CHAPTER17 2018年5月16日午後12時33分
「
蛍光灯の下、古いカトラリーを思わせる銀髪を好き勝手に輝かせながら、
「らいちゃん、メディアに事件の情報を発表したのはいつだい?」
旅行の日付でも尋ねるような口ぶりで、彼女は長机の向こう側に座る
それら全てに向けて苛立ちを空気に放出しながらも、綾子は感情の抑えられた声で応えた。
「捜査官二名への傷害事件が発生した後だ」
「犯人グループ六人が死にかけたときより前だろう?」
返答は肯定。それを目にして、智音は満足そうに頷く。
「芳賀沼。何か分かったのなら話せ」
あれこれと書き込まれたホワイトボードを背に、綾子は冷たく言ってのける。それは人の上に立つことが遺伝子レベルで刻み込まれているかのように、板についた態度だ。
「逆だったのさ」
「何がだ」
「そりゃ順序だよ」
対する智音は冷えた鋼のような声などお構いなしにニヤニヤと笑って宣う。彼女の言葉は正鵠を射ていたが、あまりに端的であるが故に彼女以外の人間にとってはただのいたずらにしか聞こえなかった。
その急先鋒である綾子が眉間の皺をさらに深める。たったそれだけの動作で胸ぐらを掴み上げるのと同じだけの迫力を醸し出したことは瞠目に値する特殊技能ではあるものの、智音にとってはただ眉間の皺が深まったこと以上の意味を持たなかった。
「……正確かつ詳細に説明しろ」
「神田だよ。神田」
ヒラヒラと捜査資料を揺らしながら、智音は子供の出すなぞなぞにでも答えるかのような調子でホワイトボードを指差す。
貼り付けられた顔写真の下に並んでいるのは、先ほど智音が読み上げた四つの苗字。全て長沼菖の血縁を調べた結果、リストアップされた苗字だ。
「長沼菖の母親の旧姓だな。それがどうした」
「気づかないかい? ――――ああ、君たちは潰えた夢には興味がなかったんだったか」
ニヤニヤと挑発するような光が琥珀色の双眸に浮かぶ。
無遠慮な視線をぶつけられた綾子の方はと言えば、無表情に、無感動に、その瞳を真っすぐに見返している。それは蛇を睨む鷹の如き瞳だ。
挑発に乗らないことは想定済みだったのだろう、骨と皮ばかりの手をヒラヒラと振って、智音はさっさと話を元に戻す。
「多分知ってるだろうが、神道由来の君にとっては専門外だろうから一応確認しておこう。異能というものは、人間が持って生まれるものじゃない」
「発言の意図が見えない。異能は人間が持って生まれるものだろう。変異性にしろ相伝性にしろ」
「その認識は誤りだって言ってるんだよ。いいかい、異能を持った人間が生まれるんじゃない。『異能を持ち得る』という定義を持つ人間の中に異能が生まれるんだ。つまり、
「能書きはいい」
と、綾子は智音の長広舌を遮った。明らかに不機嫌な顔は黙殺して、彼女は低い声で結論を促す。
「つまり何が言いたい」
「相伝性異能を受け継いでいくためには、正確に概念を受け継いでいく必要があるんだよ。概念の付与は簡単だが難しい。例えば化粧は古来から続く概念付与の一つだが、あれは落としてしまえば消えてしまうだろう? それでは代々積み重ねていく研究の授受には強度が不十分だ。強度が高く永続性のある概念付与として、一般に有名なのは人体加工さ。ほら、歴史の教科書で歯をフォーク状に削った人骨を見たことがあるだろう。アニミズムの例とか言ってね」
そこで智音は一呼吸置き、うんざりした顔をしている綾子の様子はまるで見えていないかのように話を続ける。
「だがこれは応用が利かない。歯を削って鋭くした人間に何の概念が付くかといえば、肉食獣との同一視程度だろう。当然、細分化され多様化した人間の欲望には到底追いつけない。――――そこで、賢くなった人間が目を付けたのが名前さ」
とっておきの秘密を伝える子供のような顔で、智音は核心に手を伸ばす。
「名前は強いよ。何せ生まれる前から死んだ後までついて回る究極のアイデンティティだ。概念付与としては最上級の強度と持続性だと言っていい。苗字なら更に一族全員に強制することができるんだ、相伝性異能を受け継いでいくのにうってつけだろう。だから、異能の一族は皆、自分たちの苗字に自分たちの目的を掲げるのさ。それは秘匿性を薄める行為だと理解しているのにね」
舌で唇を湿らせ、智音は続ける。
「では長沼菖の持つ定義とは、彼女が持って生まれた『器』とは何か? ヒントは神田だ。『カン』も『タ』もそう読む漢字は多いが、おそらくは『感他』に通じるんだろう。即ち他者の願いを感じ取る力さ」
そんなつもりは毛頭ないだろうが、智音はまるで綾子の振り撒く苛立ちに対抗するかのように全身から自信をまき散らしてニヤニヤと笑う。その様は、獲物を前に舌なめずりする肉食昆虫を思わせた。
「だが、それだけじゃ身体能力の向上に説明がつかない。故に長沼菖の異能には他者の思いを感じ取る機能だけでなく、自他が己に向けた願いを己の身に還元する力があると考えるのが妥当だ。つまり長沼菖が持つ異能とは、『他者が己へ向ける感情やイメージを受け取り、その通りに己を変質させる力』だと推測できる」
そこで一度言葉を切り、智音は天井を仰いだ。その僅かな間隙にも、綾子は部下を呼びつけて何事か指示を重ねている。
それを妨げるように、智音は天井へ向けて、まるで聖地の方角へ向けて祈りを捧げる敬虔な信徒のように言葉を紡ぐ。
「いいかい、長沼菖がその狂暴性を増していった最初のきっかけは、警官二人を殴ったことじゃない。警官二人を殴り、重傷を負わせた事実が報道されたことなんだよ。いくら横崎市が政令に指定された大都市だからって、多少暴力的なカツアゲ程度じゃマスコミの食指は動かない。だが、警官二人が殴られ重傷、って見出しには人目を惹くインパクトがある。事実、二日後には全国ニュースで報道されただろう? その報道は目にした人間に、大なり小なり犯人のイメージってやつを抱かせる。そうして不特定多数の人間の中で育まれたイメージが異能の力で彼女へと還元され、彼女を暴力的な強盗犯へと変質させる。完璧な悪循環の完成だよ。彼女が犯行を行う。それがメディアで報道される。それを見た人間が犯人に対して狂暴なイメージを描く。それを彼女の異能が回収し、更に彼女を狂暴にする。終わらない負の螺旋さ」
心底から楽しそうに、智音の双眸が弧を描く。
最高級のオーケストラに身を浸すかの如く恍惚と笑った彼女へ、次の瞬間には冷や水を浴びせかけられた。
綾子である。
「ありえん。途絶えた血にそれだけの強度があるものか。よしんば長沼菖の異能が貴様の言う通りだったとして、全国の人間から己へのイメージだけを収集するほどの感受性を発揮できるわけがない」
「
真正面から反論を叩きつけられた智音は、冷や水で濡れそぼった銀の髪を振り乱すようにして首を左右に振ってみせる。
「貴様が言ったことだろう」
眉をひそめた綾子を、痩せぎすの長身がせせら笑う。
「距離の長短なんてそもそも問題にならないだろう。他者が強盗犯に対してどう考えてるかなんて、SNSを覗けば嫌というほど目に入ってくるさ」
慌ただしい気配が満ちていく会議室の中、使い込まれたカトラリーを思わせる銀の髪は場違いなほどにキラキラと輝いていた。
「早く止めないと、それこそ浸食なんて目じゃないくらい狂暴で、それでいて狡猾な凶悪犯ができあがるだろうね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます