第5章 封筒に仕舞う作業

第21話

 次の日も、朝食をとったあと、僕とクレイルは応接室に移動して、遺書の執筆を行った。二日目にしてクレイルも段々と慣れてきたようで、僕が書く速度と彼女が話す速度は、適切な具合で合うようになった。僕の方も万年筆の使い方には慣れ、昨日よりはインクを付ける頻度が小さくなった。文字の大きさやインクの厚みも一定になってきて、着実に進歩しているのが実感できた。


 リィルは、昨日話していたように、クレイルに許可をとって、子どもたち二人と外へ出かけたようだ。玄関を出る際、ココとヴィは不安そうな顔をしていたが、リィルは二人の面倒を上手く見れているだろうか。草原で遊ぶのは大変そうだから、森まで行ってくるとリィルは話していたが、その分怪我をするリスクは増えることになる。まあ、何だかんだいってリィルは運動神経が良いし、大事には至らないと思うが……。それに、ココもヴィも長い間ここで暮らしているのだから、当然外で遊ぶ機会もあっただろう。


 羊皮紙が二枚埋まったタイミングで、僕とクレイルは少しだけ休憩した。昨日は同じ分量を書くのに三時間を要したが、今日は二時間ほどで終わった。


「体調は、大丈夫ですか?」


 持ってきてもらった熱いお茶を飲みながら、僕はクレイルに質問した。


「ええ、お陰様で」彼女は微笑む。「私、これでも、もうすぐ最期を迎えるとは思えないくらい元気なんです。毎日きちんと家事もできているし、このままなら、もう少し長生きできるのではないかと考えているくらい」


 僕には、それが強がりであることが分かった。家事も、子どもたちの世話も、彼女は無理をして行っている。本当は辛いはずだ。けれど、辛いと正直に言えない気持ちも、僕にはなんとなく分かった。僕も無理をしてしまう質だし、他人に心配をかけたくないとは常々思う。


「……彼女たちは、どこまで知っているんですか?」


 カップをソーサーに戻す素振りとともに、僕はそれとなく質問した。


 クレイルは、反対に、カップを持ち上げ、それを一口飲む。


 目を伏せて、喉に液体を通す表情。


 お茶を飲み終えた彼女と、僕は自然と目が合った。


「まだ、何も話していません」クレイルは言った。「でも……。ええ、そう、あの子たちは、もう気づいていると思います。私が言うのは変かもしれませんけど、なかなか賢い子たちなの。昔からそうだった。二人とも、私の言うことをよく聞いてくれる。きっと、私一人で世話をしなくてはならないから、色々と考えてくれたのね」


「伝えなくて、いいんですか?」


 それは、僕が言うべき言葉ではないと分かっていたが、僕はあえて尋ねた。クレイルなら許してくれると思ったからだ。


「ええ、そうね……」クレイルは、僕に笑いかけてくれた。「本当は、伝えるべきだと分かっています。でも……。やっぱり、なかなか伝えられないんです。どう言ったらいいのか分からない。いえ、本当は分かっている。本当のことを、正直に言えばいいのですからね。それでも、言えない。私は、あの子たちとは違って、弱い人間なんです。身体も、心も、弱い。だから、あの子たちを置いて、先に行ってしまうの」


「……遺書は、そのために、書いているんですか? その、つまり……、自分が死んだことを伝えるために……」


「それもあります。ただ、すべては伝えられないから、今の内に、本当に伝えたいことをピックアップしておこうと思いました」


 僕は頷いた。


 さらに一時間ほどかけて、僕たちはもう一枚分執筆を行った。もう、僕は、クレイルが話す内容をほとんど理解していなかった。合計で数時間にも満たない経験から、僕は、人が話す内容に耳を傾けている振りをする技能を、習得してしまったのだ。こういう実益のない技能は、不思議とすぐに身につく。悪戯をするときだけ悪知恵がはたらく子どもと同じだ。

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