第5話

「あの龍は主様か、もしくは関係あるなにかで、三雲を助けに行ったんだよね?」

空を見上げながら独り言を呟く。

混乱しているときは、溜め込まないで口に出すようにしている。口に出して頭の外に出た言葉を耳からもう一度入れると、咀嚼しやすくなる気がするからだ。

「木地屋って人の情報で理解した風だったから、きっと三雲は主様に任せておけば大丈夫。・・・あれが主様だったらの話だけど」

深く息を吸って吐いて、早鐘を打っている心臓を落ち着かせようとした。

なにかできることをしたいけれど、ヒの国がどこにあるかもわからないし、あんな風に空を飛ぶことだってできない。大人しく帰りを待つのが無難だ。

かと言って、家主のいない屋敷に勝手に入るのは躊躇われた。

そのまま玄関前に腰を下ろす。見上げると空はすっかり暮れて、月が出ている。冷えた腕をさすりながら、瞬く星を眺めた。月と星の見慣れた形にほっとしたが、存在感が桁違いだ。いつもは消え入りそうなほどか細い星が、ここでは圧倒するかのように迫ってくる。

「森の中だからかな・・・」

木々が風に揺れる音しかしない静かな暗やみで、私は口を半開きにして空をずっと眺めていた。次第に、心がなだらかになっていくのを感じる。

どれくらいこうしていたのだろう。時間も気にせず頭を空っぽにしていたことで、私の頭と心はすっきりしていた。

「まあ、いいか」


一瞬耳鳴りかと思った。静寂に慣れた耳が、そよぐ森の音以外の音を拾った。真上を見上げると黒い塊が近づいてくるのが見える。

真上だ。そしてこれは落下音だ。慌てて立つと、近くの木の後ろに隠れた。

「ぁぁあるじさまぁ〜〜〜〜〜!!」


「三雲?」

どこからか三雲の声がする。私がきょろきょろとしているうちにも、塊は落下を続けていた。

激突するかと思った瞬間、黒い塊は止まった。土埃が舞い、私のところまで風圧が届く。なにか焦げた匂いがした。

恐る恐る目を開けると、黒い塊だと思ったものは先ほど出ていった三つ首の龍と羽に紫の筋が入った白い蝶だった。地面すれすれで浮いている。龍の大きさに比べれば、蝶などアクセサリーほどだ。それが瞬きをした次には、龍と蝶ではなく主様と三雲になっていた。

「おっと・・・?」

え、なに老眼の訪れ? 何度も瞬きをするが、元に戻らない。主様と三雲が立っている。そして龍と蝶は消えている。イリュージョン。 

主様は突如崩れ落ち、それを三雲が支える。涙声で主の名を呼ぶ三雲は儚く、涙を誘う。情景の美しさに思わず観客として埋没しそうになったが、これは目の前で起きていることだと己を叱咤して隠れていた木を離れた。

「三雲? 大丈夫?」

「あっ、すみれ様っ! 主様が・・・」

涙に濡れた紫の瞳は、分かっていたけれど匂い立つほど麗しい。そういうシステムがあれば、課金したいほどだ。そして近づくとはっきりとわかる。主様から焦げた匂いがする。

「私のせいで、主様がっ・・・ああ、ごめんなさいっ主様・・・」

主様を抱きしめて泣き崩れる三雲は、それはそれは絵になるし、これが悲劇のドラマだったらこのままエンドロールが流れるだろう。

「三雲、主様を手当てしよう。手伝うから」

ぼろぼろと涙を流していた三雲は一瞬呆けた表情を見せたが、袖でごしごしと目を擦ると力強く頷いた。

二人で引きずっていく間も、主様は意識を取り戻すことはなかった。非力な二人の運搬はうまくいかず、度々主様の足を角にぶつけたりしたが無反応だった。そのくせ体は燃えるように熱い。三雲は運びながらも涙が止まらないし、私もさすがに不安になっていた。

やっと主様の部屋に辿り着いたときには、私も三雲も息が上がっていた。三雲が布団を敷き、主様を寝かせる。

「三雲、お水を持ってこられる?」

おろおろと歩き回っていた三雲に頼み、後ろ姿を見送るとまじまじと主様を眺める。

「おかしいな・・・」

運んでいる間も、布団に寝かせる間も注意深く見ていたのに焦げた匂いの元がわからなかった。彼自身はムスクのいい香りがする。だからこそ焦げ臭い匂いが気になるのだ。

長い髪が何重にも巻きついているこの首だろうか。そっと髪をかき分けて、首筋を覗く。

「あっ、いけません!」

戻ってきた三雲が慌てて制止する。その拍子に三雲は持ってきた水をこぼしてしまった。私はすぐに両手を上げて謝る。

「ごめんなさい」

「いえ・・・」

気まずい雰囲気が流れた。

従者である三雲は、主様が首筋を隠している理由を当然知っているのだろう。私は軽い気持ちで覗いてしまったことを後悔していた。

首の付け根に広がる傷跡は、目を背けたくなるほど痛ましいものだった。まるで首の皮一枚まで切断されたような傷、なにをしたらあんな風になるのだろう。

「水、こぼしてしまったのでもう一度持ってきます。あの・・・」

「うん、ごめん。もう首は覗きません」

再度謝ると、三雲はほっとした様子で部屋を出て行く。

「あんなに疑わず、愛らしいままで大丈夫なのかな・・・」

首は痛ましいものの、新しい傷はなかった。

「ということは」

布団を剥いで、着流しを脱がせる。上半身裸にすると、臭いの元がやっと分かった。

「すみれ様! なにをなさるのですっ、主様を襲うのはやめてくださいっ!」

今度は水だけでなく、器ごと落として駆け寄ってきた。三雲はそのまま主様の上に覆い被さるようにして動かない。

「三雲? 違うよ、襲ってない」

「嘘です! 主様のお召し物を脱がしました! ああ、なんて破廉恥なお年寄りなんだ・・・」

・・・今回は聞き流そう。

「脱がしたのは本当だけど、襲うためじゃない」

「じゃあ、なんなのです」

首をこちらに向けてじっとりと睨んでくる。その顔でさえ絵になる。

「焦げ臭い匂いがずっとしてたから、火傷かなにかしたんじゃないかと思って探してたの」

「匂い?」

「三雲は匂わない?」

「いえ、結界を抜けるときに五感がちょっと馬鹿になりまして、今はなにも匂わないのです。目もまだチカチカします」

「結界?」

「はい」

また当たり前のことだから説明する気なしの顔をしている。このままだと元の世界に戻るときには、読み解く能力が飛躍的に上がっているかもしれない。

「まあ、いいや。見て、右腕の表面を全部火傷してる」

「ああっ!」

火傷というより、一部は炭化している。これは腕を切断する必要があるのではないだろうか。

「いけない、こんなになるなんて。すぐにスクナ様を呼ばなければ・・・ああでも・・・」

「三雲、落ち着いて」

「あ、すみれ様。・・・あの、私は助けを呼びに行かなければなりません。その間、主様を見ていてくださいませんか」

「ああ、うん」

「すみれ様のようなお優しい方を『老婆』と罵倒した主様ですが、本当はよい方なのです! どうか、弱っているところを一思いになどと思わずに、看病していただけませんでしょうか!」

主様はそこまでは言っていなかった。むしろ三雲が『死にかけ』と言っていたけれど、これも不問としよう。

「うん、わかった」

「ありがとうございます!」


そのまま走り去ろうとした三雲を引き止め、水場を教えてもらう。桶に水を溜め戻ると、主様の息が荒くなっていた。手をかざすと息が熱い。

布巾を濡らして火傷の部分を冷やすが、じゅうっという熱した鉄板のような音がして、すぐに布巾は乾いてしまう。何度も濡らしては乾くを繰り返すうちに、ため息が漏れた。

「人の体だったらこれは無理だよな」

しつこく繰り返したおかげか、鉄板の音はしなくなり、水分が蒸発することもなくなった。だが熱は高いままだ。苦しそうに浅い息を繰り返している。

布巾でこまめに汗を拭いていると、主様の目がうっすらと開いた。

「ここは・・・」

「お目覚めですか? ここはお家ですよ。もう大丈夫です」

意識が戻ったことに安堵した私は、微笑みかけた。

「お前は・・・」

主様が驚くのも頷ける。ついさっきまで挑戦的だった者が、自分の寝床に寄り添い笑顔を向けているのだ。

「三雲は・・・どこだ」

「主様の火傷がひどいのでスクナ様?を探しに行きました」

「なに・・・スクナと言えどもこれは治せん。自浄を待つしかないというに、あの馬鹿め」

起きあがろうとして、痛みに呻く。

「ああ、起きあがっちゃ・・・」

左腕だけでは支えられず、背中から倒れ込んだ。荒い息を抑えつけるように呼吸をしている。

「なぜここにいる。行け」

こんなに弱っているというのに、眼光鋭く睨んでくる。嫌っている私には頼りたくないらしい。頑固というか、なんというか。

かなり迷ったが、割り与えられた部屋からバッグを持ってくることにした。すぐに戻ってきた私を見て目を見開く主様を尻目に、常備している鎮痛剤を取り出す。

人ではないかもしれない主様に与えて大丈夫だろうか?

懸念点はそこだ。あんなひどい火傷を負っても生きている主様だから大丈夫だとは思うけれど、外が強いからと言って内も強いとは限らない。薬は毒ともなる。

でも、このまま放置するのがいいとも思えない。

一回一錠が用量の薬を割って、半錠飲ませようと決めた。水場に行き、棚に置いてあった茶碗とたっぷり満たした水差しを持ってまた戻る。

「主様、お薬飲みましょうか」

「・・・いらん」

「まあそう言わずに。苦くないですよ、痛みを抑える薬ですから楽になります」

「お前のようなものが出す薬など」

「そうですねぇ」

拒否されるだろうとは思っていたので想定内。主様の言うことを聞く謂れはない。

おでこに触れてみると、かなり熱を持っていた。

「さわ・・・るなっ」

さっき怒ったときに見た、黒い炎のようなものが出るか確かめるためだったけれど、出なかった。弱っていると炎の出力も弱まるのだろうか。

「熱も下がるんですよ。体辛いでしょう、よっこいしょ」

枕元ににじり寄り、髪を踏みつけないよう注意しながら頭を持ち上げ、膝の上に載せた。

「なにをっ・・・はなせっ」

「まあまあ」

濃紺の髪を撫でる。艶やかな撫で心地にしばらく続けてしまう。

「お前っ・・・」

驚きの連続に主様は固まってしまった。

そんな顔をされると、楽しくなってしまうじゃないか。

少し開いた口元にすかさず薬を放り込み、口を手で塞いだ。吐き出そうとすると思ったからだ。予想通りだったが、しゃべるのがやっとの主様に力負けするはずもない。私の手を振りほどけず、睨みつけるのが精一杯だった。

そのうち睨みつけてはいるものの、体の力が抜けていった。飲み込んではいないが、舌の上で薬が溶け出しているのだろう。

口を塞ぐ手は緩めず、もう一つの手で頭を撫でていると、主様の瞼が次第に落ちてきた。薬の眠くなる成分のせいだけではないだろう、体がそれほど弱っているのだ。

「お水飲みましょうか」

眠りを妨げないよう静かに声をかける。塞いでいた手を離し、口元に茶碗を持っていくと素直に飲み干した。

「えらいですね」

聞いているのかいないのか、主様はそのまま瞼を閉じて寝息を立てはじめた。心なしか呼吸が落ち着いた気がする。薬がいい方に効いているようで、ほっとした。

そっと後頭部を抱えて布団に戻すと、大人しくなった主様を眺める。

「寝ていると眉間に皺もよってないし、可愛く見えなくもないな」

涼やかな目元は少年のようで、言動も素直すぎるせいか幼く感じる。正体は皆目見当がつかないけれど、この火傷は三雲を取り戻すために負ったのだろう。大事にしているのだ。

私にはあんなに感じ悪いのに、己の傷も厭わずに従者を助けるなんて。それも即断だった。

「いい上司だなぁ」

じんわりと温かい気持ちが湧いて、絹のような髪を撫でたくて手がうずうずした。

さっきは無理矢理薬を飲ませてしまったことだし、目覚めた後は態度がもっと硬化しているはずだ。これが最後のチャンス。

労いの気持ちを込めて、こっそり頭を撫でた。

「頑張りましたね」

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