CHAPTER14 2018年9月22日午後6時0分

 屋上への扉を開けると、ひやりとした空気が伊乃里いのりの頬を撫でた。半袖では肌寒さすら覚える空気の中、金属製の階段を音高く上る。

 屋上の縁には、珍しく人影があった。

「珍しいですね、こと君」

秋の色が濃くなりつつある風に艶やかな黒髪を揺らすその人影に歩み寄る。

 夕陽の寵愛を一身に受けるかの如きその人影は、ぼんやりと線路を眺めていた。何をするでもなく、屋上の柵に上体を預ける姿すらまるで絵画のようで、伊乃里は二の句を飲み込んだ。

「涼しくなったからね。たまには良いかと思って」

美琴はそう微笑む。熟れた果実から滴り落ちたような陽光が、彼の頬を伝い、菩薩のそれにも似た微笑みに色を添える。それは絶世という言葉すら生温く、伊乃里はただ静かに同意するしかできなかった。

「確かに、気持ちがいいですね」

そうでしょう、と微笑みを深めた彼は、それっきり口を閉ざした。

 どこか遠くを見る美琴と、それを横目に立つ伊乃里。二人の間を冷えた風が吹き抜け、それぞれの髪を舞い上がらせる。

 「――――んじゃなくて、んだよ」

不意に、彼はそう呟いた。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、伊乃里は美琴へと目をやる。美琴と比べれば月と鼈ともいえるが、彼女とて一般的な基準では美人の部類である。そんな表情も、案外様になっていた。

 もっとも、美琴はそんなことにはまるで関心を示さず、ただ線路の向こうを見つめるばかりだったが。

 そのまま、彼は再び口を開く。

「飛ぶにも、墜ちるにも、中身が必要なんだ。空白はただそこに在るしかない」

その目は、この世の何処も見ていない。

 伊乃里はそう感じ、そして掛けるべき言葉も、伸ばすべき指も持たない自分にただ歯噛みした。

「――――それだけの話だよ、あれは」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る