第7話
さわさわと心地よい音を奏でる木々を眺めながら、私は縁側に座っていた。
「すみれ様、お待たせしました」
お盆に茶器をのせた三雲が側に腰を下ろす。
「ありがとう」
主様が目覚めてすぐに、三雲は“こちらにいる期間が延びない食べもの”を調達してきてくれた。野菜と水のみではあったが、飢餓状態の私にとってはヨダレものだった。
当分、あの感動を忘れることはないだろう。
今持ってきてくれた、茶器の中身も白湯だ。白湯は健康にいいと聞いていたが、そのせいか最近体の調子がいい。むくみも取れたし、便通も快調だ。私はこの10ヶ月を、断食道場か、お寺かなにかに修行に来たと思うことにした。
隣に腰かけてお茶を飲む三雲は、横顔まで完璧だ。風に遊ばれる白髪が、きらきらと光って眩しい。
ついこの間までは、じっとりとした空気を身にまとい、腫れ上がったまぶたが痛々しかった。
自分のせいで深手を負った主人の看病が辛くないわけがない。しかも、炭化した右腕は自浄を待つしかないらしく、三雲に出来ることは限られていた。
不安から、なにかしていないと落ち着かない三雲を無理やり膝で寝かしつける以外、私に出来ることもなかった。
それが少しずつ、三雲を取り巻く雰囲気が軽くなり始め、美貌も戻り始めた。
私は主様の容体を聞かなかった。三雲の様子を見れば一目瞭然だったからだ。萎れた花が力を取り戻すように、日に日に元気になっていく三雲を見るのは嬉しかった。
「はー、なんだか眠くなってきました。……ちょっと。すみれ様、腕どけてください」
お茶を飲み終わった三雲は間に置かれていた盆を寄せると、膝に落ち着けていた私の両手を白湯ごと持ち上げて、膝の上に頭をのせた。
眠らない三雲にしつこく膝枕を繰り返した結果、私の膝を自分の枕と認識したらしく、最近は当然のように膝枕にされる。
こちらも慣れたもので、膝に頭をのっけたまま白湯を飲んでいた。すると、首の向きを変えて私を見上げている三雲と目が合った。
「ん、どうしたの?」
「撫でてくれないんですか?」
叫びたい。山びこが無限ループするほど叫びたい。『かぁわいいぃぃ』と。
もちろん年甲斐もなく、そんなことはしないけれど。
なにか言葉を発すると叫びそうだったので、無言のまま微笑み、萌えで構成されているとしか思えない三雲の頭を撫でた。
三雲は安心したように目を細め、いつもの定位置に頭を戻し、しばらくすると規則正しい寝息になった。
私は泣いていた。こんなに満たされたのはいつぶりだろう。かわいいって、いい。心の奥底から癒される。本当に、本当にかわいい。
こんなかわいい生きものに、厳しいことを言うのは気が引けた。
だが、ここに連れてこられてから、もう一ヶ月は経っている。主様も大怪我をしたし、それどころではないだろうと、こちらも遠慮していたが、いくらなんでも説明がなさすぎだ。おかげで、私はいまだに、夢なのか現実なのか確信できずにいる。
「三雲」
「んー……」
「三雲、起きて」
「もうちょっと……」
「昼寝は30分以内がおすすめらしいよ。ほら、起きて」
のっそりと体を起こした三雲は、瞼を豪快にこする。私はその度に長いまつ毛が落ちてしまわないかと、はらはらする。
「さんじっぷんって、なんですか。すみれ様のお抱え妖怪?」
「ちょっと今日は、真面目に話したいんだけど」
きょとんとした顔も愛らしい。ちなみに、話を聞かない代表の三雲は、こういう寝起きが一番話を聞いてもらいやすい。
「はい」
「三雲は私を勝手に、ここに連れてきたよね。それなのに、ここがどこなのか、三雲たちは誰なのか、説明が一切なくて私は戸惑ってる」
「えっ」
二人の間に戸惑いの空気が流れ、私は更にその空気に戸惑う。
「知らなかったんですか?」
呆れたような三雲の発言に、苛つきが機関車の蒸気のごとく噴き出したが、眉毛以外は制御できた。
「じゃあ、なんでそんなに落ち着いてるんですか? 私はてっきり……。でも、そうか。私以外に伝えるものなんていないですよね。……ごめんなさい」
くるくる様変わりする三雲の表情を眺めていると、次第に苛つきは収まった。
「うん、ちゃんと説明してくれれば、大丈夫だよ」
励ますように笑うと、三雲は目いっぱいに涙を溜め、我慢しているのか結んだ口はぶるぶると震えている。
「どうしたの」
つるつるした白髪をなでると、勢いよく抱きついてきた。堪えきれず、三雲を抱きかかえたまま背中から倒れる。
「……至らない私で、申し訳ありません」
打ちつけた後頭部と、ひねった腰が痛い。けれど胸の上でしがみついて泣く三雲を放っておくこともできない。
「いいよ、いいよ。三雲は癒し要員なんだから。大丈夫、大丈夫」
安心させようと、背中を一定のリズムで叩いていた。
「すみれ様、すみれ様はお優しい。……ずっと一緒にいられたら、いいのに」
またかわいいこと言っているなぁ、と木々を眺めながら動作を続けていると、また規則正しい寝息が聞こえてきた。
「おい」
思わずツッコミが口から漏れた。でも目を覚ます気配はない。
ため息とともに脱力した。
「ふりだしに戻る……」
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