十九. 愛の交歓
未知子さんへ
これまで送った何通かの手紙は、やはり読まれていないのでしょうね。
わたしの方から別れを切り出しておいて、その後も手紙を送り続けるなんて、愚かなことだとはわかっています。なんて自分勝手なのでしょう。
あの日以降、未知子さんはずっと黙ったままです。会ってもいないし、手紙の返事もくれないのですから。
お腹の子は再来月にでも出てくる予定です。この子が大きくなるにつれて、わたしの不安も大きくなるように思えます。女の子です。
名前を旦那と一緒になって決めました。「笙子」といいます。お義母さまが昔なさっていた楽器の名からとりました。響きと字面がいいので、これに決めました。精一杯愛するつもりです。
悩みの種は、この子が男の子でないということです。この子のことは、もちろん大事にするつもりです。でも、不安材料としてあるのは、もう一人男の子を産めと言われるのではないかということ。
また何度も、旦那としなければいけないのかと思うと、ただただ憂うつなのです。嫌いだとか、苦痛とかいうわけではない。ただ、なんとなく憂うつなのです。上手くいえないのですが、お互いがどこに向かっているのか、わからないのです。本来はお互いが同じ喜びを得るためにする行為なのに、お互いが別々の方向を向いている気がしてならないのです。わたしたち二人の間には、透明な壁がある。見えるのに、触れられない。
そんなとき、思い浮かぶのはあなたの顔です。あなたの体です。そうすることで、時間をやり過ごしています。
わたしがそんなだから、お互い向いている方向が違うのは当たり前ですね……。
先週から料理教室に通い始めました。学生時代も会社員時代も食堂付きの寮だったものですから、ろくに料理も覚えないまま大人になってしまったのです。こんな至れり尽くせりの二十代なんて、笑えますよね。
お義母さまとは、うまくいっています。母は、祖母との関係で苦労していましたので、わたしも覚悟していたのですが、いい人そうでよかったです。
先日、お腹の子の安産祈願に行ったときも、お義母さまは、月崎家とその神社との関係の歴史を語ってくれました。なんでも、明治神宮とも関係があるのだとか。
またとりとめもなく書き殴っただけの手紙になりました。
このように、未知子さんに手紙を送りつけるということを始めてしまったのは偶然です。
ある日、捨てていたはずの住所録の頁が、ゴミ箱の底から出てきたのです。普段、そのゴミ箱は、スーパーのレジ袋をかぶせて使っていたのですが、その中には入らず、ゴミ箱との間に滑り込んでいたようです。その頁が見つかってはまずいと、慌てて懐に入れたのですが、すぐには捨てることはできませんでした。子供がどんぐりを捨てずにポケットに仕舞っているようなもので、わたしもその頁を捨てられず、だらだらと持ち続け、気がついたら、このような手紙とも日記ともつかないものを書いていました。
また書くかもしれませんし、書かないかもしれません。読まれるとは思っていませんが、いつか、その時がくるのではないかという予感はあります。わたしは霊感が強いことは、あなたもご存知ですよね? この予感、伊達ではないかもしれませんよ?
それでは、今日はこのへんで。
一九●●年●月●日 信子より
※ ※ ※
雪の降る夜更は、どうしてもセンチメンタルな気持ちになってしまいます。貴女と別れたあの晩のことを思い出すからでしょうね。そんなことを考えてしまうと、取り止めもなくなってしまいますが、今日は書かせてください。書きたくなったのです。今日初めて伝えることがあるのです。
(こんな意地悪を貴女は笑ってくださるでしょうからね。まあ、いつも読んでもらっている私の小説を読むような気持ちで読んでください(笑))
私たちがもう会わないと決めたのが四年前、貴女が結婚する直前のことでした。
日にちは覚えていませんが、静かに雪の降る、底冷えのする土曜日だったことは覚えています。私の部屋で、鍋を突きながら、話をしたのでしたね。
貴女がうちに来ると連絡をくれたとき、ああ、ついにこの話をするときがきたな、という思いになりました。貴女は男の人との結婚を選ぶのです。
そうなることはわかっていながら、貴女の口からその話が出た瞬間、その場で崩れ落ちそうになったものです。そうは見えなかったかもしれませんね。でも、そうだとしたら、それは必死に耐えて、気丈に振る舞っていた私の努力の賜物です。
その話はよしましょう。
その約束は、幸か不幸か、破られてしまったのですから。
破ったのは貴女の方でしたね。それは、去年のこと。
今だから言えますが、実はあのとき、私の方が先に貴女の姿を見つけていたのです(手紙でこんなことを書くなんてひきょうですね)。でもそのとき私は、見ない振りをしました。見なかったことにしました。そういう約束でしたから。
でも、貴女がいなくなった世界は、所詮私の中の虚構の世界。実在する人を、現実の世界でいないことにはできません。私の網膜には、紛れもない貴女の姿が映りました。
それでも、いない、いない、貴女はいない。そう自分に言い聞かせて、買おうと思っていた物も買わず、駅の売店をあとにしたのです。
そこを出たところで、貴女は私の左腕を掴んだのでしたね。今でもはっきりと覚えています。
そのときの貴女の顔。はっとして振り返る私と目が会ったときの貴女の目の形。何かを言いかけた口の形。膨らんだ鼻口の形。何もないはずの額すらも、何かを訴えていたように見えたのは、私の思い込みでしょうか。
そのとき、ああ、貴女の顔だ、そう思ったのを覚えています。
私の時間は巻き戻りました。
でも、貴女は何も変わっていなかった。会わなくなって三年なのですから(それが長いのか短いのかはわかりません)、当たり前といえば当たり前でしょう。
あのときの気落ちのざらつき、肌理の感触は、今でも手に触れてわかるようです。
しかし、その邂逅はあまりに残酷でした。そう、貴女のもう片方の手は、子供と繋がれていたのですから。
どうしてあのとき、あの状況で声をかけたの。何度も聞こうと思いました。しあわせを見せつけてやろうというの? 復讐? でも、それは私の役目では? そのときも、それからしばらくも、そう思っていました。ずっと聞くことはなく、今初めてこうして手紙に書いているのです。
ねえ、どうして?
でもあのとき、貴女が私に声をかけなかったら、ほんとうに貴女は私の世界から消え去っていたのかもしれない。そう思うと、何も言えなくなるのです。
でも。私はそれを喜ぶべき? 恨むべき?
私たちが交わした約束は、「会わない」というものでした。
その約束を、私はずっと守ってきました。夢の中でさえも。
だからその間、貴女から届いたお手紙も、封は切っていません(捨ててはいません)。
しかし、私は幾度となく貴女と会っています。
私の小説の中で。
貴女のいる世界を描いた小説は、生きるよすがでした。誰に見せるわけでもない、誰を喜ばすわけでもない、ただの自己満足です。
もちろん、実名で貴女そのものが出てくるわけではありません。私とてそうです。小説の中での彼女たちは、直接は私たちとは関わりはありません。
でも、それはある意味では、貴女そのもの、私そのものなのです。
その中では、貴女そのもの、私そのものは、真の意味で自由でした。現実の世界ではあり得ないくらいに。ときに艱難辛苦に遭い、ときに欣喜雀躍に浮き立つ二人は、ある意味では輝いていたのかもしれませんね。
だから、その小説の数々(すみません、何作も書きました)は私にとって、大きな慰めでありました。だからこそ、その約束を守りとおすことができたのです。
でも、その慰めは、実際の貴女の姿の前では、全くの無力でした。
あのあと、こうして貴女との交歓が再開してしまうと、その小説は捨ててしまいました。そんなもの、ほんものの貴女の前では、なんの意味もないのですから。
いつにも増して、重たい話になってしまいましたね。
これは貴女への可愛い恨み節だと思って、聞き流してください。
いつもの私の我が儘です。
こんな手紙を送るほどに。
二〇××年×月×日 あのときのあの部屋で
みち拝
信子さま
※ ※ ※
未知子さんへ
先日はほんとうに申しわけありませんでした。
あのあと、冷静になって一人で考えて、完全にわたしの勝手な失礼だということがわかりました。
嫉妬の感情というものは、女の宿命なのでしょうか。
ましてや、女同士の付き合いなのですから、そのややこしさは二倍になりますね。いえ、今回は、わたしだけがその感情に自分を見失ってしまったのですから、「二倍」だなんて、あなたを巻き込むいい方になってしまうようで、語弊があります。
なにも、わたしだけがあなたにとっての「とくべつ」なのではないことは十分にわかっているつもりです。あなたと出会って、今年でたった十年。それ以前のわたしたちの人生の時間の方がずっと長いのは自明のことですからね。
あなたと進藤さんが恋愛関係ではないと、頭の中ではわかっていながら、あの方は、わたしとあなたが会う前から一緒にいたのだと思うと、ついつい己の不利を認めるのが怖くて、あのようなことを言ってしまいました。
あなたはただ、進藤さんとお喋りをして、いつもどおりの付き合い方をしていただけでしょうね。いつもどおりのやり取り、いつもどおりの表情だったのでしょう。
そんなこと、少し考えればわかることです。
あの場から立ち去ってしまったのは、あなただけでなく、進藤さんにもほんとうに悪いことをしたと思います。重ねて謝罪します。進藤さんとて、迷惑甚だしい話でしょうから。
あなたの大切な幼馴染みの方に、そのような失礼をおかけする、愚かさをお許しください。
あなたの恋愛対象は、女だけだということもわかっているのに。なのに、なぜ男性の進藤さんに嫉妬してしまうのか。男性と結婚して、子供までいる人間がそんなことをするのですから、なんとたちの悪い話でしょう。
今度、いつものバーで奢らせてください。改めて謝罪したく思います。
20●●年●月●日 信子より
※ ※ ※
最後に見た貴女の顔は、笑顔でも泣き顔でもなく、恐怖に慄く横顔でした。
私はあのとき、とっさに貴女の顔を見たのです。これで見納めだと悟ったわけではありません。ただ、一瞬のうちに、この自分の不注意で貴女を大変なことに巻き込んでしまう、ことによっては……という思いがよぎったことは確かです。
だからとっさに見ただけです。
心配だったのか、なんだったのかはわかりません。
でも、その瞬間に、己の身の安全だけを考えたわけではなかったと思うことにしています。それが私の一応の救いのような気がしますから。
いずれにせよ、貴女は亡くなってしまいました。
悪いのは完全に私の方です。運転していたのは私、あの日誘ったのも私(むしろ無理を言ったのでした)、あのときの話題を持ち出したのも私なのですから。
どう償えばよろしいのでしょう。そちらのご家族からの連絡はありません。そのことを思うと、私の方から連絡を差し上げることはできません。それがむしろそちら側の機嫌を逆撫ですることは容易に想像できますから。
いえ、ただただ怖ろしいのでしょうね。死なせてしまった女の愛人が姿を現すなんて、想像しただけで消えてしまいたくなります。それが怖くて、こうして投函する当てもない手紙をしたためているのです。こうして自分を慰めるしかない、可哀な女。そして、そんな可哀な自分に酔っている、救いようのない女。
あれ以降、一行も小説を書いていません。
そもそも、私はプロでもなんでもないのですから、書いても書かなくても誰も困りません。
そして、唯一といっても過言ではない読者である貴女も、もういないのですから。
もちろん、理由はそういう、都合上のものではないのでしょう。
ただ、この感情のまま、虚構の世界に筆を走らせることなど、できないのです。
「物語」は誰かにとって、救いになると思っていました。誰か、あるいは自分を、救済し得るものなるという、信念のようなものをもって、私は小説を書いていました。
でも、現実はこのとおりです。
なにを書こうが、救いになるどころか、暇潰しにもならない。そんなふうに思えてなりません。作家気取りで恥ずかしい限りですが、そのようなことを思ってしまいます。
昨晩、夢に貴女が出てきました。だから、こんなお手紙を書いているのです。
夢の中で貴女は、出会って間もないころの姿でした。初めて会ったときの花柄のワンピースを着て、栗色のストレートのロングの髪をしていました。
貴女は、気恥ずかしそうにうしろ手を組みながら、なにかを言おうとしていました。私はその言葉を心待ちにしているのですが、どうしても貴女はそれを言おうとしない。焦ったくなって、貴女の頬を叩きたくなりましたが、ぐっとそれを堪えました。結局、なにも聞けないまま、目覚めました。
ねえ、なにを言おうとしていたの?
答えのない問いを、今日一日中考えていました。
そういうときのいつもの貴女は、少しいやらしいことを言おうとしているときでしたっけ。奥手の貴女を思い出して、私は一人、微笑みました。
そうそう、夢の中のその場所も、私たちが初めて会った場所でした。
バー〈イヴォワール〉。
貴女がそこを女の同性愛者の集まるバーだとは知らずに、一人飲んでいたということは、あとになって知りました。だから、私はあのとき、迷わずナンパしたのでしたね。
ですから、そのときの貴女の戸惑った表情がとても新鮮でした。
当時の私は、誰彼構わず声を掛けていたわけではありませんでしたが、どちらかというとヤケになっていたことは認めます。貴女への声掛けも、一目惚れなどというロマンチックなものではありませんでした。ただ、タイプだな、とそう思ったに過ぎません。
それでも、あのときの貴女の表情は、今でもはっきりと思い出すことができます。
それこそ、小説にでもできそうな物語が生まれそうですが、それは敢えてしないまま、今まできました。
しかし、あのときの貴女の初々しい表情は、私にとっても初めての世界への入り口だったように思います。それなりに経験を積んできたつもりですが、それゆえの、ある種のマンネリズムに陥っていたことは確かです。貴女は、そんな私に、ひとを好きになるときの、感情の質感のようなものを思い出させてくれたのです。
気づいたら、夢中になっていました。
そのあとの貴女との話で、当時悩みを抱えていたことを知りました。
それがいつの間にか、セクシャリティの話になったのは私の誘導があったのかもしれませんね。
あのまま私が貴女から手を引いて、関わらないままにしておけば、もしかしたら、貴女は「ふつう」の女として結婚していったのかもしれないと思うと、今でも心が咎めます。
ほんとうに私なんかといていいの? とは、何度も聞きましたね。その度に貴女は、笑って「むしろ、あなたがいたから、わたしはつまらない日常を脱することができたの」と言ってくれましたね。本心からの言葉だとはいまだに思えませんが、それを信じることで、私は自分を保ってこられました。
でも事実、貴女は、男のひととの結婚を選んだのでした。
その事実の前では、どんな言葉も無力でした。だからこそ、きっぱりと会わないことを二人で決めたのでした。
しかし、その約束は破られた。
この事実は、私の勝利でしょうか?
手放しに喜べない自分がいます。なぜなら、貴女を再び苦悩の沼に引き摺り込んだともいえるのですから。むしろ、その苦悩はより深いものになっています。一応は不倫になるのですから。
愛の感情の前では、ひとは倫理を失うのでしょうか?
取り止めも無くなってしまいました。所詮、誰にも読まれることのない手紙なのですから、いくら書いてもいいのでしょうが、今日はこれくらいにしておきます。
また書かせてください。ご迷惑でなければ。
二〇××年×月×日 夢から醒めた現実(うつつ)で
みち拝
信子さま
※ ※ ※
未知子さんへ
どうしてわたしはあのとき、あのバーに入ったのでしょうか。
最近はそればかり考えています。
お酒なんてほとんど飲まないのに。ましてや、一人でバーになんて。今思うと、ふしぎでなりません。
今、整理して考えてみるに、「結婚」というものを自分のこととして考えるようになって、あらゆる現実が嫌になっていたのかもしれません。マリッジ・ブルー。よくある話ですね。
そしてわたしはいまだ、そこから脱せていません。ほんとうにわたしは、このままあの人と結婚してしまうのでしょうか?
わたしがあの人のことを話に出したとき、あなたはひとつも動揺しませんでしたね。まるで、そんなヤツよりわたしの方がずっと魅力に溢れているわ、とでもいうように。出会って間もないころは、そういう、あなたの自信溢れる姿が大好きでした。それは今も変わりません。そんなふうにいられると、わたしの方までそんな気がしてくるのですから、ふしぎなものですね。
大した自信ですが、事実といえば事実です。
今こうして手紙を書いているのですから、それは認めないわけにはいきません。自分でも笑えるくらいに。
こんなことをあなたに相談(?)していることじたい、ほんとうにばかげたことのように思います。あなたが原因で悩んでいるのに、あなたに相談しているのですから。でも、他に相談できる人がいないのです。
ねえ。いっそのこと、どこか遠くへ連れ去って。
あなたのせいなのだから。わたしがこんな状況に陥ったのは、あなたの責任なのだから。
だから、誰も知っている人がいない、遠くのくにへ、どこでもない知らない島へ。どうぞ、連れていってちょうだいな。
タイがいいかしら? ベトナムがいいかしら? それともインド? ボルネオ? アフリカ?……
いえ、どれもあなたの趣味ではありませんね。あなただったら、どこを選ぶかしら。多分、ヨーロッパね。やっぱりパリかしら。コペンハーゲンやリスボンもいいと言っていましたね。あ、北欧にも行ってみたいな。極夜の北極圏。一日中続く真っ暗闇の中で、あなたと二人っきり、ホテルの部屋を出ないで過ごすの。ずっと密室の中、言葉を交わし合うの。いいと思わない? うん、それがいいわ!
最近になって思うことがあるのです。
声をかけてきたのはあなたのほうだけど、いつの間にか、わたしのほうが夢中になって、あなたを無理やり繋ぎ留めているのではないかと。あなたは、わたしなんかといないほうが、ずっと自由にあなたらしくいられるのではないか。わたしはあなたの足枷かなにかなのではないか。
ああ、なんて「重い」女。そしてその重さは、日毎に増してゆく。
こんな手紙を送るほどに、心の中はあなたのことでいっぱいなのです。
自分の中にこんな感情があったのか。そう、驚いています。
自分のものにしたい。いや、あなたのものになりたい。わたしにもそんな感情があったのかと。
あなたとの出会いは、同時に、新しいわたしとの出会いでもあったのです。
いつものように、取り止めもなく書き散らかしてしまいましたね。未知子先生のようにはうまくまとまりません。
こんな、マリッジ・ブルーに付き合わせてしまって、ほんとうにすみません。
一九●●年●月●日 信子より
※ ※ ※
信子さん、貴女は今どこにいるの?
久しぶりに〈イヴォワール〉に来て、ママとしばらく喋ったあと、カウンターの片隅で一人、これを書いています。
ママも元気そうでした。〈イヴォワール〉の今年の営業は、今日でおしまいだそうです。クリスマスを終えたこの時期は、一年でいちばんひとの少ない時期です。常連のひとたちも姿を潜め、なぜだか初めて見るひとたちばかりです。
薄らと雪化粧をした路地のお店が、年の暮れに佇んでいる姿も、またいいものです。
年が明けて間もなくすると、貴女を失って十年になるということを、ママに言われて初めて気がつきました。
もう、そんなになるのですね。
ほとんど十年間、私は貴女なしで過ごしてきたことになります。
今思い返してみたら、貴女とお付き合いをしていた期間は、途中、結婚で離れていた三年間を除くと十二年になります。なので、まだお付き合いしていた期間のほうが、貴女を失って過ごした期間よりも、長いことになります。
そう考えると、少しだけほっとします。このまま生き続ければ、貴女を失って生きた期間のほうが伸びるばかりで、考えただけでぞっとしますもの。
しかし、どうやら、その心配はなさそうです。
私はもう長くないのだそうです。つまり、もうすぐ貴女のいる所に行けるのだそうです。
こんな感傷に浸ったお手紙を書いているのは、年末のもの寂しさのせいばかりではなさそうです。私の人生そのものが、冬なのですから。
もしかしたら、これが貴女に宛てた最後のお手紙になるかもしれません。老い先が短いという意味でも、その必要がないという意味でも。もうすぐ貴女に会えるのですからね。
貴女について、ママと久々に語り合いました。不思議と、涙は出ないどころか、げらげら笑い転げたくらいです。
ママは、貴女が初めてお店に入ってきたときのことを、はっきりと覚えているそうです(このことは直接聞いていましたか?)。変ないい方ですが、ママは貴女の顔を見た瞬間、「この人はこのお店に来るべき人だ」と思ったそうです。貴女のような人のためにお店を開いたようなものだ、そう言っていました。
この言葉については、説明は不要でしょう。運命だとか、巡り合わせだとか、そういう話ではありませんよ。ねえ、わかるでしょう?
ナンパしたときの貴女の戸惑った顔。ママはそれを視界の片隅に見ていたそうです。これは私も先ほど初めて知りました。ママも笑いを堪えていたそうですよ。貴女の顔にも、当たり前のように話しかける私の無遠慮にも。
ママも、まさか私たちが付き合うことになるとは、思ってもみなかったそうです。私のそれまでの相手とは全然違ったタイプですし、ママとしては、貴女が最初から「そっち」の人だとはわからなかったみたいです。
だから、次に二人で来店したとき、私たちの関係を知ったママは目を丸くしていましたっけ。そのママの顔、そしてそれを見て戸惑っている貴女の顔。〈イヴォワール〉では、いろいろな人の顔を見ましたが、それはその中でも、印象的なものベスト・スリーに入るものです。
〈イヴォワール〉で見たいろいろな人の顔が、私の記憶の帯の柄となって、鮮やかにそれを彩っています。それは派手でも地味でもありません。ただただ、麗しく、鮮やかなのです。
私は、長い時間が過去の記憶を美しく見せているだけ、所謂「思い出バイアス」という考えが好きではありません。その考え方は、一見正しいようで、なんの意味もない空論です。仮に正しいとしても、目の前の私の記憶は、現に美しいのですから、そんな正しさなど、どれほどの意味がありましょう。私はそれを真に美しいと思えたからこそ、ここまで生きてこられたのです。その前では、正しさなど、なんの意味も為しません。美しさは、常に正しさに勝るものです。
貴女と過ごした時間は、真に美しいものでした。
二人で旅行したこと。私の部屋で睦まじくしていたこと。私の幼馴染みとの関係に嫉妬したときの貴女の顔だって、可愛かった。逆に、貴女が旦那の話をているときは、私が不機嫌になりましたっけ。そのときの私の顔を、貴女は真似して見せては、笑い合っていましたね。
そういったできごとの数々は、今となっては、私にとって深い意味があるのです。
貴女はよく、自分の過去や現在を語りたがりました。そのお蔭で、貴女のことをたくさん知ることができましたね。生まれた島での幼少期、学生時代、島を出ての大学時代、そこで出会った将来の旦那さん、そして結婚……。話を聞くにつれて、貴女は、よくも悪くも立体感のある、生きた人間になっていきました。その影ですら、美しく愛おしく思えました。
対して、私は自分のことを語りたがりませんでした。いつも貴女が話し手、私が聞き手でしたね。
それは、ある意味では、自分の内面を守る意味もあったように思います。ずっと話を聞いていれば、自分の過去を晒すことはありませんもの。私は無意識のうちに、自分のことを見せないようにしていたのかもしれません。なにを考えているのかわからない、とよく言われ、それでけんかになったこともありましたね。
多分、私は「わかられたくなかった」のだと思います。
わかられてしまうのが怖かった。わかられた瞬間、自分が雪のように消えてしまうような気がして、怖かったのです。貴女にとっての私像を壊したくなかった。そんなもの、もともと存在しないのはわかりきったことなのに。
だから、貴女にとって私は、よくわからない、不確かな存在だったかもしれません。
そしてそれっきり、貴女はいなくなってしまった。
でも、私も、もうすぐ貴女のいる所に行けます。
だから、どうやったらそこで貴女に会えるかしら?
住所などはあるのかしら? 電話番号は?
などと、ばかなことを考えています。
ねえ、貴女は今どこにいるの?
今度は私のことを、じっくり、たっぷり、話したいの。
二〇××年十二月二十七日 初めて貴女の顔を見た場所で
みち拝
信子さま
◇ ◇ ◇
乗っていた電車に飛び戻り、過去の手紙の住所を頼りに辿り着いた場所、つまり未知子さまがかつて住んでいた場所には、確かに、その名のとおりのアパートが建っていました。
その向かいが小さな公園だったので、わたくしはこの手紙のうち数枚を、そこにあるベンチに座って読んでいました。
あるものは原稿用紙に、あるものは上品な便箋に、あるものは藁半紙に、それぞれ想いの丈が綴られていました。
古くなって読みにくいものや、水で濡れて滲んだものもありましたが、わたくしは読める限りのものを、砂浜で貝を探すようにように読み漁りました。
気がついたら、今度は、わたくしの涙で文字が滲み始めていました。
涙は止めどなく流れてきます。
手紙はそれを吸ってふやけ、文字もそこに溶けてゆきます。
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