第三十七章 槍使いの巨人

「痛ててて」


「先日からお前は怪我が耐えないな」


 サミュエルは持参した膏薬を用いて、先程の戦闘で受傷したウィリアムの治療を施していた。殆んどが打撲傷と切傷なので比較的軽傷だ。


「何のこれしき、先日のに比べたら軽い軽い」


「痩せ我慢はよし給え、ウィル。幾ら小さい怪我とは言え、損傷は積もり積もると体内に蓄積され、寿命が減る一因となる。我等は純血種族と異なる混合種族だと言うことを、努々忘れるな」


 サミュエル達混血龍族は人間の血を引き継いでいる分、実は純血龍族と比べ肉体的に脆弱性が上がっている。過去に思わぬ病気が切っ掛けで早期に命を落とす龍族の例も出ているのだ。サミュエルの母、ウィロウ・ガルシアが一つの良い例である。彼女は幼い頃に受傷した傷が後々になって原因不明の病気罹患へと繋がり、命取りとなったのだ。通常生活を送っている分には然程影響はないが、体調不良を引き起こしかねない事象は極力避けるに越したことはない。


「ああ、頭では分かっているよザック。ありがとう。これでも被害は最小限に抑えた方だ」


「ウィル。それでは髪が邪魔でしょう。どうぞこれを髪留めとして使って下さい」


 エドワードがポケットからカーキ色のリボンを差し出す。髪結いが解けたままのウィリアムの頭を見かねたのだろう。


「悪いな、エド。ありがたく使わせて頂く」


 手当ての済んだウィリアムはリボンを受け取り、鮮やかな手付きで蜂蜜色の長髪を結い上げた。その瞳は煌めいており、どこか誇らしげな色をしている。






「皆様、次はこちらです。どうぞお入り下さい」


 ヨゼフに案内された次の場所は、中庭だった。

 大柄な獅子を模した石像が柱の様に陳列している。サミュエル達が中に入り込むと、そこは石畳が庭という敷地内の隅々にまで敷かれた広場の様な空間だった。中庭にしては規模が大きい。樹木は直線状に規則正しく並んで植えられており、所々に龍を模した石像が立っている。


 その中央に身の丈三メートル位の巨漢が控えていた。黒装束の袖からは筋肉隆々とした二の腕が覗いている。手には得物がある。どうやら槍のようだ。


「待ちくたびれたぜ。ヒュドラの奴は倒されちまったか。エレボス様から聞いている“お客”ってえのはお前達のことか。随分とひょろひょろとした、綺麗どころが満載だな。俺は四人纏めて掛かってきてもらっても一向に構わんぞ」


 サミュエルとウィリアムの前にエドワードとザッカリーが出た。


「ウィルとサムを出させるわけにはいかん。どうしようか?」


「ここは僕が参りましょう。ザックは二人を頼みます」


「私は構わぬが……良いのか?」


「ええ、彼に確かめたいことがあるんです」


 エドワードが更に一歩前に出る。その途端、ヒュゥと口笛がなった。


「俺の相手はお前一人かぁ? 随分と舐められたものだな。俺は女の相手はせんぞ」


「僕はピュシー家の嫡男、エドワードです。見掛けだけで判断しないで下さい」


「小僧、その細腕で俺の相手が務まるとでも思っているのか?」


「僕は小僧ではありません。名前で呼んで下さい。端から舐めてかかると痛い目を見ますよ、巨人さん」


「俺は巨人じゃねぇ。名はパラス・オルセン。エドワードとやら、華奢な外見にしては中々いい度胸をしているじゃないか」


 パラスは槍を振り回し、突進してきた。エドワードは間合いを見切って跳躍する。真上に飛び上がったその身目掛けて、槍の刃先が真っ直ぐに迫ってくる。


「風車輪術!!」


「……!?」


 エドワードが呪文を唱えた途端、薄緑色をした大きな輪のような疾風がパラス目掛けて何個か襲いかかって来た。その弾みで刃先がズレ、緑色の衣に傷一つ追わせることが出来ず、槍は明後日の方向に飛び、龍の形をした石像の一つに突き刺さった。ビィィ……ンと辺りに振動が響き渡る。石像から槍を引き抜きつつ、パラスはにたりと微笑った。


「……面白い奴だ。お前、この間セレネーの上空で俺の相手をした奴だな? 似たような技を見た記憶があるぞ」


「……あの時の……?」


「共に龍体だったから、人間の時のナリを互いに知らなくて当然だ。まさかあの時俺を吹っ飛ばした緑の龍がこんな可愛い子ちゃんだったなんてな。こいつは面白い」


「僕も、あの時の黒龍がまさかこんな巨人さんだとは思いませんでしたよ」


 エドワードは構えを取りながら返す。翡翠色の瞳は笑ってはいない。


「偶然とは言え再戦だなんて願ったり叶ったりだ。存分に可愛がってやる。腰が立たなくなるまでな」


「申し訳ないですけど時間があまりないので、そこまでお相手出来ません」


 赤金色の巻毛の青年は相手の冗談をさらりと流し、真顔で返す。

 黒い龍と緑の龍は人間の肉体のままで再び対峙した。






「……サム!?」


 アシュリンは本から顔を上げ、反射的に周りを確かめた。部屋の中は特に変わりなく、自分一人だけである。蝋燭の灯りもそのままで、紅茶の器から湯気が白く立ち上るのが見える。昼食をとってからまだ大して時間が経っていない。


「……誰かに呼ばれた気がしたんだけど、やっぱり気の所為かしら……?」


 彼女は手に持っていた本を一度パタリと閉じた。それは部屋にある本棚からかりて読んでいる、エリウの歴史書である。


「……エリウって、一番歴史が新しい国だなんて知らなかったなぁ。戦後二十年位に国として認められたのだから、まだ四百年も経っていないのね。ラスマン家はこの国の貢献者で、正に人間と龍族の共存を絵に書いたような社会を作り出していたわけか。ここの龍族の力がどれ位かは分からないけど。でも、それならラスマン家は何故昨今のような事件に関わっているのだろう? 矛盾している気がするなぁ」


 すると、胸元の月白珠がぽぅっと輝き出した。泣きたくなる様な、それでいて燃えるように熱く、どこか懐かしい温もりを感じる。そんな優しい光だ。


「……?」


 首にかかる鎖を引っ張り出して見ると、間違いなく光を発しているのはアシュリンの月白珠だった。周りに真っ白で柔らかい光を放っている。しかしただ輝いているだけで、特に何も変化はない。


 ――誰かの気配を感じる。サムやウィリアムさん達ではない。危険性はなさそうね。何処かで会ったことがある様な、温かい気配がする。一体誰だろう……?


 その“誰かの気配”がアシュリンを呼んでいる。

 名前ではないが、呼ばれている気がするのだ。

 きっと自分が知っている誰かなのだろう。そう感じる。昔会ったことのある、誰かだ。自分が今覚えていないだけで、きっと知っている誰か。妙な自信がある。本能がそう伝えてくる。だが、どうしても思い出せないのだ。思い出そうとすると、白い靄が掛かってくる。


「……」


 月白珠の光は暫くすると徐々に消えていった。手で撫でてみても特に変わった点はない。


 ――発動とは少し違うようだけど、これも月白珠による力の一つなのかしら? 一体何なのだろう?


 アシュリンは首を傾げた。やがて気を取り直すと紅茶を一口啜り、再び本を開いて一心不乱に続きを読み始めた。


 蝋燭は変わらずゆうらりと灯っていた。






「はああああああああああ!!!」


「おおおおおおおおおおお!!!」


 パラスは槍の矛先を地面に突き立てつつ、横一文字に動かした。


 ギャギャギャギャギャギャギャ!!!!


 槍はしなりつつも地面を引き裂き、規則正しく並んでいる石畳を引き剥がして空中に弾き飛ばしてゆく。


 エドワードは両腕を自分の胸の前でクロスした。


「風壁術!!」


 呪文を唱えると彼の目の前に薄緑の壁のようなものが登場し、飛んでくる岩や石やらを全て弾き返した。見た目は色の付いた煙幕のようなものだが、突風が渦巻いている為、飛来物全てが跳ね返され全て明後日の方向に飛んでゆく。


「ぬうん!!」


 パラスは己に帰って来た岩の弾丸を槍で全て弾き返し、槍をそのまま回転させ始めた。そして、八の字を描く様に回転、頭上で回転、胸の前で回転……と、まるでバトンを回すかの様に超高速で槍を動している。すると、自慢の腕力で生み出された“何か”が周囲を襲いだした。


「危ない! 伏せろ!!」


 エドワードの背後で彼等の戦いを見守っていたサミュエル達は直様身を低く構え、各々魔術で防護した。衝撃で身体に痺れのような振動がびりびり伝わってくる。


 頭上を目に見えない“何か”が飛んで行き、それに触れた樹木や石像といった物が全てばっさばっさと斬り刻まれてゆく。巻き添えを食った樹木が虎刈りになり、石像はただの岩と成り果てた。パラスを発生源とした無数の鎌鼬かまいたちが発生しているのだ。


「く……!!」


 エドワードは風壁術で耐えていたが、剛力自慢のパラスと対称的な体格差で、どうにもならない溝が少しづつ出来ていた。“壁”では防ぎ切れない鎌鼬によってエドワードは全身切り傷だらけになってゆく。


「矢風輪術!!」


 弓を引き、放つ動きをしたエドワードの右手より、無数もの矢が放たれた。疾風に乗った矢が飛び交う鎌鼬を何とか避けながらもパラスに向かって弾丸の様に次々と飛んでゆく。パラスは咄嗟に槍の動きを変え、自分に向かってくる矢を目にも留まらぬ速さで弾き返した。


 ドォオン!!


 疾風と鎌鼬の“力”が衝突したのだろう。激しい衝撃が生まれ、二人は互いに後方へ弾き飛ばされた。


「エド!!」


 ハラハラしながら戦いを見守っていたザッカリーが瞬時に駆け寄り、小柄なエドワードを抱き止める。


「……すみませんザック、助かりました」


「エド、大丈夫か? 奴と君では巨人と小人位の体力差がある。奴は剛力に魔術を組み合わせた技を仕掛けるのが得意そうだ。足りない部分を“気”でカバーしているのは分かるが、長期戦ともなると身がもたないぞ。交代しても構わぬが」


 ザッカリーは腕の中のエドワードにさり気なく“気”を補填する。“気”と共に友の温もりが腕越しに伝わって来て緊張が解けたのか、翡翠色の瞳の表情が少し和らいだ。無表情のままである友の気遣いにエドワードは傷だらけの顔で感謝の意を伝える。


「……ありがとうございます。ザック。気持ちだけ頂きます。体格差による体力差は嫌というほど自覚しています。でも、どうしても彼に直接聞きたいことがあるんです。ここは僕に任せて下さい」


「君の意思を尊重するが、くれぐれも無理をし過ぎないようにし給え。限界が来たら早く私に声を掛けよ」


「はい」


 そこでヒュゥと口笛が聞こえる。顔を上げるとパラスが膝と尻をはたきながら立ち上がっていた。先程の衝撃で植え込みに飛ばされていたのだろう。全身土埃で真っ黒になっている。


「……お前細腕なのに中々やるじゃないか。骨のある奴と戦うのは久し振りだ」


「……ところでパラス、幾つか尋ねたいことがあります」


 エドワードはまだ肩で息をしている。足元に落ちていた太い枝を見付け、拾い上げた。


「ああ、構わんが、一体何だ?」


「先日ヘスティアーのランドルフ家の城壁に、剣ではとても出来そうにない傷跡を見付けたのです。この枝についた傷に似ている。ひょっとして貴方はランドルフ家の襲撃に参加しましたか?」


「ああ、正しく。俺は参加したぞ」


「何故ですか?」


「何故って……エレボス様の命に従ったからだ。ラスマン家に従属する者達は、人であろうと龍であろうと主の命令には絶対服従だ」


「ランドルフ家は嘗てラスマン家に何か遺恨を残すことをしたのですか? 何か理由がないとあんな酷いことが出来る筈がない」


「理由ねぇ。細かい事情は知らんが、純血種再興の話しなら聞いたことがある。確か、増え過ぎた混血龍族を抑え、減少しつつある純血龍族を増やそうという動きだな。どこまでが本当かは分からん。本当の理由はきっと重要機密だろうから、俺等のような従属者に聞いても誰も知らんと思う」


「……そうですか。その件についてはもう結構です。実はあの襲撃で私の大切な友人の一人が被害者となりました。あの日、偶然所用でランドルフ家に立ち寄ったそうですが襲撃に巻き込まれ、亡き人となったのです。あまりにも急過ぎて抵抗も出来なかった様です。全身が膾切なますぎり状態でした。……そう、この枝のように」


 エドワードの声が若干震えている。


「それは運が悪かったな」


「僕はその友人の為にも貴方を倒さねばなりません。……絶対に負けるわけにはいかない」


 エドワードがパラスを睨み付ける。翡翠色の瞳の奥で炎が燃え上がっている。


「何戦目かもう忘れたが、行くぞ」


 疾風と鎌鼬の激突が再開された。




 ――エド、どうしたの? 顔色が優れないわ。何かあったのね。私に話して。聞いてあげるから――


 エドワードの死んだ“友人”は女性の龍族のことだった。外見は至って平凡で魔術も普通。だがどこか優美で芯が強く、優しい龍だった。学院時代に出会って以来交流が続いており、互いに切磋琢磨し合う様な、そんな仲だった。彼が落ち込んでいる時には優しく慰め、差し入れをしたりして常に励ましてくれた。急な知らせを聞き彼がヘスティアーに駆け付けた時は既に事切れており、全身についた大きく深い切傷は骨迄断ち切られていて、見るも無惨な有り様だった。




 今エドワードの頭の中はその“友人”の敵討ちでいっぱいいっぱいになっている。


「はああああああああああ!!!!」


「ふん!!!!」


 二人共弾き飛ばされては立ち上がるのを繰り返した。共に体力の限界が来ており全身傷だらけだが、中々倒れない。


 ――頭痛がしてきた。僕はもうそろそろ限界……これが最後だ!!


 エドワードは右手を強く前に突き出し、呪文を唱えた。


「疾風迅雷!!!!」


 今迄にない凄まじい風と緑の稲妻が巨体を襲った。


「ぐあああああああああっっ!!!!」


 ズドォォォォ……ン


 豪風によって吹き飛ばされ地面に叩きつけられたパラスは倒れたままで指一本動かなくなった。傍には真っ二つに折れた槍が落ちている。隆々とした筋肉の周りをジジッジジッと、小さな緑の火花が音を立てている。どうやらエドワードの渾身の一撃で感電し、気絶状態の様だ。


 倒れている巨人の傍で座り込んだままになっている小柄な肩を、誰かが優しく抱いた。赤金色の巻毛が震えている。翡翠色の瞳が潤み、大粒の涙がぽろぽろと溢れていた。


「……ごめんなさいザック……」


「気にするな。先程君は“友人”と言っていたが、ひょっとしてこの前話してくれた婚約者のことではないのか?」


 エドワードはしゃくりあげながら答えた。


「……ええ……。彼女には会う約束をしていました。次会う時に渡そうと思って、指輪を準備していたんです。なのに、まさかこんなことになるなんて。僕がいたらなさ過ぎてたまりません。知っていたら彼女がヘスティアーに行くのを止めさせていたのに……」


「辛かったな。まだ少し時間は有るから、君が落ち着くまで待つ。事情が事情だ。二人共、それ位は許してくれるだろう」


「ありがとうございます……」


 静寂が訪れ、エドワードの啜り泣く声だけが中庭に響いていた。

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