第38話

 午前の作業が終了して、僕とクレイルは応接室を出る。


 クレイルは、もういつも通りの笑顔に戻っていた。


 ココの様子を見てくると言って、クレイルは二階に上がっていく。ココは自室で休息しているようだ。日によって体調が変わるみたいで、リィルやヴィと一緒に遊べていたのも、偶然にも体調が良かっただけみたいだった。考えてみれば、彼女は食事もあまりとらなかったし、落ち着いていたのも、そうした事情が関わっていたからかもしれない。


 戻ってきたクレイルにヴィを任せて、僕はリィルを家の外に連れ出した。意味もなく草原を進みながら、先ほどクレイルから聞いた話を僕は彼女に伝えた。


 リィルは、驚いた様子を見せると、途中から、ぼろぼろと大粒の涙を零し始めた。


「なんで、ココがそんな目に遭わないといけないの?」彼女は感情的な声で言った。


「理由なんてないよ。生まれたときから、そう決まっていたんだ。仕方がない」


 リィルは僕を睨みつける。


「仕方がないって……。そんな言い方はないでしょう?」


「でも、そうじゃないか。それとも、君にはどうにかできるって言うの?」


「それは、そうだけど……」


 リィルは黙り込む。


「僕たちにできるのは、最後まで仕事を全うすることだ」僕は言った。「残された時間、二人と親交を深めるのも、立派な仕事だと思うよ」


 リィルは頷く。


 足を動かしながら、彼女は呟いた。


「……ココ、私には、何も言わなかった」


 僕は彼女を見る。


「クレイルに、口止めされていたんだ。本当なら、彼女が僕に伝えるはずだった」


「君のせいじゃないよ」


「それは違う。僕が選んだ行動が、この結果を引き起こしたのは事実だ。それは反省しないといけない。そうしないと、また同じ過ちを繰り返すかもしれないから……」


「でも……」


「気がついたのは、君のお陰だよ。感謝している。どうもありがとう」


 リィルは応えなかった。


 森に至る前に来た道を引き返し、僕たちは家に戻った。自分たちの部屋に入り、ドアを閉めて布団に横になる。暫くの間、リィルは窓際に座って外を眺めていたが、梯子を上ってベッドに倒れ込むと、そのまま眠ってしまった。僕は、特に眠たくはなかったから、目を開けたまま上を見ていた。


 暫くすると、ドアの外で音がした。僕は身体を起こして、部屋のドアを開ける。廊下の向こうからココが歩いてきていた。表情はどちらかといえば暗く、体調はまだ優れていないようだ。


 僕がいるのに気づいて、彼女は途中で立ち止まった。


 僕は彼女に声をかける。


「大丈夫?」


 僕の問いを受けて、ココは微細な動作で頷く。


 僕は、クレイルから事情を聞いたことについて、彼女に伝えた。僕の話を聞いても、ココは表情を変えなかった。本当なら最初からそうなるはずだったのだから、今さら驚くようなことではないと考えているのかもしれない。それとも、自分の病気について他者に触れられることに、良い印象を抱いていないのかもしれなかった。


「……私は、平気です」小さな声で、ココは言った。「それと、もう長くないことも、知っています」


 僕は黙る。


「自分が、お母さんの本当の子どもじゃないことも、分かっています。でも、お母さんが、私を一生懸命育ててくれたことも、本当です」


「君は、死ぬのが、怖くないの?」


 口にしてはいけないと分かっていたが、僕はココに尋ねた。事実を知っているにも関わらず、彼女があまりにも落ち着いているように見えたからだ。初めて会ったときに僕が抱いた印象と、今の彼女は大分違っていた。何もかも諦めているように、そのときの僕には見えてしまった。


「怖くはないです。あまり、苦しまないみたいだから……。苦しいのは、生きている間だけだって、お医者さんが言っていました」


 彼女は、自分がやがて死ぬことを、どれくらいの頃に知ったのだろう、と僕は考える。あまりにも幼い頃に知っても、それがどんなことか理解するのは困難なはずだ。


 ココは僕をじっと見つめる。


 それから、彼女は少しだけ笑った。


 僕が、初めて見た笑顔だった。


「気にしてくれて、ありがとう」


 僕はどうにか頷く。


 ココは階段を下りて、僕の前から姿を消した。


 部屋に戻り、僕は再びベッドに寝転がる。


「彼女、何て言っていた?」


 リィルの声が聞こえて、僕は頭上に意識を向けた。


「なんだ。起きていたの?」


「辛そうじゃなかった?」


「辛そうには、見えなかったかな……」


 一緒にいる時間が長かったからこそ、リィルは今はココと顔を合わせたくなかったのかもしれない。そういう意味では、僕はココと話すことにあまり抵抗はなかった。


「私、彼女に、何て言えばいいかな……」


「さあ……」


「さあって何?」


「いや、ただの、相槌」


「ああ、どうして、私がこんな気持ちにならないといけないんだろう……」リィルは話す。「私が死ぬわけじゃないのに……」


「辛いの?」


「ココよりは辛くないよ」


「じゃあ、いいじゃないか」僕は言った。「別れたくないって、素直に言えば、きっと喜んでくれるさ」


「そんなこと、言えるわけないじゃん」


「もしかして、泣いているの?」


「泣いていないと思っているの?」


 リィルの声はどこか籠もっている。顔を毛布に押し当てているみたいだ。水分が吸収される内は良いが、飽和量を超えてしまったら、ここまで涙が零れてくるのではないか、と僕は少し心配になった。


 正直なところ、僕はココではなく、クレイルのことを考えていた。彼女が泣いていた姿が、どういうわけか、ずっと忘れられなかった。いつも笑っていたクレイルは、涙を流すときも笑顔だった。その表情が、網膜に張り付いて消えてくれない。きっと、これからもずっと記憶に残り続けるだろう。


「私、今日は、もう、寝ようかな」


 リィルの声が聞こえる。


「最後の夜なのに、いいの?」


 ココにとっての最後の晩餐は、いつになるのだろうと、僕は考えた。

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