第3話
「私さ、未だに、手紙を書いたことがないんだよね」きょろきょろと周囲を見渡しながら、リィルが話した。「というか、手紙を書く相手がいないというか……」
「うん、まあ、たしかにね」
「君は、ある?」
「手紙を書いたことが?」
「そう」
「うーん、どうかな……」僕は思い出す。「昔、一度や二度くらいは、あったような気がするけど……」
「誰に書いたの?」
「いや、そこまでは覚えていない。ただ、自発的に書いたんじゃなくて、書く必要があったから、書いたんだと思うよ。何か、こう、節目だったりとか、お礼だったりとか、そんな感じ」
「へえ……。それって、面白かった?」
「は? 面白い?」僕はリィルに顔を向ける。「面白いって、何が?」
「だから、手紙を書くのが」
「別に、面白くなんかなかったと思うけど……。手紙を書くのが面白いって、どういう意味?」
「なんか、拝啓、この度は、みたいな言葉を使ったりするんでしょう?」リィルは笑いながら話す。「そういう言葉遣いをするのって、面白そうだなあって、少し思ったんだけど……」
「そんなに堅苦しいものじゃないよ、僕が書いたのは」僕も笑った。「適当に、思いもしないことを、言葉にして、並べただけ」
「それは、つまらなさそう」
「うん、実際に、つまらなかった」
「でもさ、手紙を貰うのって、なんだか素敵だよね」
「貰ったことはあるの?」
「いや、ないけどさあ……。……誰かが、一生懸命書いてくれたと思うと、なんか、高まる気がする」
「僕みたいに、一生懸命書かない人もいるよ」
「それでも、どうやって書いたのかなって、想像するのは面白そうじゃん」
「へえ、そう……」僕は言った。「そういうのが面白い人は、幸せだね」
風が拭いて、草がかさかさと心地の良い音を立てた。海に起こる波のように、一本一本の草が同じ方向に姿勢を傾ける。
「そういえば、依頼された期間は、ご飯とかは、その家のご主人に作ってもらえるの?」
暫くの間無言で歩いていたが、リィルが思いついたように訊いてきた。
僕は彼女の方を向いて頷く。
「たぶん、そのはずだけど……」
「そのはずって……。もし、作ってもらえなかったら、どうするつもり?」
「そのときは、仕方がないから、買いに行くしかない」
「え?」彼女は目を丸くする。「買いにいくって……、今まで歩いてきた道を戻ってってこと?」
「そうなるね」
「無理でしょ、そんなの」
「うん、だから、たぶん、作ってもらえる」僕は話した。「そんな心配は、しなくて大丈夫だよ」
「部屋も、貸してもらえるのかな」
「おそらく」
「その分、報酬が減らされるとか、そういうことはない?」
僕は考える。
「その……、依頼人は、邸宅に住んでいるような人なんだろう? それなら、うん……、そんなけち臭いことは、しないと思うけどね」
「まあ、そうか……」
「いったい、君は、何の心配をしているのかな?」僕は笑った。「ちょっと、及び腰すぎるんじゃない?」
「でもさ、万が一、ということも、あるわけじゃん?」
「万が一って……。……まあ、ないとは言わないけど……」
依頼人は、二人の子どもの親で、女性だった。父親はいないらしい。家族構成や、年齢に関する情報は、僕たちの手もとにもある。ただ、何をしている人物なのか、また、どれほどの資産を持っているのか、といったプライベートな情報は、僕たちにも齎されていない。情報提供の類は、あまりしっかりしているとはいえない。僕がやっている仕事は、その程度のレベルだということだ。
リュックを背負って歩いているので、僕は段々と歩くのが辛くなってきた。リィルは、トランクケースを引き摺っている。しかし、そちらの方が楽なようで、彼女は澄ました顔をしていた。
背中と腰が痛くなってきて、僕は途中で立ち止まった。傍に何もないので、座ることはできない。リュックから水筒を取り出し、お茶を飲んで、喉を潤す。水分を摂取しただけでも、不思議と疲労感は改善された。
再び歩き出す。
「ところでさ、一つ訊きたいんだけど……」歩いていると、リィルが質問した。「私たちはさ、何の手紙を書くの?」
僕は彼女の顔を見て、それから少し口もとを持ち上げた。
「実は、それすら知らされていないんだ」
リィルは若干驚いたような顔をする。
「何それ……」
「驚いただろう?」
「当たり前じゃん」
「まあ、いつもそんな感じだよ」僕は言った。「依頼書も適当だったし、うーん、依頼主か、仲介人か、どちらが手を抜いたのか分からないけど、あまり親切な感じはしないね」
「手紙を書くとなると、相手がいるわけだけど……。うーん、誰に向けて書くんだろう……」
「さあね……。まあ、着けば分かるよ」
「そんなんでいいの?」
「え? そんなって、どういうこと?」
「何を書かされるのか、分からない状態で、仕事を引き受けたりしていいの?」
「まあ、本当はよくないけど……。……最近、手薄だったからね。できることがあるなら、やるしかないさ」
「なんか、また、事件に巻き込まれそう」
「また?」
「だってさ、前回だって……」
「ああ、うん、あれね」僕は、なんともないような顔で頷く。「あれは、特例だったから、仕方がないよ」
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