第37話

「私からのお願いがあります」クレイルは言った。「貴方には、最後まで手紙を書いてもらいたいのです。私には、ココの両親に、彼女がどのように育ってきたのか、お伝えする義務があります。そう約束したんです。ココは、私の死んでしまった子どもの代わりだった。ずっとそうでした。だから、私にとっても、彼女の両親にとっても、私がココの世話をすることは、お互いのためだったのです。本当は、彼らも自分たちの手で彼女を育てたかったでしょう」


 僕は黙り込む。彼女の要求に、すぐに応えられなかった。


 ただ……。


 僕の本心は決まっていた。


「お願いできますか?」


 クレイルは僕に尋ねる。


「分かりました」僕は頷いた。「手紙は最後まで書きます。もちろん、貴女がたが行った過去の取り引きについても、黙っているつもりです」


「そうして頂けると、助かります」


「ただし、一つだけ質問させて下さい。これは僕の単なる好奇心です。だから、本当は答えて頂く必要はありません。でも、どうしても気になってしまうんです。自分勝手なお願いをすることを、許して頂けますか?」


「ええ、分かりました。答えられることなら、答えます」


「ヴィは、ココが自分の姉ではないことを、知っているんですか?」


「いいえ、知りません」クレイルは首を振った。「でも、それは重要なことではないわ。彼女が疑問を持って、私に尋ねてきたら、答えるつもりではいます。自分の姉がもうすぐいなくなることも、彼女は理解しているはずです。死ぬというのが、どういうことか理解できていないだけで、ココが病気を患っていることも、ヴィは知っています」


「貴女から聞いたことを、リィルに伝えてもいいですか?」


「ええ、彼女以外の者に他言しないというのであれば、構いません」


 僕は頷いた。


「分かりました。それだけです」


 僕の返答を聞いて、クレイルは首を傾げて笑う。


「本当に、優しい方ですね」彼女は言った。「あの二人のことを、考えてくれているのね」


 僕は、そうは思わなかったから、何も応えなかった。


 自分が優しいとは、僕には思えない。クレイルの言葉の意味を無視しようと考えた時点で、僕に優しさがないことは証明されたも同じだ。ココやヴィを始めとして、この家庭の事情が気になるというのも、きっと、自分の立場に危険が及ばないようにしたいという欲求の裏返しだ。優しさなど僕には微塵もない。


 それでも、クレイルにそう言ってもらえたのは、純粋に嬉しかった。そして、彼女が心から二人を愛していることを知れて、良かったと思った。


 閉ざされた応接室の中、僕はクレイルと最後の執筆作業を行った。手紙を書くこと自体は、おそらく今日ですべて完了する。明日は主に確認をすることになるだろう。


 クレイルが話す内容を、僕はきちんと理解して、文字を一つずつ記していった。そうすることは、やはり辛かった。けれど、辛い思いをするのも、悪くはないと思うことができた。また、僕は、初めから辛いことから逃げていたのだ、とも感じた。作業の効率を良くするためとか、知らなくて良いことは知らなくて良いとか、そんな都合の良い理由を考えていたが、結局のところ、僕が一番恐れていたのは、自分が傷つくことだったのだ。それしか考えていなかった。


 ココの人生を振り返りながら、それを文章の形にしていくという作業を通しても、クレイルがどれほど心を痛めているのか、僕には理解することはできない。辛いのは分かるが、どのような辛さなのか、考えても分からない。ただ、彼女と一緒に作業をすることで、少しだけ親の気持ちを垣間見れたような気がした。それは幻想でしかないかもしれないが、それでも、クレイルと一緒に過ごした時間が、僕には価値があるように思えた。

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