第8話

 食事が終了し、僕とリィルは交互に風呂に入った。洗面所は、玄関の向かい側にある。リビング同様、風呂も立派なもので、酷く古風な感じだった。蛇口が妙に長かったり、床に敷かれたタイルが不規則な形をしていたりなど、現代とは少し趣向の異なったものが風呂場を彩っている。僕は、あまり長い間湯に浸からない方だが、周囲の光景が珍しくて、いつもより二十分ほど長く入浴してしまった。


 二階の自室に戻ると、先に風呂に入っていたリィルが、窓の傍に立っていた。


「UFOでも見える?」


 後ろ手にドアを閉めて、僕は彼女に尋ねた。


「風が、気持ちいい」こちらを振り返らずに、リィルは答える。


「僕たちが住んでいる所とは、全然違うよね。あまり、離れているわけではないけど……」


「でも、あの森の向こうに、いつも通りの都市が広がっていると思うと、なんだか、不思議」


「え? 不思議って、何が?」僕はベッドに腰かける。


「うーん、なんていうのかなあ……。なんか、目に見えないだけで、空間は連続しているんだなって思う」リィルは説明した。「今は、森に囲まれているから、世界中にこの森が広がっているように見えるけど、でも、実際には、そうじゃない。世界はずっと広くて、色々な場所が、色々な条件のもとで存在していると思うと、やっぱり、混沌とした星の上で暮らしているんだなあ、と思う感じ」


「うん、まあ、言いたいことは、分かる」


「世界中、この草原と、森だけだったら、いいのにね」


「退屈だよ、それじゃあ」


「え、そう?」リィルはこちらを振り返る。


「うん」


「……まあ、そうかも」


「僕は、山や森も好きだけど、海も好きだ」僕は言った。「ここに来るまで、船に乗ってきたけど、それも、楽しかっただろう?」


「じゃあ、この森と、その向こう側にある海だけだったら、どう?」


「それは……」僕は考える。


「やっぱり、それでも、退屈?」


「……ちょっと、考え直そうかな……」


 リィルは笑った。


 明日使う荷物の確認をした。一応、翻訳のためのデバイスは持ってきたが、今回は使わなさそうだった。こちらでバックアップをとる必要もないし、何より手書きなのだから、そもそもの問題として、コンピューターの出番はない。コンピューターは、遠く離れた人と人を繋ぐものだが、今回の僕たちの仕事は、酷く個人的な内容に踏み入ったものだ。オンラインの環境も、匿名のIDも、何も必要ない。


 リィルは、僕の傍までやって来ると、そのまま梯子を上って、上段のベッドに上がった。


「どう? 起きたとき、天井に頭をぶつけそうじゃない?」僕は尋ねる。


「うーん……」上でもそもそと気配がしたあと、リィルは、顔だけ下に出して、答えた。「それよりも、寝ている間に、落ちそう」


「……それは、さすがにないんじゃないかな……」


「どうしよう……。落ちたら、相当大変だと思うんだけど……」


「それは、そうだよね」


「あ、君さ、もう少し、下のベッドを横にずらしてくれないかな」リィルは言った。「そうすれば、落ちたときに、君のベッドに着地できるから」


「いや、二つで一つだから、個別には動かせない」


「そんな……」


「君には、スタビライザーが搭載されているんだから、大丈夫だろう?」


「いや、あれは、立っている間だけで……」


「落ちないから、大丈夫だよ」僕は話した。「今の内に滑っておけば、本番では落ちない」


 その後も、リィルとくだらないやり取りをしていたが、午後十時になった頃、ドアがノックされて、僕は立ち上がった。


 ドアの先には、ココが立っていた。


「あの……」寝間着姿のココは、心配そうな表情で話した。「お母さんが、明日は、七時に朝ご飯だから、それまでに起きてくるように、と言っていました」


 僕は、できる限りの笑顔で答える。


「あ、そう? それは、どうも、ありがとう」


「あと、これ……」


 そう言って、ココは僕に何かを差し出す。見ると、それは懐中電灯だった。


「夜になると、電気が点かなくなるから、トイレに行くときは、これで……」


 僕はそれを受け取る。


 僕がありがとうと伝えると、ココは、おやすみなさいと言って、僕たちの部屋から去っていった。彼女は、階段を下りずに、そのまま廊下の先に進んでいく。どうやら、二階にあるもう一つの部屋が、彼女たちの寝室のようだ。


 ドアを閉めると、リィルが二段ベッドの上から、僕をじっと眺めていた。


「何?」


 自分のベッドに戻りながら、僕は質問した。


「電気が点かなくなるって、どういうことかな?」


「ああ、たしかに……」僕は考える。「たぶん、常時電気が供給されているわけではない、ということじゃないかな。ここの立地条件に関係しているんだと思う」


「遠いからってこと?」


「そうそう。あとは、一家族のために、ここまで電気を届けるというのも、無駄があるのかもしれない」


 ここまで来たとき、電線はまったく見当たらなかった。おそらく、地中に埋められているのだろう。

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