第39話
*
僕たちと食べる最後の夕飯だからなのか、クレイルはいつも以上にメニューの数を増やしてくれた。しかし、この場には多く食べる者はいない。リィルはそもそも食事をとらないし、僕もどちらかというと少食だ。ヴィはバランス良く何でも食べるが、ココは病気のため食事の量は少ない。クレイルも平均的な量に留まっている。
数が増えただけではなく、メニューの質も上がっていた。一言でいえば、豪華ということだ。普段あまり目にしない食材が使われており、明らかに一般的な料理とはかけ離れている。僕は食に興味がないので、何の食材が使われているか分からない。ただ、異国のものと思われる色彩豊かな野菜や、鶏や牛のものではない肉、それから普通とは形状の異なるパンなど、とにかく色々なものがテーブルの上を彩っていた。
僕たちのために、クレイルは飲み物も用意してくれた。僕はアルコールは飲めないので、ソフトドリンクが何種類か用意されていた。もっとも、クレイルも普段からアルコールは口にしないらしいので、たとえ飲みきれなくても、不都合になることはない。
サラダを皿に取り、僕は一先ずそれを食べる。食事をする際には、食物繊維、蛋白質、糖質の順番で食べると身体に良いらしい。どういう理由でその順番が推奨されているのかは知らないが、僕にはその順番で食べる習慣があった。
寸前まで気が乗らなかったみたいだが、リィルもこの場には顔を出した。何とかして感情を押し殺そうとしていたが、リビングに入ると、少なくとも、表面上はいつも通りの彼女に戻った。リィルはココとヴィにも何気ない様子で接し、彼女たちもそれに応えてくれた。クレイルも、いつもと変わらない笑顔を浮かべていて、昨日と違う空気はどこにも感じられなかった。
けれど、本当は、何もかもが違う。
僕たちは、クレイルではなく、ココがこの世を去ることを知ってしまった。考えてみれば、その差異は不思議なものだ。僕たちは、クレイルが危篤の状態だと知らされていたのであり、それがココに変わったところで、この場から一人いなくなることに変わりはない。自分と同年代か、それよりも上の者が死去するよりも、自分より年下の者が死去する方が、なぜか悲しみが増すような気がする。残りが短い命が失われるよりも、長い命が失われる方が辛いというのは、酷く打算的で、人間的な判断とはとてもいえない。
「ねえ、リィル」考え事をしながら料理を食べていると、前方に座るヴィがリィルに声をかけた。
「何?」リィルは応える。
「リィルたちは、本当に、明日、帰っちゃうの?」
「うん……。寂しいけど、そういう約束だからね」
「……また、会えるよね?」
リィルは一瞬考えるような素振りを見せたが、すぐに笑顔に戻って答えた。
「うん、きっと」
「また、一緒に、追いかけっこしたり、トランプしたり、できる?」
「できるよ。また、会おうね」
「うん……」
たった一週間でも、人と人との関係は、それなりに強い力を持って結ばれるようだ。ここに来るまでは、彼女たちとここまで深い関係を築けるとは、僕は考えていなかった。深い関係というのが、平均的にどの程度を指すのか分からないが、少なくとも、僕にはそれが単なる社会的な関係ではないように思える。相手は依頼人で、僕たちは仕事を任されて来た身だったが、今はそんな意識は薄らいでいるように感じた。
僕の隣で、ココがパンが盛られたバケットに手を伸ばす。
バスケットは彼女から離れた位置にあったから、僕はパンを一つ取って、それを彼女に渡した。
ココは、それを受け取り、ありがとう、と一言呟いた。
彼女の病気について誰も触れないのは、モラル的な遠慮というよりも、この場にいる全員がそれを知っていることによる、一種の団結のように思えた。団結というと大袈裟だが、全員が情報を共有しているのであれば、あえてそれに触れる必要はないといった、暗黙の了解のようなものだ。それはココに対する思いやりでもある。自分が原因で皆に心配をかけるのは、あまり良い気持ちがするものではない。
「パン、美味しい?」
何も話さないのも苦しかったから、僕は彼女に当たり障りのない質問をした。最初に一緒に食事をしたときにも、同じような質問をしたことを思い出して、僕は少し恥ずかしくなった。
「うん、美味しい」
ココは、頷きながら、呟く。
「僕はね、パンは、やっぱり、そのまま食べるのが一番だと思うんだ」恥ずかしさの反動か、僕はどうでも良いことを話し始めた。「ジャムとか、玉子とか、パンに合うものは沢山あるけど、素材そのものの良さを味わおうとする方が、趣があるよね」
ココは頷く。
「君も、そういう考えに基づいて、そのまま食べているの?」
僕が尋ねると、ココは少し首を傾げた。目を天井にやり、そのまま数秒間固まる。
「えっと……。うーん、単純に、そのまま食べた方が美味しいから、だと思う」
「うん、気が合うね」
「そう、かな……」
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