第二十五章 婚約者


 ベレヌスの中心都市、セレネーには小高い丘があり、その上に石造りの建物がそびえ立っている。リアムの住んでいる、ラウファー家の城だ。


 ある日、リアムは突然父であるダニエル王に呼び出された。王から告げられた言葉は、リアムにとっては寝耳に水だった。


「え……父上、今何と……?」


「お前の結婚の話しだ。お前ももう十七だ。成長とは早いものだな。そろそろ身を固めても良い年頃だ。見合いの手紙が次々と送られてくるが、予め決めておいた方が煩わしくないと思い、相手方の王と婚約の取り決めをして来た。相手はお前と昔から一緒に仲良く育って来たから、違和感なく良いだろうと思ってだな。セヴィニー家からも良い返事が来ておる」


 リアム王子の意志とは無関係に、許嫁が決められてしまったのだ。相手はセヴィニー家のアデル姫。アルバート王子の実の妹だ。


 アデルはリアムを兄の様に思っていて、リアムはアデルを異性というより妹のように思っている。二人は兄妹のような友情のような関係だ。


 ――結婚。あまりにも突然過ぎて頭がついていかない。しかし、何故このタイミングなのだろう? アデルは幼馴染みだし、互いに長所も短所も知り尽くしている。一緒に暮らしても違和感は小さいだろう。


 でも、何かが違う気がしてリアムは落ち着かなかった。違和感が拭えないのだ。


 ――アデルはこの婚約についてどう思っているのだろうか?


“心から愛する人と添い遂げたい”


 ――幼かったあの頃、彼女はそう言っていたが、今はどうなのだろうか? 実際に会って聞いてみようか。







 それから二・三日経って、アデルがセヴィニー家のジュード王や従者達と共にラウファー家に来た。父王達は二人で大切な話しがあるとのことで、王専用の応接室に移動した。その間、婚約者同士好きに話しをすれば良いと、リアム達は二人で中庭へ移動することになった。


 アデルは、周囲の警護にあたる兵達や使用人達に聞かれぬよう、自分達周囲に結界を張ると、リアムに話し始めた。


「ねぇ聞いてよリア! 父上ったら急に何かと思えば、婚約の話しですって。幾ら家同士の繋がりを重視しているからってあんまりだと思わない? 結婚するのは私達なのだから、当事者の意見も聞いて欲しいわ。ねぇ、リアもそう思わない?」


 アデルはやや憤慨していた。私が父に急に婚約の話しを持ち込まれた時と、同様若しくはそれ以上の衝撃を受けたに違いない。


 ――アデルは優しい娘だ。怒りっぽいのが玉にキズだが、よく気の回る、器量良しだ。結婚する者はきっと幸せに暮らしていけるに違いない。私はアデルのことが好きだ。でもそれは異性と言うより親友と言う意味でだ。血はつながっていないが、妹の様に大切に思っている。


「私、リアのこと好きよ。でも、それは異性としての“好き”ではなくて、親友としての“好き”と言う意味だから」


 ――ああ、君もそうなんだ。私と同じ。私達の気は良くあっている。


「でも、兄上は、リアと私がくっつくのを望んでいるのよねぇ……そんなにリアのことが気に入っているのなら、自分がリアと結婚すれば良いのに」


 ――アデルは面白いことを言う。


「流石に男同士では世継ぎ問題が発生するから、現実的ではないね。私達両家は共に王族なのだから。でも、君と私は意見が一致しているのが分かって良かったかな」


 リアムは微笑んでいるが、どこか複雑な表情をしている。アデルはそれに気がついた。


 リアムもアデルも心から愛する人と添い遂げたいと思っている為、自分達はどんなに時間が経とうが、距離も友情以上になりそうにないことが互いに分かっているのだ。その二人が共に暮らして果たして幸せになれると言えるのだろうか?


「……リア? どうしたの? 顔色があまり良くないわ。体調が悪いなら始めからそう言ってくれれば良いのに」


「……アディ。体調が悪い訳ではないんだ。済まないが、暫く一人にして欲しい」


 何か悩み事でもあるのだろうか? リアムに関しては非常に珍しいことだ。


「……分かったわ。兄上にもそう伝えておくわね」


「ありがとう」


 リアムは従者にアデルを客間に案内してもてなすよう命じ、自室に籠もった。






 オグマ国とベレヌス国の間に広がる森の中に、深緑色の葉に覆われた、小さな小屋がある。丸太を切って組み上げた形をしている。誰かが休憩用に作った小屋のようだが、寝室や台所もあり、物資があれば数日暮らすことも可能な位にしっかりした作りをしている。


 その小屋の中で、二人の男女がダンスのステップを踏んでいた。二人の周りには魔術で出された楽器が優雅な音楽を奏でている。外に一切音が漏れていないのは、結界が張られているからだった。音のみならず小屋自身に結界が張られている為、外部からは小屋自身が見えない。深緑色の葉がこんもりと大きく膨らんでいるのが見えるだけだ。


「如何なさいましたか? リアム様」


 息を弾ませたクレアが首を傾げた。今日のクレアは初めて見る格好だった。男装ではない、れきとした「王族の姫」としての格好。


 彼女曰く「普段の格好」だそうだが、大輪の薔薇が霞んでしまうような、深紅の艶やかで美しいドレス姿だった。紺碧色の瞳を持つ整った顔立ちに黄金色の髪が映えて、良く似合っている。


 香水をつけている為か、クレアの周りには上品ですっきりとした薔薇の花の香りが漂っている。

 確かに、これではこっそり城を抜け出すには目立ち過ぎる。先日クレアがすっきりしない表情をしていたのが良く分かった。

 クレアはリアムと打ち合わせ通り、自室で待機し、姿を見えなくする魔術で迎えに来たリアムと共に窓から抜け出していつもの場所まで“人知れず”来たのだ。


「如何って? 何がです?」


 クレアの問いに、リアムは驚いた顔をした。


「いつもと違ってお顔の色が芳しくないようですが、どうされましたか?」


 リアムは素直な為、隠しきれず表情や雰囲気に出てしまったらしい。クレアに、父王が自分の意思とは無関係に婚約者を決めてしまったことを話した。


 クレアは表情を変えてないように見えたが、若干じゃっかん動揺の色を紺碧色の瞳に浮かべる。静かに瞬きをし、少し間を置いてからゆっくりと唇を動かした。


「リアム様、お相手が決まったのなら宜しいではありませんか。年齢的にも結婚なさっていておかしくはありませんし……」


 クレアは最後まで話すことが出来なかった。彼女の唇がリアムの唇によって塞がれていたからである。クレアの細い腰にはリアムの腕が回され、更に強く抱き寄せられる。


「ん……」


 リアムの急な変化に驚くクレアだったが、拒む素振りを一切見せなかった。それどころか、リアムの肩においていた手を彼の後頭部に回し、自分の方に抱き寄せようとする。

 クレアの唇は柔らかく、まるで薔薇の花弁に口付けしたような感触だった。

 自然と顔を離し、お互いの顔を見た後、互いを抱擁した。どちらも鼓動が高まっているのを感じる。


「……急な無礼を許して欲しい。私は貴女を手放したくない。私の傍にいて欲しいのは貴女だけだ」


リアムの謝罪と急な告白に、クレアは言葉が出ない。


「リアム様……」


 クレアは解放された唇をゆっくりと開いて、やっと相手の名前が紡げた。


「貴女の気持ちを聞きたい。今此処で」


 急に外気温が上がったかのように身体が、熱い。自分の身体を抱き締めるリアムの力強さを感じながら、耳元で囁かれて気が気でなかった。身体の奥底から急に何かがこみ上げてくる。急流のように激しい流れが、クレアの理性を押し流そうとしている。

 クレアは溢れんばかりの荒波に耐えつつ消え入りそうな声で答えた。


「わたくしは……」


 自分の声がかき消されてしまうのではないかと危惧する位、拍動の音が身体中に鳴り響いている。


「貴方にわたくしだけの龍でいて欲しいです、リアム様……」


 それから先は二人共言葉にならなかった。


 絶え間無く鳴り響く音楽の調べが、その後の二人を優しく包んでいた。

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