CHAPTER4  2018年3月23日午後5時36分

 芳賀沼はがぬま伊乃里いのりが捜査五課から与えられた情報を全て話し終えたとき、芳賀沼智音ともねは心底退屈そうに椅子ごとクルクル回っていた。遠心力に引っ張られ、使い込まれたカトラリーのような色の髪がぼさぼさと広がっている。

「……所長、真面目に聞いてください」

「その程度の依頼、真面目に聞くようなもんじゃないだろう」

伊乃里の諫言にもこの返答。琥珀色をした瞳でぼんやりと天井を見上げ、蜘蛛のような、胴体との比率を考えれば長すぎる手足をだらりと垂れ下げている。どこからどうみても、仕事中の人間の姿ではなかった。

「状況から考えて身体能力が向上していることは明白なんだ。ならそれだと考えるしかない。確かに、一口に身体能力の向上と言ったってパターンは多種多様にある。れいちゃんだって自己暗示による身体能力の向上を使っているだろう? 単純に筋力が人より強くなる異能の可能性もあるし、体が鉄のように硬くなる異能かもしれない。他にも体を動かす速度が上がる異能や念動力だってある。もしくは破壊という結果を引き寄せられるのかもしれない。あるいはそもそも変異性異能ではなく、何かを追い求める過程で肉体改造が行われた結果かもしれない。現状考えうる可能性はそれこそ無限大なんだ。見解を聞かせろと言われても、大量の可能性を羅列することくらいしかできないよ」

椅子と共にクルクル回りながら、智音は不満げな様子を隠そうともせずぼやく。

 その言い分を、楽しそうに笑いながら否定した少年がいた。所長たる智音のために用意された事務机の正面、ソファの上でくつろいでいた上留かみどめ美琴みことである。一本一本が最上級の絹糸のようなセミロングの黒髪をゆらゆらと踊らせて、彼はクスクスと笑う。まるで慌てる人間を眺めるいたずらな妖精のように。

「悪い癖が出ているよ、智音さん」

見る者の脳を蕩けさせるような声が質素な事務所の中に充満する。外見同様、性別の区別が難しい声だ。

「絞り込めているんだから、教えてあげればいいのに」

と、美琴は智音に向けて微笑む。それは神に愛されていても容易には届きそうもない美しさであり、同時に有無を言わさぬ迫力を内に秘めていた。

 それを真正面から向けられて、智音は狼のような琥珀色の瞳に落胆を浮かべた。

「所長?」

「分かったよ。うちのアドバイザーにそうまで言われちゃ仕方ない」

観念したのか、椅子をクルクル回す足を止め、智音はどこか骸骨を連想させる腕を事務机に乗せて話し出した。

「とはいえ、確実なことが何も言えないのは本当さ。これから言う全てはどれも推測の域を出ないから、そのつもりで」

と、もっともらしい前置きでしっかり予防線を張ってから、彼女は矢継ぎ早に言葉を放り出していく。

「まず、情報通りならこの異能は変異性異能だ。変異性異能っていうのは個人に突発的に目覚める一代限りの異能のことで、その反対が代々受け継がれていく相伝性異能になる。この相伝性異能を受け継ぐ家にとって異能の発現は過程であって目的じゃない。彼らが目指すのは異能を極めた先にある何らかの目標だからね。そのためには当然、自分たちの研究結果を守り、受け継いでいかなきゃいけないわけだ。その点から考えれば、既に途絶えた残りカスならまだしも、肉体改造の効果が生じるような世代がこんな軽々に自分の異能を晒すなんて考えられない愚行だ。だからこいつの異能は相伝性異能じゃない。背理法みたいなやり方だが、ここからつまり変異性異能だってことになる。話によれば、五課は石や武器の使用を否定しているんだろう? だったら肉体を変質させるタイプじゃない。一番簡単なのは単純に身体能力を向上させるタイプ。それが主作用か副作用かによっては危険度が変わるが、現状じゃ考えるだけ無駄だろう。後は――――あまり考えたくないが、念動力の類か。まあ後者だったら祈るしかないな」

テレビ番組のアナウンサーすら青ざめるほどの早口で話し終え、智音は色の悪い唇を閉ざした。

 膨大な量の情報の洪水を聞き手が処理し終えるまでの時間、事務所内に沈黙が渦を巻く。智音の机に置かれたモニターから流れ出す、警官二名が重傷を負ったことを報じるアナウンサーの流暢な声だけが室内の空気を揺らしていた。

 「……念動力だと、何か困ることがあるのですか?」

アナウンサーが別の事件の話を始めた頃、伊乃里がポツリと問うた。

「念動力ってのは、つまり己の思念を物理的なエネルギーに転換して――――ああいや、細かい話はいいか。要は他の異能と比べて至極単純な仕組みなんだよ。だからこそ拡張性が高く、応用が利く。そのせいで手に入れた者は喜んで様々なことに使おうとするんだが、大規模かつ多用途の異能は、それだけ脳の容量を使うからね。スプーンを曲げるくらいで満足すれば大した問題は起きないが、それ以上を望めば……まあ、人間ではいられないだろう。ポルターガイストってあるだろう? あれだって念動力を使い過ぎて己という概念そのものが念動力に移っちゃった奴の成れの果てだ、なんて話もあるくらいさ」

それまで通り水を得た魚の如く喋り散らした後、智音は光にかざされた琥珀のような両眼の輝きを少し弱めた。

「まあ、防犯カメラに殴った動作が映っていたなら念動力の可能性は低いだろう。先祖返りで変に強力な異能が目覚めた可能性もなくはないが、どっちにしろ犯人を絞り込んで名前やら家系やらを調べてみないことには推測の域を出ない。今回の犯人は変異性異能で、かつ身体能力の向上を行える異能。それ以上の話は、五課の捜査に進展があってからだね」

そう話を締めくくり、使い古されたマグカップからコーヒーをあおる。

 モニターで再生されるニュース番組は、既に最近話題のスイーツ店を紹介するコーナーに移っていた。

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