第27話
クレイルが淹れてくれた紅茶を飲みながら、僕たちは全員でお茶をした。彼女が焼いたクッキーもあって、如何にもこの家にぴったりな感じだった。もっとも、リィルだけは何も口にしていない。しかし、そんな光景も大分この空間に溶け込んでいて、彼女だけが浮いているという感じはしなかった。
お茶が終わると、僕とリィルは一緒に自室に戻った。僕はベッドに腰を下ろす。この部屋には、デスクとセットになった椅子が一つしかないから、僕は基本的にベッドに座ることが多い。
リィルは、部屋にある唯一の椅子を窓際に運んで、そこに腰かけた。
「今日は、どうだった?」
ほかに何も思いつかなかったから、僕はどうでも良いことを質問した。
「うん、まあ……」窓の外を見ながらリィルは答える。「普通だったかな……」
ベッドに座ったまま、僕はリィルの姿を観察した。彼女は椅子を壁に並行になるように配置し、そのまま正面に身体を向けている。首を九十度捻り、窓の外をぼうっと眺めていた。本当は、そんな正確な数値ではないはずだが、どういうわけか、僕にはそんなふうに見えてしまった。
リビングでは、ココやヴィと楽しそうに話していたリィルだったが、部屋に戻ってくるなり、意気消沈したように口数が少なくなった。もっとも、楽しそうにといっても、彼女の本領の百パーセントが発揮されていたわけではない。どちらかというと、リィルは感情の起伏に激しい方だ。まあ、比較対象は僕くらいしかいないから、僕以上にはという意味だが……。
「何かあったの?」
彼女が何も話さないから、僕はさらに彼女に尋ねた。
「え?」リィルはこちらを向く。「何がって、何?」
「何か、考え事をしているみたいだったから、訊いてみただけだよ」
僕がそう言うと、リィルは再び窓の向こうに目を向けた。
リィルの場合、考え事をしていると、ほかの挙動が鈍くなる傾向がある。考えるときは脳に送るエネルギーの配分を多くし、ほかの器官の動きを抑制することで、負荷がかからないようにしているようだ。僕もそのタイプに近いが、完全に動きが停止することはない。リィルは、天井に目をやったり、そのまま固まったりするから、考え事をしているときはすぐに分かる。
「たしかに、考えていることはあるけど、まだ確証はないから、黙っておく」暫くの沈黙のあと、リィルは言った。「何でもないことだったら、余計な心配をかけるだけだから……」
「それは、そんなに重要なではない、ということ?」
「現段階では、そう」
「じゃあ、後々重要になる可能性があるってことだね?」
僕が尋ねると、リィルはゆっくりと頷いた。
昨日のリィルには、このような状態は見られなかったから、今日になって起きた変化、あるいは、今日になって彼女が気づいた事柄によって、このような状態が引き起こされたと考えられる。つまり、僕がクレイルと作業をしている間に、リィルの身辺で特異な事象が発生したか、もしくは、かつて発生した事象を、今日になって彼女が認識したことになる。
「分かった。でも、何かあったら、教えてね」
リィルは向こうを向いたまま頷く。
ベッドの上で横になって、僕は瞼を閉じた。疲労は感じていなかったが、少し休んでおこうと思った。最初から七日間の作業を想定していたから、五日で終わるはずのものが終わらなくても、気力が保たないということはない。ただ、これからラストスパートを迎えるわけだから、意識的に休息をとって、余裕を持って事に当たれるようにしようと考えた。
一端頭をリセットして、何も考えないように努力する。それから、自然と思い浮かぶ事柄について、思いつくままに考えてみる。
リィルは、基本的に、どんな些細なことでも、深く考えようとすれば深く考えられる。自分の生活に直接関わらないことや、私生活で意識しないことについて、多くの人間はあまり考えたがらない。哲学とか、宗教とか、そういうものが例として挙げられるが、そうしたものと日常的に関わりのない者は、話を振られても多少意見を述べる程度で、真剣に議論に参加するのを拒む傾向がある。けれど、リィルは違った。僕が話を振れば、大抵の場合それについて真剣に考えようとする。それが自分とは距離のあることであっても、一度思考を集中させて、何らかの結論を出そうと努力する。どちらかというと、僕もそうだ。だから僕と彼女は気が合ったのかもしれない。
リィルが今考えていることは、どんなことだろう、と僕は想像する。事の程度は分からないが、少なくとも、国や世界を範囲に含めたものではないはずだ。ココやヴィ、それからクレイルといった、ごく僅かな人間で構成された社会に関する問題の可能性が高い。あるいは、僕と彼女の関係に直接関わりのある問題の可能性もある。いずれにせよ、小さな社会の中で生じた問題について、彼女は思考を巡らせているのだ。
現段階では重要ではない、という言い方も気になった。それは、先ほども言ったように、後々重要になる可能性もあるということだ。
まあ、リィルが一人で考えている内は、僕がいくら尋ねても、彼女は答えてくれないだろう。
だから、この問題については、一端保留することにした。
そう決めたのだが……。
「ちょっと、外に行こう」
リィルの声が聞こえたから、僕は瞼を持ち上げた。見ると、すぐ傍に彼女の顔があった。
僕は身体を起こす。
「え?」
「散歩、しようよ」
「まあ、いいけど……」僕は彼女の顔を見つめる。「散歩って、どこへ?」
「どこでも。とりあえず、外に出たい」
「もう、暗くなるけど、いいの?」
「君は?」
「僕は、大丈夫」
「じゃあ、行こう」
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