第2話
「ねえ、リィル」僕は隣を歩く彼女を呼びかけた。
「何?」僕の呼びかけに応じて、リィルはこちらを見る。
「今回はさ、その……、個人からの依頼のわけだけど、君には、少し、変わった仕事をしてほしいんだ」
「変わった仕事って?」
「簡単に言えば、子どもの世話をすること」
「子どもの世話?」
僕は頷く。
「子どもがいるの?」
「いなかったら、僕は冗談を言っていることになる」
「それって、君が作業をしている間、私は、子どもと遊んでいろってこと?」
「まあ、簡略化してしまえば、そういうことになるね」
「子どもかあ……」リィルは唸りながら上を向く。「私、そういうの、あまり得意じゃないんだよなあ……」
「僕もだよ。でも、まだ、君の方が得意そうだから……」
「どうやって接したらいいのか、分からない」
「普通に接すればいい」
「普通って?」彼女は僕を見る。
「大人と接するように」
「いやいや、駄目でしょ、そんなんじゃ」
「まあ、そこは君の力量に任せるよ。それも、ちゃんとした仕事だから、適切にね」
「無理」
「本当に無理そうだったら、僕が何とかするよ」
「何とかって?」
「僕も一緒に子どもになるとか」
沈黙。
途中から道が開けて、広大な草原が現れた。見渡す限り、ずっと向こうまで雑草が生い茂っている。緑色というよりは、黄色に近い色彩で、穏やかな空気を感じさせた。土が剥き出しになった道が草原の中心を通っている。僕たちはその上を歩き続けた。
今日は晴れていた。ただ、今はもう夕方で、太陽の光は午後よりも緩和されている。空は橙色に染まりかけ、夕焼小焼が聞こえてきそうな感じだった。鳥は飛んでいない。足もとにも昆虫の気配はなかった。先ほどまで歩いていた森の中には、たしかに動物の気配が感じられたが、この草原に足を踏み入れた途端、そんな気配はどこかに消えてしまった。
「なんか、簡素な感じだね、ここ」リィルが呟く。
僕は周囲を見渡した。
森の木々に囲まれた中に、この草原は、穿たれたように存在している。人工的な感じはしないが、何か秩序を持って形成された雰囲気はある。
「どこに、あるのかな、その家は」僕は誰にともなく質問する。
「うーん、見たところ、どこにも見つからないけど……」
「もう、引っ越してしまったのかもしれない」
「そもそもさ、本当に家なの?」
「え、どういう意味?」僕は首を傾げた。
「どこかで、野宿しているとか、そういう可能性はない?」
「いや、だって、依頼書に、邸宅って書かれていたじゃないか」僕は説明する。「きちんと、家屋の形はしていると思うよ」
「そういうふうを装って、私たちを誘き寄せるとか、ありそう」
「そんなことをして、向こうに何の利益があるわけ?」
「うーん」リィルは腕を組む。先ほど僕がしたのと同じジェスチャーだ。「たとえば、本当はお金がないから、そういう貧しい姿を見せて、何とか依頼を達成してもらおう、という魂胆とか」
「うん、まあ、考えられなくはないけど、ないだろうね、そんなことは」
「どうして?」
「僕たちに、そんなネームバリューはないから」
リィルは頷く。
「たしかに」
肯定されるのはあまり嬉しくなかったが、事実なので仕方がなかった。
僕の職業は、一言でいえば翻訳家だ。翻訳といっても、純粋に、ある言語で書かれた文書を別の言語に置き換える、といった作業をするだけではない。もちろん、その一連の流れに違いはないが、多彩な言語を扱うというところに、かつての翻訳家と異なる部分が存在する。かつてと断ったのは、今ではそうした歴史的な翻訳を専門とする者はいなくなったからだ。それだけの単純な作業であれば、人間でなくても、コンピューターで簡単にできるようになった。だから、僕たちは、必然的にそれらと差別化をしなくてはならなくなったのだ。その差別化というのは、簡単にいうと、芸術的な要素を取り入れる、ということになる。僕の場合、人間が扱う言語だけでなく、コンピューターに用いられる言語、つまりプログラミング言語も翻訳の対象として扱った。
そして、必要となれば、もう少し融通の利いたこともする。
その一つが、まさに今回の依頼、つまり、手紙を書くということだった。
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