第42話

 やがて森を抜け、市街地に到着した。湾曲した坂道を下りながら、海がある方へと向かっていく。道の左右には白い石材が使われた家が立ち並び、門の壁面に伝った蔦が潮風に揺れている。道には石畳が敷き詰められていた。両端に雨水が通る水路が形成されている。


 街の中央にある広場に至り、その辺りで少し休憩をすることにした。噴水を中心に、円周上に様々な店舗が軒を連ねている。僕たちはその内の喫茶店に入り、軽く昼食をとった。


 店自体は古風な雰囲気だったが、内装は近未来的なデザインになっていた。カウンターには大理石が使われており、椅子には滑らかな木材が採用されている。ボックス席のテーブルには立派なテーブルクロスがかけられていて、窓から差し込む光を柔らかに反射していた。


 窓際のボックス席に着いて、僕とリィルは荷物を下ろす。


 僕は、ホットコーヒーとサンドウィッチのセットを注文した。


「疲れた」机に肘をついて、リィルが呟いた。


「それ、いつも言っているね」


「そうだよ」彼女は話す。「いつもいつも、移動するのに時間がかかるんだから……。もう少し、近い場所の依頼を受ければいいのに……」


「僕もそうしたいところだけど、依頼人には僕たちの都合なんて関係ないからね」


「断れば?」


「そんなことをしたら、まともに生活できなくなる」


「じゃあさ、もう、いっそのこと、ほかの仕事を探そうよ」


「たとえば?」サービスで貰った水を飲みながら、僕はリィルに質問する。


「うーん、食べ物の宅配サービスとか」


「いやいや、言っていることがおかしいじゃないか」僕は指摘した。「移動するのが大変だから、ほかの仕事を探すという話をしているのに、自分から移動することを望むなんて、矛盾している」


「あ、そうか。じゃあ……、新しく、お店を開くとか」


「経営者になるってこと?」


「そうそう。そんな感じ」


「何を売るの?」


「何がいいと思う?」


「君が言い出したんだから、まず、君の意見を聞かせてよ」


「君さあ、私がどれほど頭の回転が遅いか、分かっている?」


「大いに」


「じゃあ、そんなにせかさないでよ」


「誰も、すぐに答えろとは言っていないよ」僕は言った。「ゆっくり考えてから、これぞという結論を導き出せばいい」


「よろしい。では、熟考して進ぜよう」


 そう言って、リィルは腕を組み、天井に目を向ける。


 リィルが無理に明るく装っているのは、僕にも分かった。それは僕も同じだ。彼女が明るく話そうとしていたから、僕もそれに応じた。無理にそうした雰囲気を作るのはあまり好ましいとはいえないが、気を遣ってくれたのなら、ありがたい、と僕は素直に思った。彼女は、こういった気遣いに関して、僕以上に優れている。本当は僕よりも自分の方が辛いはずだが、それを押し殺して気を遣ってくれたのだ。


 自分では気づいていないかもしれないが、僕はそれが彼女の美点だと思っていた。


 自分を殺して、他者に尽くすのは、愛の典型的な形だ。


 むしろ、愛とは、そう定義されるべきものだ。


 だから、それに応えるのも、一つの愛の形になると、僕は信じている。


 トレイを持った店員がやって来て、僕の前にカップと皿を置いていく。店員が立ち去ってから、僕は手を合わせて、サンドウィッチを口に運んだ。クレイルの家で食べていた料理とは、また違った趣向の味つけだ。どちらの方が美味しいということはないが、もう彼女が作る料理を食べられないと思うと、少し残念な気がした。


「で、何を売るのか、決まった?」


 二つある内、一つ目のサンドウィッチを食べ終えたタイミングで、僕はリィルに尋ねた。


「うーん……」リィルは唸る。


「何? そんなに考える必要があるの? まさか、本気で経営者になろうと考えているわけじゃないよね?」


「うーん」


「僕には、店を経営する気なんてないよ」


「そうかもしれないけど……」


「そんなに時間がかかるなら、もう考えなくてもいい」


「……どうしたら、予言書の半分のページが、読めるようになるんだろう……」


「え?」


 僕はサンドウィッチを口に運ぼうとしていた手を止め、リィルの顔を見た。


「……何?」


「予言書の、空白のページ」リィルは話す。「どんな条件が揃えば、読めるようになるのか、気になる」


 僕は持っていたサンドウィッチを皿に戻し、コーヒーを少量口に含む。


 思考が唐突に飛躍するのは、リィルの特徴の一つでもある。どういうわけか分からないが、彼女の脳にはそういった思考回路が存在しているようだ。たしかに、人間の脳は一貫して同じことを考えているわけではない。実際には様々なことを考えているが、情報を出力する際には、論理的な順番に話を整理して、脈絡を構築してから相手に伝えようとする。リィルの場合、その最後の工程がスキップされがちなのだ。思考の飛躍そのものの頻度が大きいのか、それとも、何の戸惑いもなく出力してしまうのかは分からないが、とにかく、先ほどの話題と異なる話題を唐突に持ち出すことは、彼女によく観察される現象だった。


「それについて、僕も色々と考えた」食事を中断して僕は話した。「一つ思いついたのは、ヘブンズを解析して得られたテキストと、何らかの関係があるかもしれない、ということだね」


 ヘブンズというのは、前回の依頼で訪れた施設に導入されていた、人工知性の名称だ。僕たちは、リィルの機能を用いてその人工知性を解析し、彼を記述する言語をテキスト化して入手した。その施設には、予言書の著者であるルルが関わっている可能性が高い。いや、間違いなく関わっているだろう。その施設は、予言書の内容を頼りにそれまで経営を行ってきたのだ。それらがまったくの偶然で、関係がないと考えることもできるが、何らかの関係があると考える方が自然だろう。


 ヘブンズを解析して得られたテキストについては、まだほとんど目を通せていない。外部に出向く以外にも、自宅で行う様々な作業が重なってしまって、纏まった時間をとることができなかったからだ。これから家に帰っても、充分な時間がとれるかは分からないが、暇があれば検証してみようと僕は考えていた。


「それを読んだら、何か分かるってこと?」


 テーブルの上で指を組み、その上に顎を載せたポーズで、リィルは僕に質問した。


「分かるかもしれないし、分からないかもしれない」僕は答える。「ただ、意味のないことはしないと思う。ルルは、そういう人物だよ。僕たちに気づいてほしいんだ。そこにどんな理由があるのかは、見当もつかないけど……」

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