第22話

 正午を過ぎた頃、玄関の方から音がした。そして、間髪を入れずに、応接室のドアが開かれた。


 僕とクレイルは同時に顔を上げ、部屋の入り口に顔を向ける。


 リィルが、息を切らして立っていた。


 見ると、服や、顔が、汚れている。


 汚れの原因は、土だけではない。


 乾いた血が付着しているのが分かった。


「ヴィが、怪我をしてしまって……」


 リィルは震えた声で呟いた。


 クレイルは立ち上がり、応接室を出ていく。リィルも彼女と一緒に部屋を出ていった。少し遅れたが、僕も二人のあとについて玄関に向かった。


 玄関のドアを入った辺りに、ココとヴィが立っていた。ヴィの衣服に付着した泥を、ココが叩いて落としている。しかし、二人とも泣いている様子はなく、いたって冷静な表情で状況に対応していた。


 クレイルがヴィに近づき、様子を観察する。怪我は大したものではなく、腕と脚の一部を擦り剥いた程度だった。


 ヴィの世話をするとき、クレイルは終始笑顔だった。


 ヴィも、何ともないような顔で、母親の顔を見つめていた。


「大丈夫?」


 クレイルは、手を伸ばしてヴィの頭を撫でる。


「あのね、木に上っていたら、落ちちゃって……」ヴィは説明した。「それで、でも……、そのお姉さんが、助けてくれた」


 そう言って、ヴィはリィルを指差す。僕とクレイルは彼女に視線を向けたが、リィルはきょとんとした顔で固まっているだけだった。


「落ちそうになったのを、下で受け止めてくれたんだよ」今度はココが言った。「だから、ヴィは怪我しないで済んだ」


「そう……」クレイルは頷く。「貴女たちが無事で、よかったわ」


 ヴィを風呂場に連れていき、クレイルはヴィの怪我の手当てを始めた。その間、僕はリビングでリィルの方の手当てを行った。先ほどは、彼女は怪我をしていないと思ったが、見ると、腕に少し深い傷ができていた。ただ、もう血は出ていない。彼女の体液はそれなりに早く乾く性質を持っているようだ。リィルには、赤、青、そして黄色の体液が流れているが、今回欠損した管は赤色の体液が流れるもので、色々な意味で不幸中の幸いだった。


 消毒液を借りて、ガーゼを使って僕はそれをリィルの肌に押し当てる。


 彼女は少し顔を顰めたが、声は上げなかった。


「大丈夫?」僕は尋ねる。


 リィルは黙って一度頷いた。


 リビングのドアが開いて、ココが室内に入ってくる。その後ろからクレイルとヴィも姿を現した。僕が治療セットをクレイルに手渡すと、今度は彼女がヴィの消毒を始める。


 僕とリィルは彼女たちから少し距離を置いて、話した。


「それにしても、君が転んだのは、どういうこと?」僕は質問した。


「え、いや、えーと……」リィルは答える。「実は、わざと転んだ」


「え? どうして?」


「危なかったからだよ。そうしないと、衝撃が大きくて、ヴィの怪我が酷くなりそうだっ

たから……」


「なるほど」


 リィルの身体には、万能のスタビライザーが搭載されている。そのため、相当な衝撃が加わらない限り、彼女は転倒しない。落ちてきたものを受け止めたり、ちょっとした石に躓いたりしただけでは、バランスを崩すことがあっても、そのまま踏ん張ってすぐに体勢を立て直す。だから、彼女が転んで怪我をしたというのは、僕には疑問だったのだ。


「木って、どのくらいの高さ?」


 治療されるヴィを遠目に見ながら、僕はリィルに尋ねる。


「そんなに高くないよ。せいぜい、私の背より、少し高いくらい」


「上りたいって、二人が言ったの?」


「うん……。危ないから、やめた方がいいって言ったんだけど、どうしてもって言うから……」


「阻止できなかったのは、君の責任かもね」


「うん……」


「いや、冗談だよ。クレイルがどう思うは分からないけど、うん、僕は、そんなふうには思っていないから、安心して」


「じゃあ、最初からそう言ってよ」


「たしかに」


 傷の手当てが終了し、ヴィは椅子から立ち上がった。特に痛みを感じるわけではないらしい。風呂に入るときに痛むかもしれないが、怪我の程度を見る限りすぐに治るだろう。


 ゆっくりとした足取りで、ヴィが僕たちの方に近づいてくる。


 それから、彼女はリィルに向かって軽く頭を下げた。


「迷惑をかけて、ごめんなさい……」


 呟くように小さな声だったが、今まで聞いた中では、僕には一番感情が籠もっているように聞こえた。


 リィルは、戸惑いながらも、ヴィの謝罪に応える。


「いや、私の方こそ、うん……、怪我させちゃって、ごめんね」


「今度から、気をつけます」


「うん、気をつけて」


 ヴィはクレイルの傍に戻っていく。彼女は笑顔でヴィの頭を撫でた。

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