第8話
仰向けのまま、三雲という重しのせいで動きづらく、外を眺めているうちに私までうつらうつらしていたらしい。ふと三雲の笑い声が聞こえて、寝ていたことに気づいた。
目を開けると、私は無意識に右肩に頭をのせていた三雲の髪を撫でていた。
「ふふ、くすぐったいです」
至近距離の笑顔の破壊力と、まるで事後のカップルのような体勢に(逆の位置が多いだろうが)、私は少なからず動揺した。
「また寝てしまっていたんですね、すみません、すみれ様を下敷きにしてしまって」
体を起こし、固まった体を伸ばす三雲は、舞手らしく手の先まで動きが綺麗で見惚れてしまう。だが、性を感じさせない風貌のせいか、子どものような愛らしい中身のせいか、三雲との距離感がおかしいことに今まで気づかなかった。私の恥じらいの部分が麻痺していると言ってもいい。現実味がないせいだ。
「ねえ、三雲」
「はい」
「うたた寝する前に言ってたこと、説明してもらっていい?」
「あっ! そうですね、ごめんなさい」
「ううん」
正座に座り直した三雲は、さっきまでのゆるんだ表情を引き締めた。
「ここは、『ヤミの国』です。結界を隔てて『ヒの国』があります。私は主様の従者です。えっと、主様の嫁御にとすみれ様をお呼びしたのですが、存外お年をめしておりましたので……」
「ちょっと、ちょっと待って。三雲、単語だけ言われてもわからない」
「え?」
戸惑う三雲は、私がどこをわからないと言っているのかわからないようだ。
「……わかった。私が聞くことに答えてもらっていい?」
「あ、はい!」
「まず、ここは『ヤミの国』ってことだけど、私が元いたところとは違うよね。ここは、私がいたところとどう違うの?」
「違うところですか? えっと、まず刻ですね。『ヒの国』の未来線上にすみれ様の世界があって、ここは『ヒの国』と隔たれた異界です」
「……」
……ここは過去で、そして異界? ファンタジーだな、という感想しか浮かばない。
「異界……、これって、現実?」
「もう、まだ寝ぼけてるんですか?」
愛らしく顔をしかめられても、こっちの方が二倍も三倍も顔をしかめたい。
結局、夢の登場人物かもしれない三雲に、現実かどうかを聞いても仕方ないのだ。私がどこに落とし所をつけて、なにを信じるかでしかない。
口から浅く息を吐くと、肩の力を抜いた。
「うん。……異界については、ひとまずわかった。でも、わざわざ未来にまでお嫁さんを探しに来るなんて、この時代には女の人がいないの?」
「いえ……あの、少ないですが、いないわけではありません。ですが……」
気まずそうに三雲は口ごもる。
「言いにくい事情があるんなら、言わなくていいよ。まあ、いたとしても主様は女嫌いみたいだし、態度もあんなだし、難しいかもね」
俯いていた三雲は急に顔を上げると、真剣な目をしていた。
「主様は、本当はお優しい方なんです! 寝顔にうっかり水をこぼして水浸しにしても怒らないし、黒焦げの右腕をうっかり踏んでも『気にするな』と言ってくれるし、」
ただでさえ儚げなのに、切なげに訴えてこないでほしい。顔に意識が持っていかれちゃって、話してる内容が入ってこない。
「本当なんです! すみれ様の世界に行って食料を調達するように指示したのも主様ですし、」
ん?
「食事にうっかり毒草が混じっていたときも、全部食べてくれたし、」
「ちょ、ちょっと待って」
それにしても、うっかりしすぎじゃないか? いや、でも今はそこじゃない。
「私の食事って、元の世界から取ってきてるの?」
「え? そうですよ?」
「聞いてないよ!」
つい声を荒げてしまった。
「お金なんて持ってないでしょ、どうやって取ってきてるの」
「適当な山に入って取ってきてます!」
誇らしげに言い切る三雲をじっとりを睨む。
食事を用意してくれるのはありがたい。ありがたいけれど、コーヒーを飲むチャンスを逃していただなんて。
「三雲」
想定外の私の声色に、三雲は怯んだ。
「今度から、私が関係することは、どんな小さなことでも教えてほしい」
褒められると思ったら私が反対の反応を見せたことで、少し拗ねたらしい。すぐに返事をしない。
「教えてくれたら、たくさん頭なでてあげる」
「わかりました!」
すぐに機嫌が直った三雲を引き寄せ、柔らかい声でささやく。
「それでね、三雲にしかできないお願いがあるんだけど……」
無理だと思えばこそ我慢できたけれど、叶うかもしれないと思うと我慢できない。
私の頭の中は、コーヒーで占められていた。
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