第三十一章 噂の正体


 アルバートとアデルが案内された部屋に入ると、怪しい人影が目に入った。黄土色の服を来て、髭を蓄えた顔に妙な笑みを浮かべた男が一人居る。瞳孔は丸い。龍族ではなく、人間だ。


 見張りとしてついている筈の従者が二人共何故か二人とも床に転がっている。白目を剥むいており、ぴくりともしない。


 ギギィ……

 バタン……

 コツコツコツ……


 戸が閉まる音が辺りに響いた。従者が下がっていく足音が消えた途端、にやけた男が喋り始めた。やや不満気である。


「……これはこれは、どなたでしょうか? 私はディーワン家の人間。名前は……マックスとでも言っておきましょうか。この城の者は私を逃す気は全くないようですね。どの戸も窓も魔術が掛けられていてびくともしない。その割には見張りの者は大した者を寄こさなかったようで。私が幾ら魔術の使えない人間だからと随分侮られたものです」


 従者の割には傲岸不遜な人間である。逃亡防止用兼見張りの者が二人転がされている時点で、只者ではなさそうだ。

 アルバートは一歩前に出た。


「私はセヴィニー家のアルバートだ。こちらは妹のアデル。例の“噂”の出処はお前だと聞いたが、それは誠か? 」


「正しくその通りですとも。アルバート様。それを確かめる為にわざわざ私のところに足をお運びになられるとは、ご足労そくろう頂き誠に有難う御座います」


 マックスの口調は丁寧だが、背中に怖気がしてくる程嫌味だ。


「大切な友人の命に関わることだからな。あと私自身が真実を見極めたいのもある」


 アルバートは淡々と答える。アルバートは隣に立つアデルに下がっているよう伝達術で指示を出す。アデルは頷き、距離をとって後ろに下がった。


「そうですか……それはそうでしょうねぇ。大切なご友人が関わっていることですから心中お察し致します。お話しするのは一向に構いませんが、先ずは手合わせ願えませんか? 」


「手合わせ? 」


 マックスからの意外な申し出にアルバートはつい語尾上がりになる。


「私はこう見えて本来戦うのが好きな性分でして、普段が非戦闘の立場なだけに、尚更うずうずしてきます」


 疑問に思ったアルバートはマックスに尋ねる。


「戦うのが好きならば、何故兵士にならなかった? 幾らでも戦えるだろう」


 マックスは片眉を上げながら答えた。


「ディーワン家では従者の方が数多く居る兵士より俸給が高いからです。兵士の俸給ではとてもではありませんが、生活出来ません。身分のお高い方々にはご理解できない事情で御座います」


 アルバートは口をつぐむ。


「龍王族の殿下達は剣術を嗜んでいらっしゃると聞いております。是非ともお手合わせを。私の気分次第で聞かれたい話しを必ずやお話し致します」


 囚われの身の割に随分身勝手な言い分だ。何だか操られている気がしてならないが、相手をしなければ欲しい情報が手に入らない。しかし、こんな人間を従者にしているとは、ディーワン家は一体どんな王家なのだろう? アルバートは不思議でならなかった。 


「アルバート様、来られないのでしたら、こちらから参りましょうか? 」


 しびれを切らしたマックスが行動に移した。アルバートは咄嗟とっさに右斜め前に跳び上がり、鞘から抜いた剣でマックスによる最初の一撃を受け止めた。それは想像以上に力が強く、びりびりと腕が痺れる。


 ――これは……!


 アデルから離れたところで、アルバートとマックスによる一対一の剣での闘いが始まった。マックスは魔術が使えない為、文字通り剣のみでの闘いだ。魔術をこっそり使うような卑怯な真似は、アルバートには出来ない。


 マックスは口先だけではなく、本当に腕の立つ人間だった。アルバートが先手を売って連鎖攻撃を仕掛けても、全て先を読まれて返されてしまう。剣の腕だけならリアムより上かもしれない。


 ガキイィィィン……!


 互いの剣撃で生じた反動によって弾き飛ばされた二人は共に背後の壁に激突する。受け身をとっている為、共に大したことはない。


「……ああ、良い気持ちだ。こんな気持ちは久し振りですよ。アルバート様は大変いい剣筋を持っていらっしゃる……」


 マックスは体制を整えつつニヤニヤ笑いながら、嬉しげな声を上げた。


「では、ひと休憩にお聞かせ致しましょうか」


 マックスは先程の宣言通り、少しずつ語り始めた。

 

 彼の話しは大体こうだった。


 ディーワン家が統治している国の隣国の王族・ロールズ家から、クレア姫に婚約の話しが来ていた。日時は、アデルがクレアと初めて対面した日の昼下りのようだ。その王子、ハリー・ロールズは美しいクレア姫のことが昔から好きだった。しかし、婚約の話しを持ち出しても肝心のクレア姫は頑固として首を縦に振らない。直に話しをしたくても拒否される始末。ディーワン家の王は娘に甘い。王は無理強いも出来ず、愛娘の拒絶振りにたじたじとなっていた。


 そんなある日、部屋でクレアが使用人であるナンシーと小声で話しをしているのをハリーの従者が偶然聞き、その従者経由でクレアが龍王族の王子と道ならぬ恋に落ちていることをハリーは知ってしまった。しかも相手は龍王族一勢力を持つと言われているラウファー家の嫡男、リアム王子。


 ハリーは何とかしてクレアとリアムを離れさせる為、一計を案じた。


 ディーワン家の従者の一人に金を握らせ、リアムがクレアに接触し、龍王族家の内情をディーワン家に漏らしているとあらぬ噂を広めさせること、そしてラウファー家と縁が強いセヴィニー家に文書を投げ付けさせ、セヴィニー家とラウファー家を仲違いさせるよう自分の従者に指示したのだ。


 リアムとクレアが接触を持っていた事自体は事実である為、リアムが内通していないという証拠がない。しかも多数の方面からの情報となれば真実味が増す。


 決して破ってはならない龍王族の掟の一つ。


「同種族の者を裏切ってはならない」


 これを破った場合、露見すると如何なる理由であれ死罪となる。ハリーはこれを知っていた為、策略として利用したのだ。


 勢力が拮抗しているラウファー家とセヴィニー家が激突して共倒れとなれば、ディーワン家を始めとする人類は二度と脅威きょういにさらされることはなくなるだろう。邪魔なリアム王子が居なくなれば、クレア姫も諦めざるを得まい。ハリーはそう踏んだのだ。


「……それは誠か?」


 口調に棘が交じる。アルバートは身体の中の血が一気に冷えてゆくのを感じた。アデルから直前に聞いていた情報と全く同じだったということが、アルバート自身に衝撃を与えていた。剣を持った手がわなわなと震えだす。


「私が嘘をついていると思えます? 何度でも一字一句同じことを申し上げることは可能です。依頼を受け、裏で動いたことは全て私の考えたことですから。争い事を起こせば戦える。金は手に入るし、旨い酒は呑めるし、私にとって楽しいことこの上ありませんからねぇ! ひゃーっはははは! 愉快愉快! 」


 マックスは大声を上げて笑い出す。狂気じみている。


「貴様……! 汚い真似をしおって……!」


 アルバートは怒りに任せてマックスに剣を振り下ろした。


「想像していたより激情家のようですね。冷静さを欠くと剣筋が乱れ、命取りになりますよ、アルバート様」


 マックスはいとも簡単にアルバートの一撃を避け、返し技でアルバートに斬り込んだ。


「……! 」


 マックスの攻撃を避け切れず、衝撃でアルバートはどぅと床に倒れ込んだ。左脇腹に切り傷が走り、血が弾け飛ぶ。



「兄上! 」


 アデルが叫んだ。アルバートはアデルがその場から動かぬよう手で制した。


「……アディ、心配するな。掠り傷だ。大事はない」


「……では、続きを始めましょうか? 」


 アルバートとマックスの闘いが再開された。アデルはそれを見守りつつも、何かに集中している。


 ――リアム。お前は悪くない。お前は運悪く人間の思惑に巻き込まれた。だが、お前が人間の姫に恋をせねば、空きをつかれることはなく、この戦争は起こらなかったのではないのか? 元々好きではない人間をこんなに憎く思う日が来るとは思わなかったが






 それからどれ位の時間が経ったのだろうか。

 剣が重なりあう音と床や壁にぶつかる音、布が擦れ合う音が延々と続いている。


「はぁはぁはぁ……」


 闘いは継続中で中々どちらも倒れない。アルバートは今回の騒動の元凶の一人であるマックスを殺そうとし、マックスは死ぬまで闘う気満々である。双方共に切り傷や避け傷でぼろぼろ状態。肩で息をし始めているが、やめる気はまだなさそうだ。


「もう降参ですか? 」


「まさか……! 」


「この闘いはどちらかが斃れるまで止まりませんよ。貴方も私もそう望んでおりますから……」


 しゃがみ込んでいたアルバートは剣を支えにゆらりと立ち上がる。

 アデルの瞳が涙で潤み「もう止めて!」と叫んでいたが、これ位で止まる二人ではない。

 床を蹴って跳び上がり、剣が重なり合う音で闘い続行の合図となった。






 マックスの一撃がアルバートを襲った時、疲労困憊のアルバートの判断が一瞬遅れた。


 その刹那。


 激しい衝撃で跳ね飛ばされたアルバートは床に叩き落とされる。すぐに立ち上がれない位の激痛がアルバートの全身を走った。しかし、アルバートは目の前の光景が現実のものと思えなかった。


 流れるような光り輝く銀髪。

 青空を染め上げたような色のスカート。

 その身体にはマックスの剣が貫かれていた。剣先からは深紅の雫がぼたぼたと滴り落ちてゆく。


「……私の兄上を殺そうだなんて、百万年早いわ……」


 アデルは後ろにゆっくりと倒れ込んだ。彼女の左胸からは鮮血が迸り弧を描いている。


「アディーーーッッッ!!!!!」


 アデルはアルバートの腕の中にどさりと倒れ込んだ。青色の服は夕焼けのようにどんどん赤に染まっていき、苦悶を浮かべているが、どこか安心したような顔をしている。アルバートに向けられたその瞳は、愛しさに溢れていた


「アディ……アディ……」


「兄……上……」


 アルバートは腕の中のアデルを強く抱き締めた。アデルの手を握るとぎょっとした。


 ……“気”を殆んど感じられなくなっている……


「アディ……? 君はまさか……また無理をして魔術を使えなくなっていたのでは? 」


「……ごめん……なさい……兄上……」


 最後は声にならず、アデルはアルバートの腕の中で静かに目を閉じた。突然の状況に頭が追いついていけないアルバートは何度もアデルの身体を強く揺すった。


「嘘だ……アディ! 目を開けるんだ!!アディーーーッッッ!!!!! 」


「ひゃーはははは!!! どうしましたアルバート様。もう終わりですか? まだまだ闘いは途中……ぐえ……っっ!!」


 余裕ぶって喋っていたマックスは、途中で潰れたカエルの鳴き声のような声を出した。自分の腹から剣先が出ている。その剣先から血がぼとぼとと垂れている。


 血を吐いたマックスの身体がゆっくりと前にがくりと倒れ込み、その後ろから月白色の上着を羽織り、漆黒の髪と琥珀色の瞳を持つ一人の若者が姿を表した。

 その瞳は、悲しみに揺れている。


 マックスはちらりと後ろを見、己を刺した者が誰かを確認すると、にたりと笑った。


「漸くお出ましですか。“内通者”殿……しかしもう遅い。セヴィニー家の軍隊がもうじきこの城に到着します。私がそう仕組んでおきましたから。ラウファー家もセヴィニー家も共倒れになれば万々歳……」


 マックスはどうっっと床に崩れ落ちた。薄ら寒い微笑みを貼り付けたような顔。その身体の周りには血の海が音もなく広がっている。


「話しはアディから先程全て聞いた。今までの所業を地獄で幾らでも自慢するが良い」


 マックスはぴくりとも動かなかった。


 剣を持ち立っているリアム。

 アデルを腕に抱き、座り込んでいるアルバート。


 二人の間に恐ろしい程の静寂が訪れた。

  

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