CHAPTER10 2018年4月25日午前0時29分

 後ろから肩を叩かれて、朝霞あさか祐一郎ゆういちろうは振り返った。

 時刻は深夜。最寄り駅の改札口に人気はない。ただ蛍光灯だけが煌々と、無人のフロアを照らしているだけだ。

 その中にあって、煉瓦色の髪だけが一際輝いていた。

「ようユーイチ。今日も遅いんだな」

祐一郎の後ろに立っていたのは、肉のない、けれど女性的なシルエットの長身だ。

「……あなたこそ、随分遅かったのですね」

どこか鋭い印象のある顔を歪めるようにして笑う神田かんだあやめに、祐一郎はそう切り返す。既に日付は更新された時間だ。アルバイトには遅すぎるという判断だった。

「あー」

と、彼女はごまかすように短く吐息を吐き出す。そうして、いたずらが露呈した犬のような顔をしてみせた。

「バイト先の先輩が奢ってくれたんだよ。だから飯食ってきたんだ」

言うが早いか、菖は電光石火でポケットからスマートフォンを取り出し、SNSの画面を祐一郎の眼前に突きつけた。

 液晶に表示されているのは誰かが投稿した写真だ。居酒屋のような場所で、男女数名がはしゃいでいる姿が映っている。その中に、見慣れた煉瓦色が映っていた。

「ほら、何人かで行ったんだよ」

濡れ衣を主張する被告人のような態度で、彼女はスマートフォンを突き出し続ける。そんな、明らかに己の顔色を疑っているような菖に面喰いながら、けれど祐一郎はいつものように感情の読めない口ぶりで同意を示した。

「そうでしたか」

「まーた敬語になってる。いつまで経っても慣れねぇな、お前は」

「これは失礼」

おどけるように謝罪を述べる祐一郎の態度は肩を竦めるだけでやり過ごし、菖は軽やかに歩く猫のように、長い脚を大きく動かして帰路を辿る。

 「ユーイチはいつも遅いよな」

住宅街に差し掛かった頃、菖はそう言って静寂を破った。

「警察ってのはブラックだな」

「普段は定時で帰ることも多いですが、最近は立て続けに事件が起きていますからね。残業続きです」

「連続強盗だっけ?」

「ご存じでしたか」

「テレビもネットもそればっかりだぜ? 暴力的で恐ろしい凶悪犯ってな」

興味なさそうに、菖は星のない夜空を見上げている。感情の読めない瞳は、祐一郎の心に蛇のイメージを想起させた。

「ええ。犯行の多くが夜、特に午後十時以降から深夜一時までの間。菖も遅くなる日は気を付けてくださいね」

虚空を見上げる猫を思わせる横顔に、彼は絹のような声を投げかける。届けられたそれに受領印を押す代わりに視線を向けた菖の顔には、ひどく微かに、けれど確かに、縋るような色があった。

「アタシは大丈夫だって」

「そうは限らないですよ」

「心配性かよ」

と、彼女は口の端を片方吊り上げた。

 そして喉の奥を鳴らすような笑いを一頻り住宅街の闇にばら撒いてから、菖はおつかいでも頼むような調子で、あっけらかんと呟いた。

「じゃあ、遅くなるときはお前が迎えに来てくれよ。確かあの駅通るだろ」

遊びの約束を取り付ける子供のような態度に反して、瞳には真剣な光が浮いている。

 それを見て取って、祐一郎は保育士のように微笑んだ。

「では、時間が合えば、そうしますよ」

「約束な。帰る前に連絡するから」

「返信がなければ諦めてくださいよ?」

生温くなった風を受け、夜空から滴ったような闇の中で翻る煉瓦色の髪を眺め、彼は眼鏡の奥で目を細める。

 どこか大人びた鋭さのある横顔に浮かぶ表情が、穏やかであることを理解していたから。

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