第24話

 夜に近づくにつれて、この辺りは暗くなる。暗くなるのはどこでも同じだが、周囲に人家がない分、より一層闇の濃度が増す。部屋の照明を点ければ問題ないが、窓の外を見ても、もう先の様子はほとんど窺えない。


 生活するだけなら、これ以上ないくらい良い空間だ。不便な部分もあるが、対処できないわけではない。都会にいて、静かな環境を持ってくることはできないが、静かな環境下で、必要なものを届けてもらうことはできる。そう考えると、僕たちが住んでいる場所よりも、こちらの方が優れた条件下にあるのかもしれない。少なくとも、ココやヴィがほかの人間と異なった環境で育ったことは、将来の二人にプラスの影響を齎すだろう。


 今日は僕の方が先に風呂に入ることになった。


 階段を下りて、洗面所に向かう。浴室の扉を開け、湯船に浸かった。


 自然とルルのことを思い出した。


 予言書がルルからのメッセージだとすれば、そこには何らかの内容があるはずだ。当たり前だが、もしそうであれば、僕たちはそれが何か確認する必要がある。しかし、今のところ確認する方法は考えられていない。何らかの方法で予言書を調べなくてはならないが、その方法が分からない。


 ルルは、どうして、僕たちにそのメッセージを伝えようとしているのだろう?


 そして……。


 それ以前の問題として、ルルは本当に存在しているのか?


 分からないことだらけだった。逆に、分かることだらけの場合など滅多にない。そして、リィルと出会ってからというもの、僕の周りでは分からないことばかり目立つようになった。その中には解決したものもあるが、一つが解決すると、次が分からなくなることがほとんどだ。生きていくとは、日々直面する問題を一つずつ解決していくのと同義だが、それにしても、解決しなくてはならない問題の数が、すでに飽和しているように思える。


 本当のところ、解決しなくてはならない問題というのは存在しない。僕が意識的にそれらを避ければ、何も考えなくて済む。解決しなくてはならないと感じるのは、僕の性分も大きく関係している。一度それを問題だと認識してしまうと、どうしても解決したくなってしまうのだ。普段は、そうした状態に陥らないように、やはり意識的に問題との直面を回避している。けれど、ルルやリィルに関することについては、その意識がはたらく前に、問題を問題として捉えてしまう傾向にある。


 それは、ルルやリィルの存在が、僕にとって大きいということでもある。


 自分の人生の中で、彼女たちは重要なファクターとしてはたらいている。


 ルルからのメッセージを、僕たちは解き明かさなくてはならない。


 そのゴールには、きっとルル本人がいる。


 理由は分からないが、僕にはそう思えた。


 風呂から出てリビングに向かうと、クレイルが料理を作っていた。ココやヴィの姿は見当たらない。二階の部屋にいるのだろう。


 クレイルに許可をとって、冷蔵庫からお茶が入ったボトル取り出し、コップに注いで飲む。キッチンに立つクレイルの姿は、どこか家庭的な雰囲気で溢れていた。エプロンを付けているからかもしれない。それ以前に、彼女の柔和な性格がそう感じさせるというのもある。


「夕飯、楽しみにしていますね」


 社交辞令のつもりで、僕はクレイルにそう伝えた。


 彼女はこちらを振り向き、僕に笑いかける。


「ええ、そう言って頂けると、嬉しいわ」


 キッチンを出て、自室に戻った。


 もう一人風呂に入るくらいの時間はあったが、リィルは、本を読んでいて、食事のあとで入ると話した。昨日と立場が逆だ。こういうことは割と頻繁に起こる。人と人との関係は、互いに影響し合って形作られるものだから、特に不思議ではないかもしれない。


 リィルはデスクの前に座っている。彼女が行儀良く座っているのを、僕は久し振りに見た気がした。


「何?」


 ベッドに座って後ろ姿を眺めていると、リィルはこちらを振り向いた。


「いや、何も」僕は答える。


「何か、変なこと考えていたでしょう」


「変なこと?」僕は首を傾げた。「何も、考えていないけど」


「今日の夕飯、何だと思う?」リィルは突然話題を変える。


「さあ……。まあ、たぶん、昨日と同じではないだろうね。彼女、豊富なバリエーションを持っていそうだから」


「秋刀魚の塩焼きは、ありそう?」


「いや、だから、それはないと思うよ」僕は言った。「君さ、なんで、そんなに秋刀魚に拘るわけ?」


「え、だから、格好良いから」


「何が?」


「フォルムが」


「それについて、一日考えてみたんだけど、やっぱり僕には理解できない」


「そんなこと、考えていないでしょう?」


「うん、そうだけど、考えても、理解できなかったと思う」


「秋刀魚と鮪だったら、秋刀魚の方が、圧倒的に格好良いでしょう?」リィルは説明した。「秋刀魚のしゅっとした体型が、私にはぴったりなの。鮪って、どっちかっていうと、割とふっくらしているじゃない? そうじゃなくて、魚らしい、鋭利な感じの方が、心にぐっと来るっていうか……。それが、私が秋刀魚が好きな理由だよ」


「ごめん、全然分からなかった」


 僕がそう言うと、リィルは若干目を釣り上げた。


「君さ、私の話聞いていなかったの? 今、ちゃんと、説明したじゃん」


「説明されたけど、その説明の意味が、理解できなかったってことだよ。適当な順番に単語を並べて文章を作ったら、単語の意味は分かっても、文章の意味は分からないだろう?」


「私の説明が、文章になっていないって言うの?」


「うん、まあ、そう」


「酷い」リィルは勢い良く顔を背ける。「まったく。人が一生懸命説明しているのに」


「君さ、何をそんなにかっかしているわけ?」


「していないから!」


「しているよ」


 危険な感じがしたので、僕はそれ以上彼女には触れなかった。

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