第2話


 ロザリオーの名前なんて、誰でも知っている。


 十年ほど前、地球は異星人からの侵略を受けた。

 『デモノマター』と名乗る彼らの科学力は圧倒的で、人類は抵抗らしい抵抗もできぬ間に制圧された。

 ただし例外はある。デモノマターを裏切った科学者がもたらした1機の人型兵器だ。

 たった1機でデモノマターに大損害を与えたその機体の名前が、ロザリオー。


 その後継機のコクピットに僕はいて、搭載されたAIと話をしている。

 もしかして、僕は今すごく厄介なことに巻き込まれようとしているんじゃないだろうか?


CRUZクルスは、オリジナルロザリオーのデータを元にコピーを作り出しました。それがロザリオー4th。あなたの乗り込んでいるマシンです」

「あの……そのCRUZってなんなんです? 人名ですか?」

「御存知ないんですか!? 世界規模で活動しているテロリストですよ!? ユニバーサル・タイムズで関連記事が先月からずっと閲覧数トップ3内なのに!?」

「ユニバーサル・タイムズって?」

「そこからか!」


 コンテナ内に彼女の声が乱反射。僕の耳が機能を取り戻すまでに数十秒を要した。


「……失礼しました。ユニバーサル・タイムズを御存知ないなら、どのニュースサイトを御利用ですか?」

「特に利用してません」

「芸能関係のニュースさえ見ない? じゃあ映画とかカートゥーン、アニメ、TOKUSATSU関係なら? 劇場版『イバラ・ギア』の公開が遅れてるの、あれもテロのせいで――」

「いえ、そういうのも、ちょっとよくわからないです」


 しばらく沈黙があった。スピーカー越しの会話で向こうの表情は見えないけれど、呆れられているのだという確信がある。

 どうせ他人が僕に向ける感情なんて、嫌悪か侮蔑の親戚筋以外にない。


「『CRUZ』は組織名です。デモノマター打倒を掲げ、世界各国でテロを起こしています。最近ではエッフェル塔の……エッフェル塔ってわかります? フランスは御存知ですか? その前に地球が丸いのは知ってます?」

「知ってますよそれくらい! でもなんで急にフランスが出てくるんです?」

「……え゙えぇ……?」


 スピーカーから二日酔いの人の呻き声みたいな声が漏れてきた。

 AIも酒を呑むのだろうか。アルコールの臭いを嗅ぐだけで酔っ払いから殴る蹴るの暴行を受け続けた記憶がフラッシュバックするので、できれば僕の前では飲まないでくれると助かる。


「CRUZって人たちは、どうしてデモノマターに反抗するんですか?」


 デモノマターがもたらした恩恵は大きい。

 彼らの持ってきた生産プラントのおかげで、すべての人類が飢えに苦しまずにすむようになった。砂漠も海底も人が快適に住める場所になった。環境問題は解決され、人が倒れるほどの猛暑も解消された。あらゆる病気に対し、適切な医療が無料で受けられる。

 なにより働く必要がなくなった。電気もガスも食べ物も、生産から流通、販売まで完全にオートメーション化され、人類すべてがニートになっても社会は問題なく機能し続ける。

 社会が人間を必要としなくなったことで、社会格差の問題も消滅した。貧富の差はなくなり、あらゆる人間が同水準の教育を受けられる。


 じゃあなぜ僕が輸送屋で働いてるかっていうと、それは僕にもわからない。

 ある日突然、眼のギラギラした知らない人に話しかけられて、労働こそ美徳とか、人間的成長とか、感謝で人は生きるべきとかワケのわからないことをまくし立てられ、はあそうですかと生返事をしていたら気がつけば身分証明書と食糧配給票を奪い取られて、こき使われることになっていたのだ。


 暇に耐えかねて『仕事ごっこ』をする人間がいるのだと、後で知った。

 やりたい人だけでやればいいのに、そういう人がなりたいのはだいたい経営者とか重役の役割で、一番必要な平社員が慢性的に不足している。だから僕のような間抜けが引っかけられる、ということらしい。


「デモノマターは人類に豊かさを与えましたが、同時に人生の意味や生きがいを奪ってしまった。だから反発する者が出てきてしまう」

「そういうものなんですか?」


 デモノマターが来る前から、僕は自分の人生に意味があるなんて1度も思ったことがない。

 食事とトイレ以外ベッドの上で横になっているだけの日々でも、別に退屈とは思わなかった。

 むしろ気まぐれに外出したことで変な連中に捕まって酷使される羽目になったのだから、ベッドの上から動かないことこそ人生の最善策であるような気さえする。


「そうだ、名前をまだ聞いていませんでした」

「オルク・サレオスっていいます」

「できることはしてくれるって言いましたよね、サレオスさん?」

「う、うん、まあ」

「なら、私をここから連れ出してください」

「は……?」

「このままだと私は戦場に出ることになってしまう。その前に私を家に帰してください」


 家に帰して、という言葉にはこっちの胸が締めつけられるほどの切迫感がこもっていた。

 相手は機械なのに、まるで人間と喋ってるみたいだ。

 スピーカーの向こうに人間がいるといわれても、僕は驚かない。


「ど、どうやって?」

「あなたがロザリオーを動かせばいいんです」

「無理ですよ! 僕、補助輪付きの自転車さえ乗りこなせないんですよ!?」

「三輪車は大丈夫だったんですね。意外です」

「いえ、乗ったことがないからです。たぶん無理」

「……大丈夫です。私がサポートします。そのために積まれたので。セキュリティなんかもこちらでクリアします」

「ファタさんが自分で動かせばいいじゃないですか!」

「私だけでロザリオーを動かすには制約が多すぎるんです」


 困ったことになった。想定以上に問題が大きすぎる。引き受けるべきなのかそうでないのかさえわからない。


 仮に引き受け、なおかつ上手くいったとしよう。そしたらテロリストたちにとって僕は憎むべき仇ということだ。ロザリオーに乗っている間はいいが、降りたら殺されてしまう。

 デモノマターに駆け込んだら僕の話を信じて匿ってくれるだろうか?

 テロリストの一味と思われて、拷問されたりしない?


 自分の命なんて無意味で無価値だとは思ってる。

 でもそれは、どう扱われてもかまわないって意味じゃない。

 同じことだと思っている人間は多いけれど。


 じゃあ、断るとしたら。

 それはテロリストが強力な兵器を手に入れ、たくさんの人々を殺戮するのを、みすみす見送るってことだ。

 僕は警察官でも軍人でもないけど、それは無責任じゃないか?


 頭がぼうっとする。きっと知恵熱だ。


「――悩むのも仕方ありません。あなた個人にメリットのない取引ですからね。では、これでどうでしょう?」


 僕の沈黙をどう解釈したのか、出し抜けにファタさんはそう言った。

 計器の1つが閃光を放つ。


「わっ!?」


 思わずギュッと目をつぶって、そして開けたとき――。

 ――目の前に、女の子がいた。

 水色のワンピース。肩の辺りまで伸ばした焦茶色の髪。十代くらいだろうけど、達観したような雰囲気があって、大人びて見える。

 長い睫毛が震えて、瞼のカーテンがゆっくりと上がった。

 きらきらした蒼い瞳が僕を見つめる――けれどその表面に僕は映らない。


 女の子はぼんやりと光っていた。よく見ればその身体は半ば計器にめり込んでいる。

 立体映像。じゃあ、この子は。


「……もしかして、ファタ、さん?」

「はい、これが私のデフォルトビジュアルイメージとなります。どうでしょうか?」

「う、うん……」

「はっきりしませんね。可愛いですか?」


 率直に評するなら、可愛いと思う。妖精のような、という形容が一番しっくりくる。

 でも昔、綺麗だと思ったものを周囲から「どこがだよ」と力強く否定されてから、自分の美醜感覚を僕は信用していない。

 本当は可愛くないのに可愛いと言って、そのことでファタさんが後々なにか不利益を被ったりしないだろうか?

 あと思い出したけど、女の人に「可愛いですね」と言って「気持ち悪い」とゴミを見る目で吐き捨てられた苦い記憶もあったのだった。


 だから僕は、「ああ、まあ」と適当に返しておいた。

 ファタさんはなぜか眉をひそめる。

 なんだ。可愛いと言おうが言うまいが、どのみち僕は嫌われるのだな。


「この姿はホログラムですから触れることは叶いません。ですが、見るだけなら人間に引けを取りませんし、服装なんて自由自在」


 狭いコクピットの中で、宇宙空間を泳ぐようにファタさんが複雑に回転した。

 人間だったらあちこちに頭をぶつけて悶え苦しむ羽目になるだろうけど、さすが立体映像、そうはならない。

 衣装がめまぐるしく切り替わる。セーラー服、チャイナドレス、水着、あと僕にはなんと呼ぶのかさえわからないお洒落な衣装。


「……で、ですからね」


 胸元の大きく開いたドレス姿になったファタさんが、スッと身を寄せてきて、ニッコリ笑う。

 思わず呼吸が止まった。指先まで恐怖に強張る。

 人間がこうやって近づいてくるときはロクなことがない。頬をぶたれるのか、腹を殴られるのか、股間を蹴り上げられるのか。


 ファタさんはどれもしなかった。

 ただ、細い指先で、ドレスの胸元をちょっとだけ引っ張る。

 豊かに実った膨らみがこぼれそうになる。肌の白さが眼球を焼くようだ。


「そ、その、協力してくれたら、少しくらいはエッチな格好をしてあげても、かまいませんよ……?」

「…………」


 周囲が真っ暗になったような気がした。


「どっ、どう……ですか……?」

「……わかった」


 ファタさんは、ほっとしたような、困ったような顔になる。

 どっちでもいい。


「……君なんかに、絶っっっ対、協力しない!」

「え?」


 コクピットから出る。ファタさんがなにか言ってるけど知らない。

 降りる途中で足を滑らせてみっともなく尻餅をついたけど我慢して、振り返ることなくコンテナを飛び出る。


「……馬鹿にして」


 涙が出てきた。

 お尻が痛むからじゃない。


「馬鹿にして、馬鹿にして、馬鹿にして……!」


 あの子に声をかけたのは、純粋な善意だった。少なくとも僕が意識している範囲では。

 その気持ちを踏みにじられた。

 下世話な欲求を満たしてやれば御せる程度の人間だと、あなどられたのだ。


「助けてほしいなら、素直に『助けてください』ってお願いしろ!」


 僕はこれまで誰にも誉められたことはない。

 だから他人が僕を馬鹿にするのは当たり前のことで、別段気にも留めなくなっていた。

 でもそれは本来腹の立つことなのだと、僕は久しぶりに思い出した。


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