第40話
食事が終了し、風呂に入る時間になった。僕は、今日はリィルに譲って、彼女に先に入ってもらった。
僕たちが風呂に入っている間、クレイルは食器を洗っている。ココとヴィは、僕たちが入る前に済ませていることもあるが、今日はまだだった。二人が自室に向かおうとしたところで、僕はココを呼び止めて、一緒に応接室に向かった。
彼女と二人で話すことについて、クレイルには許可を貰っておいた。してはいけない話をするわけではないが、本人の心的な負担を考えれば、あまり踏み入ったことは話さない方が良いからだ。
それでも、僕は、どうしても、彼女と話しておきたかった。
その気持ちを抑えられなかった。
それは、彼女の瞳が青く輝いているように見えたからかもしれない。
応接室の革張りの椅子に向かい合って座り、僕とココは暫くの間沈黙していた。ココは顔を上げて、天井や壁に視線を巡らせている。彼女は、僕との距離感を、適切な具合に調整してくれたみたいだった。距離感というのは、物理的なものではなく、人と人との間を取り持つ空気のことだ。
「君と、どうしても話したかったんだ」身体を少し前に乗り出して、僕は話を切り出した。「本当は、事前に伝えておくべきだったけど……、断られるのが怖くて、無理矢理呼び出してしまった。もし、気分を害したのだなら、謝るよ」
僕がそう言うと、ココは首を左右に振り、それから、大丈夫です、と消え入りそうな声で呟いた。
手脚の細い華奢な身体が、少し大きめの椅子に包まれるように乗っている。
ココの姿を遠目に眺めながら、僕は彼女を綺麗だと感じた。
それは、恋愛感情とは異なる。
そういう生命の在り方を、美しいと、不謹慎ながら感じてしまったのだ。
自分勝手だと思った。
「僕はね、君のお母さんが伝えたいと思っていたことを、ずっと無視していたんだ」僕は話した。「言ってしまえば、そうすることで、自分が守られると思っていた。色々な理由をつけて、それを正当化した。でも、本当に危ないところまできて、自分の過ちに気づいたんだ。リィルに教えてもらってね……。……人が話す言葉は、一つ一つ区切ってはいけない。それは、言葉を扱う僕たちにとって、一番重要なことなんだ。それは、なんとなく分かってくれる?」
ココは首を傾げたが、小さく頷いた。
「それと同じように、僕たちと、この家の人たちとの関係も、区切らないでほしいんだ」言葉を選びながら、僕は言った。「自分勝手な要望だとは分かっているけど、でも、ここで一緒に過ごしたことは、君たちのためにも、僕たちのためにもなると思う。僕は君とあまり話せなかったけど、短い間でも、リィルと一緒に遊んだことや、僕と出会ったことは、覚えておいてほしい」
ココは静かに口を開く。
「でも、私、もうすぐいなくなるんです」
僕は頷いた。
「それでも、覚えておいてほしいんだ」
ココと長い間見つめ合ったのは、初めてだった。
そのとき、僕は、彼女が意思の強い子だと、認識を改めた。
身体が弱くても、強い精神があれば、人は強くなれる。
本当は、そんなことは、都合の良い解釈だと分かっていた。
僕は、今、命を落とそうとしている者に、自分勝手な気持ちを押しつけている。
それでも、そんな自分の気持ちを彼女に伝えることには、意味があると思いたかった。
「分かりました」やがて、ココは静かに頷いた。「全部、覚えておきます」
ココと一緒に階段を上がって、廊下で彼女と別れた。おやすみなさいと呟いたココの表情は、どこか寂しげだったが、それでも、少しだけ明るさを伴っているように見えた。
自分の部屋に入り、ドアを閉める。
部屋の照明は点けずに、僕は窓の傍に近づいた。
雨はいつの間にか止み、窓の外には綺麗な星空が広がっている。
たとえ命を落としても、ココが星になることはないだろうと僕は思った。
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