第1話 皿の恐怖
「うぅ...いやなのだー...もう...もう...恐いお皿は嫌なのだーっ!」
......?
目が覚めると知らない天井が目に飛び込んできた。
何だか恐いお皿の夢を見た気がするのだが、内容がうまく思い出せないのだ。
うなされてたからか、汗もびっしょりかいてしまっている。
うーむ。
しかし、そもそも恐いお皿ってなんなんだろうか?
自分で言っておきながら全くもって意味不明である。
なんで自分はお皿なんかでこんなにうなされているんだろうか?
こんな珍妙な事を他で言うと『皿が恐いアホの娘』として絶対に馬鹿にされる。
過去にもそんな風にさんざんいじられた記憶があるので確実である。
なのでリムはそっと悪夢を見なかった事にした。
そう、リムは黒歴史や恥ずかしい出来事は封じ込めて忘れ去るタイプの女の子なのだ。
「それにしても此処はいったい何処なのだ?」
そう言えばおばちゃんのお手伝いをして......お皿を洗っていたはずなのだが。
--ハッ
そっ、そうなのだっ、朝日が昇り始めてやっと洗うお皿がなくなって、それでこの部屋に帰ってきたのだ。
疲れてベッドに倒れこんだところまでは覚えているのだが、そこから先の記憶がないのだ。状況からしてそのまま寝てしまったのだろうか。
--ぐぅぅ~
「お腹が減ったのだ......」
けど、リムの財布にはお金が無い。相変わらず空っぽで、空っぽだからゴハンが食べられないのだ。
「どうしよう」
冒険者ギルドではしばらく依頼が受けられないし、リムの方からおばちゃんにゴハンをねだるのも気が引ける。
おばちゃんならばきっと、頼めばタダでゴハンを食べさせてくれるだろう。
けれどタダでゴハンをもらうというのは何だか悪い気がしてしまって、リムにはどうしても出来ないのだ。
ゴハンを食べたら働かなければならない、これは紛れもない真理なのだ。
しかし、おばちゃんに手伝いを申し出るとだな、きっとまたお皿洗いになってしまうのだ。
昨日お皿洗いが終わった後、親父さんから『また頼む』と言われてしまったし、ちょこっと小心者なリムは『もう二度と嫌だ』とは口が裂けても言えなかった。
なのでこのまま此処でおばちゃんにゴハンをもらっていると、リムはお皿洗い専属になってしまうかもしれないのだ。
それだけは何とかして回避しなければならない。
ここでずっと皿洗いを続けるわけにはいかないのだ。
かといって現状、他に働き口があるわけでもないのだが......。
これは、どうしたら良いのだろうか。
うーむ。
--コンコン......
「んぅ?」
ゴハンについてどうするか悩んでいると、部屋の扉がノックされた。
一瞬『誰だろうか』と考えたのだが、すぐに声が聞こえて来て訪問者が判明する。
「起きてるかい?」
リムを助けてくれたゴハンのおばちゃんだ。
「う、うん。起きているのだ」
「じゃあ入るよ」
そう言うと、此方の返事を聞く前におばちゃんが扉を開けて中に入って来た。そしてその手には......。
「ほら、お腹が減ってると思ってゴハンを持ってきてやったよ、食べるだろう?」
「食べるのだ!!」
即答だった。
先程までの悩みが嘘のようにねリムは元気よく返事した。
その反応速度はまさに本能、リムは食欲の前では理性を失う女の子なのだ。
--はぐ
--はぐ
--はぐ
もっきゅもっきゅもっきゅ。
おばちゃんのゴハンはとっても美味しい。
このゴハンのためなら、最早皿洗いなんてどれだけでも出来そうな気持になってくる。
まぁ、実際また一晩中皿洗いをする事になればリムは絶対に後悔するのだが、今のリムは幸せなのでそんな事は考えられないのだ。
むしろここで皿洗いとして一生を過ごしても良いとさえ思えてしまう。
「良い食いっぷりだねぇ」
リムが口の中いっぱいに食べ物を頬張っていると、おばちゃんがニコニコしながら声をかけてきた。
無視するわけにはいかないので、リムは頬張った物を急いで飲み込んでから言葉を返す。勿論、満面の笑みも付け加えて。
「美味しいから仕方ないのだ」
そう、とってもとっても美味しいのだ。もう美味しいしか考えられないのだっ!
「そうかいそうかい、おかわりもあるからたんとお食べね」
「ホント!?」
「ああ、遠慮はいらないよ」
す、凄い。またお腹いっぱい食べられるのだ!
此処はなんて素晴らしい宿なのだ、リムは是非とも永住したい。
「それで、私はヘレンって言うんだが......あんたの名前はなんてんだい?」
今回もしっかりスープをおかわりして食事を隅々まで堪能した後、おばちゃんがリムの名前を聞いてきた。
そう言えばリムはまだ名前を名乗っていなかったのだ。
こんなに良くしてもらっておきながら名乗ってないなんてリムは失念していた、ここはしっかり名前を伝えなければ失礼なのだ。
「リムの名前はインベントリムなのだっ!」
「えぇっと...いんべ......?」
「リムで良いのだ!」
リムの名前は『インベントリム』と言うのだが、リムとしては長いし可愛く無いので『リム』と呼ばれる方が好きだった。
だからおばちゃんにも『リム』って呼んで欲しいのだ。
「そうかい? じゃあリムって呼ばせてもらうよ
私の事はヘレンおばちゃんとでも呼んどくれ」
「わかったのだっ!」
「それで、なんだってウチの前なんかに倒れていたんだい?」
「そ、それは......」
教えるのはちょっと恥ずかしいのだが、聞かれたならば答えねばならないのだ。
普通の人なら教えないのだぞ?
けれどヘレンおばちゃんに隠し事はしたくないのだ。
だからリムは封印を解くことにした。
そう、恩人の為ならリムは躊躇することなく黒歴史の封印を解くことが出来るのだ。
それで、リムはこれまでの経緯を身振り手振りも加えてヘレンおばちゃんに説明した。
やらなければならないことがあり旅立った事。
お金を殆ど持っておらず冒険者登録をして稼ごうとした事。
それで薬草採取の依頼を受けて出かけたのだけれど、お腹が空いて『薬草なら食べられるのでは?』と思って食べたらお腹を壊してしまった事。
そのせいで日帰りの依頼が二日もかかってしまい、しかもリムは毒草を集める才能に溢れていて依頼が失敗におわってしまった事。
「......それでだな、おなかが空き過ぎて倒れてしまったのだー...」
「なるほど大変だったんだねぇ......
それで、これからどうするんだい?」
「それがだな、ペナルティとやらで依頼が受けられなくてだな、リムにはもうどうしたら良いかわからないのだ......」
そう、これは紛うことなき詰みと言う状況......。
どの選択を選んでもそこに未来は存在せず、つまりこれは完全なるバッドエンド。
リムの冒険はここでバッドエンドに突入してしまったのだ。
......。
しかし、そんな絶望的な状況の最中、とてつもない奇跡がまき起こる。
なんとリムにヘレンおばちゃんによる復活の呪文がさく裂したのだ。
「だったらしばらく家に居るかい?」
「いっ、いいの!?」
「ああ、かまわないよ」
「おねがいしますなのだっ!」
こうしてリムのバッドエンドは回避され、再び冒険が始まった。
「そ、それで......リムは何をすれば良いのだ?」
そう、部屋を借りるには対価が必要なのだ。
「まっ、まさかっ...またお皿洗いを...?」
「お皿洗い? ああ昨日のかい?」
「う、うむ、流石に何もしないのはダメなのだ
で、でもだな、お皿洗いはだな...そのぅ」
--回避したい!
日が沈むと眠くなってしまうリムにとって、一晩中かかるお皿洗いだけは全力で回避したいのだ。
だが、ちょこっと小心者のリムの口からは『嫌だ』と言う単語はひねり出せなかった。『そのぅ』までが限界だったのだ。
しかもその言葉に勢いはなく、床にべちゃって落ちるような感じのやつだ。
「ふふふ、実はあれね、ウチの旦那が勘違いしてたみたいでね」
「.....ふへっ?」
「実はリムちゃんの事を新しい従業員だと思ってたみたいなのよ
本当は仕込みに使ったお鍋と洗い残しの食器だけ洗ってもらうつもりだったんだけど、悪いことしちゃったわね」
「そっ、そうなのかっ!?」
ど、どうりで、10時間も休憩なしで皿洗いなんて、お手伝いにしては仕事がかなり重い内容だと思ったのだ。
「途中で気づいてあげられりゃ良かったんだけど、夜は旦那だけで酒場を切り盛りしてるもんだから、私が知ったのは朝になってからでね
それで、昨日のお手伝いにはちゃんとお給金を出そうって事になったのさ」
「おっ、おっ、お給金!?」
「まぁ、期待されるほどのお給金はだせないけどね......
ああ、それの代わりと言っちゃなんなんだけどね、昨日の話を旦那から聞いて、お皿洗い頑張ってくれたんだって?
だからこの部屋はしばらくタダで使ってくれてもかまわないよ」
「タダ!?」
「ああ、そもそも部屋が全部埋まる事なんてほとんど無いからね
まっ、リムちゃん一人くらいなら問題ないよ」
まっ、まぶしいっ。ニコッと微笑むヘレンおばちゃんが輝いて見えるのだっ!
し、しかし、いくらお手伝いの報酬でもタダっていうのは...ちょっと、その、気が引けてしまうのだ...。
そしてリムのちょこっと小心者スキルが此処にきて発動してしまった。
「ヘレンおばちゃん」
「ん? なんだい?」
「何かお手伝いできる事があったら何時でもリムに言うのだ!
お部屋のお礼なのだっ!! 何でもするのだっ!!!」
そう『何でも』である。
こんな時のリムは勢いに任せて『何でもする』って言ってしまう無防備な娘なのである。
幸い今回はヘレンおばちゃんだから良いものの、年頃の男の子なんかに言ってしまった時には大変な事になるところである。
「そうかい? そうだねぇ...
それじゃあ、お手伝いが必要な時は頼もうかねぇ」
「うんっ、任せるのだっ!」
こうして、リムは拠点を手に入れる事が出来たのだ。リムの心はウッキウキであった。
鼻歌交じりに早速部屋の掃除を始めてしまうくらいウッキウキだったのだ。
しかしそんなウキウキもそう長くは続かった。
何故ならリムは、ちょこっとだけトラブル体質なところも持ち合わせているからだ。
何もしていなくともトラブルを呼び寄せる。そして今、それはもうすぐそこまで迫っていた。
そんなズンズン近づいてくるトラブルの足音にも気づく素振りすら見せず。リムはまた、通り思いっきり厄介ごとを踏み抜くのであった。
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