#3 目指せ! 世界一!

 月詠の家に着くと、彼女の母親に出迎えられて中に通される。

 夜宵を呼んでくるから太陽くんはここで待ってて、と水零に言われ俺だけリビングで待つこと数分。

 次にドアが開いた時、水零に手を引かれて彼女は姿を現した。

 腰ほどまで伸ばした長い黒髪、頭の左側だけ黄色いシュシュで髪を束ねた少女。

 朝会った時のジャージ姿とは違う、赤い蝶ネクタイを結んだYシャツの上から紺のブレザーを着込み、赤いチェック柄のスカートを履いた制服姿。

 水零の格好とはセーターとブレザーという差異はあれど、間違いなくウチの学校の冬服姿だった。


「いや、なんで制服?」


 俺の第一声はそれだった。

 学校帰りの水零はともかく、引きこもりの彼女が何故自宅で制服姿なのか?

 その疑問に水零が苦笑混じりに答えてくれた。


「いやね。今日は男の子が来てるから、いつものジャージじゃなくてちゃんとした格好しなさいって言ったんだけど」

「ちゃんとした服なんて、制服くらいしかないし」


 ポツリと月詠がそうこぼす。

 引きこもり歴の長さゆえか、まともに着れる外行きの服が無いらしい。


「さっ、まずは座りましょう。お茶もお菓子もあるわよ」


 客の立場の筈の水零が月詠にそう促す。

 二人は俺の対面のソファーに腰かける。

 テーブルには先程、月詠の母親が用意してくれた緑茶がその熱さを主張するように湯気を上げていた。

 正面に座る月詠夜宵を見つめる。

 向こうも恐る恐るといった感じで俺の顔色を窺っていた。

 朝の一件のせいもあってか、まだ怖がられているのかもしれない。

 俺はコンビニのビニール袋に包まれた手土産をテーブルの上に置き、先に口を開く。


「今朝は本当にごめんなさい。これ、お見舞いの品です。受け取ってください」

「あっ、あの、はい」


 月詠がおっかなびっくりといった様子でビニールを手に取り、中身を取り出す。

 彼女の手に新発売のフルーツプリンが現れた。


「これ……」

「今朝買ってた奴、転んでグシャグシャになってたから、そのお詫びです」

「あ、あの、ありが、とう」


 彼女が見舞いのプリンを受け取ってくれたところで、俺は自己紹介がまだだったことを思い出す。


「初めまして。俺、日向太陽って言います」

「あっ」


 俺の自己紹介を受けて月詠も言葉を返そうとする。


「あっ、あの、あっ、えと、私、私のな、なま、名前」


 いや、めっちゃ緊張してるみたいだが。

 俺は助けを求めて水零をチラ見すると、彼女はマイペースにお茶を啜っていた。


「気にしないであげて、初対面の相手には大体こんな感じだから。この子、コミュ障なのよ」


 愛娘を見守るような暖かい視線で月詠を見つめながら、水零はそうフォローしてくれた。

 今朝話した時は泣いた後のせいだと思っていたが、この喋り方は元々なのか。

 とにかく月詠が言い切るのを待とう。


「私、月詠夜宵、です」

「うん、宜しく。月詠さん」


 まあクラスメイトなので名前自体は知っていたが、礼儀として自己紹介を聞き届けた上で俺は質問する。


「それで確認なんだけどさ、キミがヴァンピィさんなんだよね?」


 ツイッターのDMでも返事があったので、外堀は埋まってるようなものだが、念のため本人に聞いておく。

 月詠は戸惑った顔を見せた後、コクリと頷いた。

 そしてこちらを窺うように言葉を吐き出す。


「あの」


 うん。


「えっと、その、あの」


 うん。待つぞ俺は、彼女が言いたいことを言い切るまで。


「朝は、逃げちゃって、その、ごめんなさい」


 意外な言葉が飛び出した。

 まさか、彼女の側に謝る理由なんてないだろう。


「いやいや、どう考えても今朝のことは悪いのは俺だから。そりゃ、見知らぬ男に身元特定されたら怖いし、警戒するのは当然でしょ」

「そ、それは、そうだけど」


 そこで彼女は言い淀む。

 そして恐る恐ると言った様子で言葉を吐き出す。


「けど、ヒ、ヒナだってわかれば、だ、大丈夫だから」


 えーっと、それはつまり。

 今朝の段階では俺の正体がわからず身構えていたけれど、俺がツイッターで二年以上の付き合いのある信頼できる相手だとわかったから、警戒を解いてくれるという意味か。

 ならば俺ももう一歩踏み込んで良さそうだ。


「じゃあ、改めてお願いがあります。今後はネット上だけでなく、リアルでも友達として付き合ってくれますか、ヴァンピィさん」

「あっ、その、えっと」


 俺がそう問いかけると、彼女は戸惑ったように視線を逸らした。

 えっ? 駄目? まさかここで断られるの?

 月詠の視線が水零に向く。

 それに気付いた彼女は、楽しそうに言葉を吐き出した。


「リア友が増えるよ。やったね夜宵ちゃん」


 よしよし、水零。ナイスアシスト。お前に頼んだ甲斐があった。


「安心して、太陽くんなら大丈夫よ。出会い厨みたいな変な人じゃないから。何せ、私のような美少女に手を出さないくらいの草食系男子だからね。安心安全」


 おう。ちょーっと小馬鹿にされてる感じもするが、この際我慢するぞ。


 水零に背中を押された月詠さんは、俺の顔を見て、こくりと頷いた。


「わ、わかった。友達、おっけーです。あと、その、敬語はいいから」


 よーっし、よし、受け入れてもらえたぞ。

 うん、そうだな。ネットの世界だと敬語が癖になってるが、リアルでは同学年ってのももうわかったしな。


 しっかし、ネットのヴァンピィさんとは大分キャラが違うな。

 リアルだとコミュ障らしいし、ネット弁慶というのが近いかもしれない。


「そ、それと、えと、あの」


 今度は向こうから、話を切り出そうとしてくる。

 よし、頑張れ、待つからな。キミがどんなに喋るのが苦手でも、ちゃんと言い切るのを待つから。


「その、家で、あの、ハンドルネームはおかしい、から」


 ああ、呼び方の話か。

 そうだな本名で呼ぶべきだな。


「じゃあ、月詠さん、って呼び方でいい?」


 そう訊くと、彼女は戸惑った顔を見せる。


「えっ、えっと、あの」


 何を困っているのか、月詠は再び水零の方へ視線を向ける。

 それに気付くと、水零は俺に言葉を投げかけてきた。


「ねえねえ、太陽くん」

「おう、なんだよ水零」


 その返事を聞くと、彼女はクスリと微笑む。

 いや、人を呼んでおいて何、その反応は。何の用だったの?

 彼女は嬉しそうに俺の顔と自分の顔を交互に指さしながら月詠に話しかけた。


「私、名前、呼び捨て」


 それを聞いて月詠は目を丸くする。

 一体、何なのだろうかこのやり取りは?


「あの、あの、その、あれ」


 月詠は必死の様子で俺に何事かを伝えようとしてきた。

 よし、待つぞ。彼女が言い終わるまで待つからな。


「あの、私も、名前、呼び捨てで、いい」


 お、おう。よくわからんが水零に対抗意識が芽生えたらしい。


「じゃあ、夜宵、って呼ぶからな」


 初対面で呼び捨てにするのは多少抵抗があったものの、呼び方は決定した。

 水零と初めて会った時は、まだ子供だったからそんなこと気にしなかったんだけどな。


「で、その、貴方は」


 途切れ途切れに夜宵が言葉を吐き出す。

 今度は俺の呼び方の話だろうか。


「ひ、ひな、ひ、ひひひひなななななたたたたたく」

「よし、落ち着いて、落ち着こうな。大丈夫、誰もせかさないから」


 もはや俺の名前を最後まで言い切れないくらい緊張していた。

 そこでふと思いつく。


「じゃあさ、ヒナでいいぞ」


 日向くん、すら言い切れないなら、もっと短いあだ名にしてしまえば彼女の負担も減るだろう。

 ハンドルネームと同じ呼び方になってしまうけどな。

 俺の提案に、夜宵はコクリと頷いた。


「うん、ヒナ。宜しく」


 話が一段落ついたところで、水零が口を挟んできた。


「ところでさ、夜宵。いつも言ってることだけど、そろそろ学校に来る気はない?」


 まるで世間話でもするように軽い口調で、重要な話題を切り出してくる。

 俺は夜宵が何故不登校なのか理由を知らない。

 ひょっとしたら一年の頃、学校で嫌な目に遭ったとか、イジメを受けていたとか、重い背景があるのかもしれない。

 恐らくデリケートな話題だろうし、迂闊に口を挟んでいいものかどうか。


「やだ、行かない」と夜宵が即答。

「そっかー、仕方ないね」と水零は諦める。

「いや、軽っ!」


 重い話になると思った俺の覚悟を返せ。

 クスクスと笑いながら水零は俺に説明してくる。


「この子のお母さんから頼まれてるの。夜宵が学校に行けるよう説得してってね。

 だからまあ夜宵に会う度に今の質問をするのはノルマみたいなもんね。

 はい、今日のノルマしゅーりょー。説得しっぱーい」


 かっるー! 夜宵の不登校問題、目茶苦茶扱いが軽ーい!


「太陽くんも気になってると思うし、教えてあげたら? 不登校の理由」


 あっさりと水零はそう提案する。

 デリケートな話題かと身構えていたのに、そんな軽々しく話してくれるものなのか?

 夜宵は少し逡巡した顔を見せたが、すぐに席を立って行動に移した。


「理由は、これ」


 リビングにあったテレビをつける。

 そのテレビには俺もよく知るゲーム機が接続されていた。

 ゲーム機の電源が入り、テレビにゲーム画面が表示される。

 魔法人形マドール、魔法で動く人形を使役し戦わせるアクションゲームだ。

 このゲームには魔法人形マドールを戦わせながら冒険するストーリーモードと、他のプレイヤーと腕を競う対戦モードがある。

 夜宵は迷うことなくコントローラーを操作し、インターネットへ接続してオンライン状態になった。

 これで世界中のプレイヤーとネット対戦できるランキング戦に参加可能となる。

 だが注目すべきは画面に表示されていていた夜宵の成績だろう。

 プレイヤー名、ヴァンピィ。順位、十位。

 全世界のプレイヤーが参加するランキングで十位となれば紛うことなく強者である。


「やっぱ、ヴァンピィさんは強いな」


 二年間ツイッターで交流し、彼、いや彼女が常に高順位帯で戦ってる上位ランカーであることを知っていた俺としては改めて感嘆の息を吐くしかない。


「私、魔法人形マドールで一位をとりたいの」


 テレビ画面から目を離し、夜宵は俺達に向き直る。


「あの、い、今の一位が誰か、って、その、知ってる?」

「いやー、知ってるわけないし」と苦笑する水零。

「猫ルンバさんだな。この前、ツイッターで一位報告してた」俺はそう言葉を挟む。

「えっ、知ってるの!」と目を丸くする水零。


 まあこのゲームに詳しくない彼女が知らないのも無理はない。

 猫ルンバさんは魔法人形マドール界の強者の一人であり、愛猫家としても知られている。

 よくツイッターで飼い猫の画像をアップしていることでも有名だ。

 その猫は家にあるロボット掃除機のルンバがお気に入りのようで、ルンバをオモチャにしたり上に乗って眠ったりといった写真が目立つ。

 ハンドルネームの猫ルンバの由来は、まあ今更考えるまでもないだろう。


「ね、猫ルンバさんは社会人だから、平日の昼間は潜れない。そこに私が追いぬくチャンスがあるの」


 夜宵の言葉が熱を帯びる。

 緊張で舌が回っていなかったさっきまでとは一変し、興奮した様子で捲し立てる。


「誰かが会社で仕事してる時、誰かが学校で勉強してる時、引きこもりの私は魔法人形マドールに打ち込める。腕を磨いてその誰かを追い抜くことができる。

 誰よりも強くなる為に、自分の時間の全てを魔法人形マドールに使いたい。ランキングで一位をとる為に!」

「ヴァンピィさん」


 つい、ハンドルネームを呟いてしまう。

 ランキング上位を目指し、一切の妥協も甘えも許さず、鉄の意志で魔法人形マドールに打ち込む。

 その姿勢はネットの世界で良く知った、強者・ヴァンピィのイメージそのものだった。

 学校をサボるのはいけないとか、そんな一般論で説得できるほど、彼女の魔法人形マドールへの情熱は甘いものではない。

 きっと誰であっても、彼女の道を阻むことはできないだろう。

 それくらいの決意の固さを感じた。

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