んで見守ってるのが空気でわかる。

 くそー、相変わらずの小悪魔っ子めえ。

 他の相手には品行方正な優等生で通ってるのに、俺のことはありとあらゆる手段で弄んでくるんだよなコイツ。


「ここは教室内だからな、いかがわしい冗談はせめて場所を選んでくれよ」

「えー、なになに? 太陽くん、いかがわしい想像したのー? 私は唇チューとは言ってないよ。おでこでもほっぺでも、別にいいんだけどなー」


 そこまで言うと、水零は机に座ったままの俺の耳に顔を近づけ、怪しく囁いてきた。


「私の体のどこでも好きなところに、キスしていいのよ?」


 こ、こいつはー!

 流石に今の発言の衝撃はでかかった。


「水零、ちょっと外に出ようか!」


 これ以上の爆弾発言は俺の身が持たない。

 今の水零の台詞がクラスメイトに聞こえていないことを祈りながら、俺は彼女を廊下に連れ出すのだった。


「えーっと、それでなんだっけ? 夜宵の話だな」


 教室を離れ、廊下の窓際まで移動したところで俺は話題を軌道修正する。


「夜宵のこと、流石にそろそろなんとかしないとマズイんじゃないか?」

「マズイって?」

「もう七月だぞ。もうすぐ一学期が終わるし、そろそろ学校に来ないと本当に留年しちまう」


 細かい日数までは知らないが、一年の三分の二以上出席することが進級の条件だと聞いた。

 今日は七月一日、一学期の終わりが近づいている。


「お前は夜宵に会う度に冗談交じりに学校に来ないかって言ってるけど、そろそろ本気で説得すべきなんじゃないか?」


 それは前々から思っていたことだ。何か手を打たないと本当に夜宵は留年してしまう。

 しかし水零は俺に対し、諭すように言い聞かせてきた。


「ねえ太陽くん。私は夜宵の親でも兄弟でもないの。友達とは言ったって、結局は他人なのよ?」

「だから相手の深い事情にまで踏み込めないって言うのか?」


 薄情にも聞こえる水零の言葉に俺は問い返す。

 彼女は寂し気に視線を床に落としながら吐き出した。


「嫌われたくないからね」


 あっ。


「ねえ、太陽くん。自分にできないことを人に押し付けないでよ」


 いつもと変わらぬ声音で、水零は俺を批難する。

 その言葉は俺の胸に深々と突き刺さった。

 俺は夜宵に魔法人形マドールを教えた師匠だ。

 だから俺の口から魔法人形マドールをやめて学校に来いなんて言えない。

 それはきっと夜宵のモチベーションを致命的に奪うことになる。

 それどころか、俺の本心は未だ魔法人形マドールに打ち込む夜宵を応援すべきか、やめさせるべきか迷っていた。

 そんな自分を棚に上げて、夜宵に説教するという嫌われ役を水零に押し付けようとしていたのか。

 水零に指摘されて俺はようやくそれに気付いた。


「ごめん。俺、最低だな」


 俺が謝ると、水零は瞼を閉じてひとつ頷く。


「夜宵に向けて、学校に行きなさいって叱るのは私達の役目じゃない。親とか先生とかがきっと何度も言い尽くしてるわ。私は夜宵と仲のいい友達でありたい。そしていつものように訊くの。そろそろ学校に来る気はない? って

 夜宵の気持ちが変わった時、真っ先にそれを聞かせてくれる親友でありたい」


 水零、お前はそんな風に考えていたのか。

 彼女は瞼を開き、真っ直ぐに俺を見つめる。


「太陽くんが行動を起こしたいって言うならめないわ。でもよく考えて?

 もし夜宵が学校に来るなら真っ先に頼れるのは、クラスメイトである私や太陽くんになる。私達が夜宵に嫌われたら、夜宵は例え学校に通うようになっても学校に来るのが苦痛のままなんじゃないかしら?」


 逆に俺や水零が下手なことせず今まで通り夜宵と仲良しでいれば、それは彼女が学校に来る動機になり得る。

 自然な形で夜宵の心変わりを待つのも、友人としての選択なのか。

 それが北風と太陽で言うところの、太陽のやり方。


「よくわかったよ。お前はそこまで考えていたんだな」

「そんなかっこいいものじゃないわ」


 水零は首を振って否定する。


「私は臆病なだけ。夜宵に嫌われたくないってね」


 それは年相応な子供らしい動機だと思った。

 水零は人差し指を一本立て、無邪気に笑って見せる。


「まっ、そういうわけなんで。夜宵の一番の親友の座は太陽くんには譲らないわよ。そして太陽くんの一番の親友の座も夜宵には譲らない」

「嫉妬の仕方が面倒くせえなお前は」


 その言葉に俺も苦笑を返さざる負えない。


「とりあえず俺は今日も夜宵の家に行ってみるわ。夕方だし、そろそろ起きてるだろ」

「うーん、相変わらず昼夜逆転生活がデフォルトになってるわねー」


 困り笑いを浮かべる水零に俺は補足を加える。


「まっ、昨夜は最終日だったしな」

「あーそっか、前に言ってたね。魔法人形マドールの世界ランキングは一か月を一シーズンとして区切って成績をつけてるって」


 そう。オンラインのランキング戦は勝ち越し数の多さで順位が決められ、シーズンが切り替われば最終成績の発表と共に順位はリセットされる。

 シーズン途中の順位は常に変動し続け、瞬間順位と呼ばれる。逆にシーズン終了時の成績は最終順位と呼ばれ、瞬間順位よりも価値があるとされている。

 夜宵の目標は一位をとること。瞬間でも最終でも一位をとったことはないらしいが、とにかくシーズン最終日は彼女にとっても大事な戦いだった筈だ。


「えーっと、今日が七月一日だから。昨日で六月シーズンは終わりってことなのね」

「そう。六月三十日の二十四時でシーズンは終了。その後は半日くらいサーバーメンテがあるからネット対戦はできなくなる」


 俺がそう答えると水零は顔を顰める。


「んっ、あれ? それって何時?」


 察しのいい水零は今の話の中で違和感に気付いたらしい。


魔法人形マドールのランキング戦は世界中の人が参加してるのよね。つまり月末の二十四時が締め切りとは言っても、それは日本時間の話じゃないわよね?」

「正解。シーズンが終わるのは世界協定時の二十四時。つまり日本時間で言うと七月一日の朝九時まで戦いは続く。

 日本人の魔法人形マドールガチ勢にとって最終日は徹夜を大前提とした戦いになるんだよ」


 なんせみんなが最終順位を上げる為にランキング戦に潜る。一か月で最もオン対戦が活発になるのが最終日だ。

 逆に最終日前にどれだけ高い順位にいても、最終日に潜らなければ周りに追い抜かれていく。

 光流や琥珀なんかは流石に徹夜してまで最終日の戦いには参加しないらしく、シーズン途中では百位以内にいても、最終順位はそれほど高くないらしい。


「それは、まともな生活ができないわけね」


 ようやく夜宵のやってる戦いがどういうものか理解したのだろう。水零は苦笑と共にそう吐き出した。


「だからまあ、朝まで戦ってお疲れの夜宵を労いに行くわけよ。お前も来るか?」


 俺がそう問うと、水零は何かを思い出したように口を開いた。


「いや、私は暫く夜宵の家には近づかないようにするわ。強い北風が近づいてるらしいからね」


 北風、というのは以前の北風と太陽になぞらえた例えだろう。

 しかし具体的に何を指してるのか、さっぱりわからん。


「ファンシーな比喩表現が好きなのはわかったから、日本語訳もセットでつけてくれないか?」

「夜宵のおばさまに聞いたんだけどね。単身赴任中だったおじさまがもうすぐ帰ってくるんだって」

「夜宵のお父さん?」

「うん、夜宵が今まで引きこもりを続けられたのも、おばさまが甘かったお陰でね。逆におじさまは凄い厳しい人らしいわ」


 それは確かに、強い北風が来て雷が落ちる場面には居合わせたくないな。

 そこで水零は話は終わったとばかりに踵を返した。


「じゃあねー太陽くん! 今度私にも魔法人形マドール教えてねー」

「そりゃ構わんけど、節度は守れよ。もしお前の成績が落ちたら責任感じるわ」


 こいつまで夜宵みたいになったら本気で困るぞ。


「だーいじょーぶ。あっ、でも流石の私も、太陽くんが私のこと誘惑して、朝から晩まで快楽の海に溺れさせられたら、勉強に集中できなくなっちゃうかもねー」


 不意打ち気味に俺の心臓をぶち抜くような台詞を残し、水零は教室へ戻っていく。

 あいつは全く、人をドキリとさせなきゃ気が済まんのか。気が済まないんだろうなあ。

 そこでスマホに振動を感じ、ポケットから取り出す。

 光流からのLINEメッセージが届いていた。


『お兄様、大変です!』


 緊急事態か! と身構えているとすぐに光流の投稿が続く。


『大変なんです! 大変エッチな絵が描けてしまいました!』


 はい?

 そこで光流が画像をアップする。

 四つん這いの女の子がこちらにお尻を向けている構図のアナログ絵だった。

 ラフ画段階なので裸に見えるが、きっとこのあと服を描いていくのだろう。


『このお尻のラインが絶妙な柔らかさの表現に成功してて、我ながら過去最高のエッチさを叩き出してると思います。

 あっ、ちなみにこの子は胸はあんまり大きくないのですが、この絵では四つん這いということもあって重力に従って大きく見えるだけなんです。というかこのおっぱいも自信作なんですよ。お椀型の素晴らしい美乳だと思いませんか?』


 どうやら、会心の絵が描けて興奮状態らしい。

 というか俺が学校でノンビリしてる間に、既に向こうは帰宅してお絵描きモードなのか。


 さて、全国のお兄ちゃんに質問です。

 妹が描いたエッチな絵を自信満々に送ってきて感想を求められたとき、どう答えるのが正解でしょう?

 男の立場から下手なこと言うとセクハラになるのに、女の子がおっぱいとかお尻とか言いたい放題なのズルいだろ。


『どうですお兄様。エッチぃですよね? 是非男性目線からのご感想をお願いします!』

『なあ光流ちゃん。お兄ちゃんにセクハラして楽しいかい?』

『えっ、それは勿論、最高に楽しいですよ』


 楽しいのか。これは大分重症だな。


『こういう時ヴァンピィさんだったら、この柔らかそうなお尻をがっしりと鷲掴みにしたいです、くらい欲望丸出しの感想を言ってくれるのに、お兄様ももうちょっと見習ってはいかがですか?』


 何を見習えというんだ何を。


『さあ、自分の性癖を曝け出して言葉にするのです! お尻とおっぱいをもみもみしたい、と』

『キミはそんなにお兄ちゃんに卑猥な単語を言わせたいのかい?』

『はい、お兄様が恥じらいながら卑語を口に出すところを想像するだけで最高に興奮しますから!』


 どうしようこのドS妹。

 俺の周りの女性陣はどうしてセクハラばっかりするんでしょうか?

 それにしても、こういうの珍しいな。

 今までは、たまごやきの正体が光流だって俺には教えてくれなかったし、こんな風にプライベートで絵を見せてくれることもなかった。

 俺はふと頭に浮かんだ疑問をメッセージにして送る。


『そういえばお前、学校の友達に絵を見せたりはしないのか?』

『えっ、見せてないですよ。恥ずかしいですし』


 まあこいつの描く絵は結構微エロよりだし、確かに見せ辛いか。


『あとオタク絵だとか馬鹿にされるの怖いですし』


 そうか。

 実際には光流の絵を馬鹿にする奴なんていないと思うけど、彼女が自分の絵に評価がつくことに臆病になるのはわかる。

 自分の作品が大事だからこそ。

 他人の感想は気になる反面、同時に怖くもあるのだ。


『ヴァンピィさんは私の絵を誉めてくれました。なんというか、上っ面の言葉でなく、性癖丸出しの素直な感想を毎回くれるのがとても嬉しいんです』


 うん、ネットの世界のヴァンピィさん、恥じらいとか無いもんな。おパンツ食べたいとか、平気で言っちゃうもんな。

 可愛い絵ですね、なんて無難な感想を呟くのも悪くはないだろう。

 ただヴァンピィくらいオーバーな表現で感想を伝えた方が描いた側としてもわかりやすく嬉しいのだろう。

 いや、もっと単純に光流と夜宵の嗜好が似通ってるからこそ、光流の描いた絵が夜宵の性癖にぶっ刺さっているのかもしれない。


『ネットの友達は学校の友達とは違いますね。私、ネットの世界でヴァンピィさんに会えて良かったと思います』


 光流の言いたいことは何となくわかる。

 もしリアルの友達に光流の絵を見せて、その相手がオタク絵を受け付けない人間だったら光流は傷つくことになるだろう。

 だが逆にツイッターに絵を上げる行為は、最初からオタク絵を好む人間が向こうからやってくるわけだ。

 そういう場所だからこそ、光流と夜宵は出会い、友達になれた。

 学校の友達とは違う。光流が遠慮なく自分の絵を見せられる相手。それはインターネットの世界だからこそ得られた関係だ。

 それは夜宵にとっても貴重な関係だろう。

 夜宵は一年の頃もクラスに友達がいなかったと水零から聞いた。

 だが学校という場では友達を作れなくても、違う形で出会うことができれば彼女も友達を作ることができるんだ。

 それをこの前のオフ会を通じて気付くことができた。

 夜宵だって友達を全く作れないわけじゃない。

 きっと前に進める可能性はある。そう思った。

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