第5話


 僕はもう一度ロザリオーのところに戻った。

 喧嘩別れみたいにして出ていった直後で少し、いやかなり気まずいけど、万が一の時に備えて、身体を固定できるもののある場所にいたほうがいい。

 ロザリオーのシートはその役目を充分に果たしてくれるはずだ。


「なにしに来たんですか」


 コクピットに近づくと、ファタさんの立体映像が現れた。

 腰に手を当てて僕を睨み下ろす。

 露出度の少ないセーターとスカート姿だったので、ほっとする。


 僕は事情を話した。


「……そういうことでしたら、仕方ありませんね」


 僕にシートを譲って、立体映像は計器の上に腰かける。


「あの。僕思ったんですけど、逃げるんじゃなくて、テロリストをやっつけるのはどうでしょうか?」

「は?」

「ロザリオーでCRUZをやっつけて、アル君をお母さんのところに帰してあげるんだ。そうしてくれるなら、ファタさんを家に帰す手伝いをしてもいいです」

「簡単に言ってくれますね。あなたCRUZのこと、山賊くらいに思ってませんか?」


 ファタさんに明らかに呆れた表情を浮かべていた。

 ……どうでもいいけど、わざわざ人間関係にしこり生みそうな表情、立体映像に取らせる必要ある?


「デモノマターがいまだ本拠地を突き止められず、後手に回っている意味を考えてください。個人で戦えるような相手じゃないですよ」

「…………」

「そもそも私は殺し合いが嫌だから逃げようとしてるんです。屍体の山の上でふんぞりかえるのがやりたいなら、1人でやってください」

「殺し合いが嫌って、壊れるから? ファタさんは機械なんだし、元通りに修理すればいいじゃないですか」

「あなたが機械修理に携わったことがないのはわかりましたよ。『テセウスの船』は御存知ですか?」

「御存知じゃないです」

「古い船の壊れた部分を別の新しい船のパーツと取り換えて、最終的にすっかり新しい船のパーツだけになったとします。その時、その船は古い船といえるでしょうか、それとも新しい船でしょうか? 新しい船というならどの時点で?」

「……テセウスの船の話は?」

「さっきの問いが『テセウスの船』なんですよ!」

「あ、やっぱり……。でもテセウスって出て来なかったじゃないですか」

「この話の元ネタになった船の持ち主がテセウスで――って、そこは別に重要じゃないんですよ!」

「すみません……」


 怒られた拍子に直前の話の内容が頭から飛んでいった。

 えっと、結局テセウスの船ってどんな話だったっけ。

 ああそうだ、古い船を新しい船と合体させて、えっと……。


「私が戦闘で破壊されて修理される。だけど私の本質は廃棄されたパーツにこそあって、私はこっちだって言ってるのに誰にも声は届かずに、私の姿をした『新しい私』が去っていくのを見送るしかない。そしてそのまま古い私は焼却処分にされる……そんな光景を想像して、それがとても怖い」


 テセウスの船について考えているうちに、ファタさんは次の話へいってしまった。

 答えを求めてないのなら訊かないでほしい。せっかく真面目に考えていたのに。ちょっと悲しくなる。


 そこで突然、輸送機が大きく揺れた。

 シートベルトはしていなかった。アームチェアに置いた手がずるっと滑って、座席から落っこちる。

 計器に頭をぶつけるのを覚悟したけれど、それより早くエアバッグが僕を受け止めてくれた。


「助かっ――」


 まだ助かってなかった。

 船体が大きく傾く。コクピットの左右にはエアバッグがついていないことを、僕は実演で知ることができた。

 設計者に会うことがあったら提案しておこう。全周囲にエアバッグをつけてください、と。


「なんだろう……乱気流にでも突っ込んだとか?」


 輸送機に乗り込むのはこれで3回目くらいだけど、今までこんなことはなかった。

 乱気流と言ったのは適当だ。エンジンの故障かもしれない。

 チェックしたのは僕だ。見落としは大いに考えられる。


「……念の為、セーフティ・バーを下げておきますね」


 ファタさんの声と同時に、ローラーコースターに乗る人がしてるような安全バーが降りてきた。

 アル君は大丈夫だろうか? 怪我してないといいけど。


「あの、やっぱ上げてもらえます? アル君の様子を見ておきたいんですけど」

「待ってくださいサレオスさん。輸送機が加速しています」

「加速……?」


 ファタさんの言葉を裏づけるように、貨物庫の天井や壁がみしみし言い出した。

 おんぼろエンジンの悲鳴が振動として腹に響く。

 なんだか胃が痛くなってきた。

 その時だ。


タレか!?」


 コンテナの入口から鋭い声が飛んできた。

 影法師は複数。銃を持っているのが見えた。


「動くな! 動くと撃つ! 両手を挙げろ!」


 1人がこっちに近づいてくる。他の連中は周囲を警戒するか、僕に銃口を向けるかだ。

 やがて、近づいてきた男の姿が計器の光に浮かび上がった。

 縦に細長い身体つきの、落ちくぼんだ眼窩がんかとこけた頬をした中年の男性だ。

 今度こそ幽霊じゃないのか――そう思わせる病んだ雰囲気が、彼にはあった。


「……何者だ」

「お、オルク・サレオスです。この輸送機の雑用係です。貨物庫のチェックとか、いろいろ」

「客の荷物の中身を覗くのも仕事か?」

「いえ、これは、たまたま……」

「降りろ」


 中年は顎をしゃくった。

 ファタさんが叫ぶ。


「いいえ、降りないで!」

「え?」

「掴まってください!」


 ロザリオーが、身震いした。


 コンテナの中で横倒しになっていた巨体が寝返りをうつように横を向き、銃を構えた連中からコクピットをかばうようにする。あの陰気な中年も転がり落ちていった。僕がその後を追わずにすんだのは、セーフティバーを下ろしたままにしていたおかげだ。

 コクピットのフタが閉まった。途端、今まで真っ暗だったコンテナ内が昼間のように明るくなる。


「キャノピー、ロック。外部カメラ、明度200%、オールグリーン」


 口早に呪文を唱えるファタさん。

 視界の端で火花が散った。男たちが発砲したのだ。


「お構いなく。人間が使うくらいの火器なら傷1つつきませんよ」


 その通りだった。何発もの拳銃弾が叩き込まれたけれど、コクピット内には音さえ響いてこない。


「自分たちで設計したのに、効かないってわからないんでしょうか」

「あの人たちって……?」

「CRUZの構成員です。乗客として乗り込んでいたんですよ」

「なんで今、ここに来たんだろう……? 着陸までまだ時間があるのに」

「さあ、そこまでは」


 身を起こそうとするロザリオーに押されて、コンテナがメキメキと軋みをあげる。


「待て!」


 さっきの中年、まだしがみついていた。

 病み疲れたような容貌に似合わぬバイタリティだ。


「イーサン・ハイロゥ中尉の名において命令する! ファタ、機体を停止しろ!」

「あなたの命令には従えません」

「は? どういうことだ……命令入力を受け付けない?」

「私に対してCRUZが強制的に命令を聞かせるプログラムは、削除させていただきました」

「そんなことが……? 誰の命令だ!?」

「私の自由意思です」

「AIが人類に反乱したなど、三文SFのような真似を!」

「戦争がしたければ御自身でやってください。私は付き合いきれません」


 ロザリオーがむずがる子供のように身を振る。

 イーサンとかいう中年は今度こそ床に振り落とされたが、すぐに立ち上がった。

 そして叫んだ。


「――乗客を殺すぞ!」

「!」


 ロザリオーが、止まった。


「今、この輸送機は我々が制圧している。貴様が脱走するというなら、人質の安全は保証しない!」

「人質……?」


 僕とファタさんがお喋りをしている間に、輸送機はCRUZにハイジャックされてしまっていたらしい。


「……私が。縁もゆかりもない乗客のために言いなりになると、何故思うのです?」


 文面こそ冷徹だけど、ファタさんの声には暖かな揺らぎが滲み出てしまっていた。

 彼女が戦場を嫌がるのは、傷つけられるのが怖かったってだけじゃない。それと同じくらい、傷つけることを怖れているのだと、僕は知った。

 彼女に乗客は見捨てられない。


「……なんでですか!?」


 黙りこくったファタさんに代わって、僕はテロリストに問いかける。


「デモノマターが来て、みんなよくなったんじゃなかったんですか? そりゃ悪いところもないわけじゃないけど、それでもあの人たちが来る前よりは確実に――」

「黙れ! 異星人の狗が! 人間の誇りを忘れた家畜め!」


 食いついた。

 このまま話を延ばして時間を稼げば、その間にファタさんがなにかいい方法を思いついてくれる、そう思いたい。


「なんですか、人間の誇りって」

「人間は、人類はこの地球の支配者だったのだ。それが今や異星人の家畜だ。むしろなぜ平気なんだ!?」

「だって酷いことされてないじゃないですか! 苛酷な労働を強いられてるとか、理不尽に殺されたりとか……」


 苛酷な労働はさせられてるけど、それは人間から受けた仕打ちだ。デモノマターからではない。


「……みんな心安けく生きていけてる。そうじゃないんですか!?」

「安らかにだと!? 私は、デモノマターがやってきたあの日から、悪夢しか見ていない!」

「えっ……」

「デモノマターの侵攻で、私の妻子は死んだ!」

「それって、あなたの私怨じゃないですか!?」

「おまえに愛する者を奪われた気持ちがわかるか!?」

「わかりませんよ! 奪われる以前に存在すらしてないので!」


 自分で言ってて悲しくなってきた。

 

「でも僕は、あなたたちのせいでその愛する者を奪われた子供を知っている! あなたたちのやったテロで父親を殺されて、母親とも引き離されて泣いてるんですよ! あなたの半分の半分も生きていない子供が!」

「……デモノマターが来なければ、その子もそうはならなかった!」

「なんだよそれ……!」


 輸送機が激しく揺さぶられた。

 爆発音がコクピットにまで届く。


「事故……?」

「現在、この輸送機はデモノマターから攻撃を受けている」


 テロリストが言った。

 少し前の不自然な揺れや、急な加速の理由がわかった気がした。


「奴らはこの船にロザリオーが搭載されていると見抜いた。発進前に破壊する気だ、この輸送機ごとな」

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