第3話
「こちらをお使いください」
ほっそりとした手で示した先には、二十畳ほどの部屋があった。先ほどの部屋と同様、入り口は御簾で仕切られている。
「私が突然お連れしてしまったので、なんの準備もしておらず・・・申し訳ありません」
部屋は、なにもなかった。けれど空間に何もないせいか、一層檜の香りがする。
「物が多いよりいいですよ」
そう微笑むと、恐縮してサイズダウンしてしまったかのようだった三雲は笑顔を見せた。
「お優しいのですね。・・・ご迷惑をおかけして、ほんとうにごめんなさい。私はいつもこうなのです。思いつくと周りが見えなくなってしまう・・・」
ただでさえ儚げな見た目なのに、落ち込んでしまうと消えてしまいそうだ。
「一生懸命だと言うことでしょう? 私は素敵だと思いますよ」
伏していた目が、ぱっと私に向けられる。紫の瞳が潤んで、とても綺麗だ。宝石内蔵の目?
「すみれどの・・・!」
頬が薄紅色に染まり、口元に笑みを浮かべる。
なんだこれ、美しすぎないか。私に絵心があれば、彼の背景に花を書き加えたい。
「すみれどのの御心に報いるため、私は全力を尽くします! まずは寝床をご用意しますね!」
意気込んだ三雲は、私の返事も待たずに駆けていった。
見た目は儚げだが、中身はイノシシだ。落ち込んでいたと思ったら、もう走っていってしまった。自然と口元が緩んでしまう。
職場にあんな子がいれば、迷惑をかけられつつも癒されただろう。
ひとまず座ろうと部屋に入った。だがなにもなさすぎて、どこに座るか逡巡してしまう。こういうポジショニングは、心理テストでありそうだ。端に座る人、真ん中に座る人で性格が判定される。
「ふふっ」
思わず笑ってしまった。
誰が私の心理になど興味を持つだろう。自嘲ではなく、今私の周りに誰もいないのにそんなことを考えてしまうのがおかしかった。
どこに座ろうといいのだ。
結局私は入り口から遠いところを選んで座った。
乱雑に放り込まれたバッグの中身を一旦出し、元の通りに入れ直す。
小腹がすいたとき用に常備していた茎わかめ。これをあのお爺さんにあげたのがきっかけで、元の世界に拒絶されてしまった。
彼らはお爺さんを知っているようだった。
それにしても、『世界に拒絶』って一体どうゆうことなんだか。こちらのものを食べたら元の世界に帰ることができないなんて、まるで黄泉の国のイザナミじゃないか。
待てよ、黄泉・・・熱中症で倒れて死の淵にいるっていう可能性もある。
「臨死体験か・・・」
そう考えると、あの主様が閻魔大王という線。神とか鬼とか言っていたし、ありえないことではないかも。夢よりも信憑性があるかもしれない。
じりじりと顔が赤くなる。
最前のやりとりを思い出すと、羞恥でいたたまれなくなる。
若者相手に大人気なかったと思う。もしも閻魔大王なのであれば、ただの若作りなおっさんなわけだけど。それでも、いくら触れられたくないことだったからといって、あんな嫌味ったらしい言い方をしなくてもよかった。三雲にも気を遣わせてしまった。
怒りに任せて振る舞うと、結局こうやって後悔することになる。
肝に命じて生きてきたはずなのに、イレギュラーな状況に混乱しているんだろうか。
外に通じる面には雨戸のような格子状の板が嵌めてある。上半分だけ外に上げられ、そこからしっとりした光が差し込んでいた。お寺か神社で見かけたことがある風景だ。
格子に寄りかかり、濃淡のある森の緑を眺める。屋内は檜の香りが強いけれど、ここからだと風に運ばれて土の匂いもする。
歳をとるごとに、自然に求めるものが多くなった。子どもの頃はなんとも思っていなかったのに、葉っぱのフォルムや色味は時間が許せばずっと見てしまうし、木々や土の匂いを嗅ぐとリラックスする。なぜだろう、脳が求めているのだろうか。たしか土に含まれる菌を取り込むことで免疫力が上がるとか、檜には安らぎ効果があるとか聞いた気がする。
詳しく調べようと、バッグからスマホを取り出したが圏外になっていた。
まあ、想定の範囲内ではある。黄泉の国や異世界であれば電波塔がないのだから繋がるわけがない。夢だったら私の脳内なのだから、繋がったとして自分が知らないことを検索できるわけもない。
土台が決まらないことにはなあ。
なにかを考えるたびに、もしもばかりだとそこからの発展が難しい。黄泉の国だった場合、異世界であった場合、夢だった場合だと、分岐点が多すぎて私の老いたる脳では追いきれない。
コーヒー飲みたい。カフェイン摂取したい。
圧倒的な森林浴の中で、コーヒーを飲んで一息つけたら最高に贅沢だろうになぁ。
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