第10章 命を燃やす作業
第46話
午前六時に目を覚まし、着替えを済ませてからリビングに向かった。シャッターをすべて上げ、外の光を室内に取り入れる。光合成をする植物みたいに一定時間太陽光を摂取したあと、一度大きく伸びをして、冷蔵庫からブルーベリージャムを取り出し、それを食パンの表面に塗って食べた。リィルはまだ起きてこない。本当に疲れていたようで、彼女が本当に疲れるのは、久し振りだった。彼女はいつも冗談で疲れているのだ。冗談で疲れる、の意味を考えようとしたが、考え出したら止まらないような気がしたから、意識的に思考回路をシャットダウンさせ、僕はソファに座ってコーヒーが入るのを待った。
昨日クレイルの家から帰ってきて、今日がその翌日だった。僕もそれなりに疲れているはずだったが、どういうわけか、いつも通りの時刻に目覚めることができた。人体とは不思議なものだ、などと考えたりするが、別に何も不思議ではない。規則的な生活を乱してまで休息をとるよりは、少しばかり疲れが残っていても、普段通りの生活を維持した方が良い、と判断したにすぎない。リィルはその反対だったというわけだ。そもそも、彼女の生活はあまり規則的ではない。寝坊することはあまりないが、昨日と今日とでは入浴時間が異なったりする(全然良い例とは思えないが)。
メーカーで抽出されたコーヒーを喉に通しながら、ぼうっと窓の外を眺める。昇り始めて間もない太陽が、一生懸命自身のエネルギーをほかの物体に分け与えようとしている様子が見えた。自分を犠牲にして相手に尽くすのが愛なので、地球は太陽に愛されているのだなと思う。
どうやら、考えなくてはならないことを考えるのとは、異なった思考回路が活性化されているようだ、と僕は自分の状態を認識する。
コーヒーのお陰で眠気が去ってきたところで、スイッチを切り替えて、僕は無理矢理回路の接続先を変更した。
今日は、まず、これまでの一週間の成果を報告するために、友人が経営する企業に出向かなくてはならなかった。本当は直接顔を出す必要はないが、最近彼に会っていなかったので、久し振りに会って話そうと考えたのだ。別に、話したいことなど何一つないが、会えば世間話の一つや二つは自然と思い浮かぶ。そんなどうでも良いことを話すために出向くのかと考えると、どうも気が乗らない気がしたが、まあ、会わないよりは、定期的に会った方が良いだろう、といった好い加減な判断のもと、今日の予定を変更するつもりはなかった。
リィルが僕に同伴するかは、今のところ分からない。一緒に来ても良いし、来なくても良い。来たところで何も変わらない。何も変わらないというのは少しおかしいが、肩の上に天道虫が乗っているか否か、というくらいの違いでしかないのは確かだ。それが原因で華やかな雰囲気が作られることはあるかもしれないが、僕と彼のやり取りにそんな雰囲気は必要ないのは明らかだった。
階段を下りる音が聞こえて、間もなくリィルがリビングに顔を出す。寝ぼけ眼で僕のことをじっと見つめ、彼女は何も言わずに大きく欠伸をした。そのままその場所に直立し、立ったまま再び眠ろうとする。僕はソファから立ち上がり、手を引いて彼女を無理矢理洗面所に連れていった。冷水で顔を洗うように指示し、僕は一人でリビングに戻る。
コーヒーを飲み終えたカップをキッチンで洗っていると、背後から亡霊のごとくリィルが姿を現した。
「何?」僕は尋ねる。
「私、今日、何を着ればいいかな?」
僕は正面に顔を戻し、カップをスポンジで軽く擦った。
「知らないよ、そんなの。自分で決めればいいじゃないか」
「君は、何を着てほしい?」
「僕が答えたら、君は本当にその通りにしてくれるの?」
「君が喜ぶというのなら」リィルは笑ったようだ。「私、何でも着るよ」
「じゃあ、袴で」
「は? 袴?」
カップを水切り台に置き、傍にあるタオルで濡れた手を拭く。リィルは暫くフリーズしていたが、突然頬を膨らませて、僕の背中に拳を突きつけてきた。
「何?」
「真面目に答えろ、真面目に」
「うん、そうだね」僕は適当にあしらう。「その前に、まずは、君が真面目な質問をしよう」
今日は、友人の所に行くつもりだ、と僕が話すと、リィルは行きたくないと言った。というわけで、彼女が服装に拘る必要はなくなったわけだが(少なくとも、僕が彼女の立場だったらそうだ)、どういうつもりなのか、彼女は出かける気満々な格好をしてリビングに戻ってきた。
「何、それは」僕は尋ねる。
「え? 何って、ドレスだけど……」
そのドレスは、彼女が持っている衣服の中で、間違いなく最高ランクに属するものだ。白いレース生地の清楚なドレスで、それ相応の場所に着ていかなければ、頭がどうかしていると思われるに違いない。
彼女の奇行を無視して、僕は自室へと戻った。出張先の仕事に集中していたので、その間に溜まったデスクワークをいくつか消費しなくてはならなかった。
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