第二十四章 秘密の散歩

 ある日。リアムはオグマ国とベレヌスの国境にあたる森の近くにクレアを呼び出した。今日のクレアは瞳の色と同じ紺碧色の帽子で後ろ髪を隠し、紺碧色の上着を着ている。彼女は変わらず男装だった。


「ごきげんよう。リアム様。大切なお話しとのことですが、何でしょうか? 」


「クレア殿。私は貴女にお伝えしないといけないことがあります。私は貴女と異なる種族、龍族で、人ならざるものです」


 リアムは意を決して、最初に伝えなければならないことを話したが、クレアは表情一つ変えなかった。


「リアム様が普通のお人ではないことは、何となく分かっておりましたわ。瞳孔は縦に長いですし、人間の持つ雰囲気と少し違いますもの。わたくし、あれから城に戻ってこっそり色々調べましたの。リアム様が龍族だと言うこと、ラウファー家が龍王族で権力をお持ちの家系であることも存じております」


 クレアは紺碧色の瞳をキラキラ輝かせて話し始めた。自分達は異種族だということ、しかも敵対している種族同士であることに、やはり衝撃は免れなかったそうだ。でもだからといって恐怖は特に感じないと言う。


 リアムは予想外のことに拍子抜けしそうになる。人間は龍を恐れており、共存共栄など考えられず、現在まで居住地争いなどで戦争ばかりしてきたと、これまでずっと教えられて育ってきたからだ。


「貴女は平気なのですか? 私は人間に恐れられているのですよ」


 クレアは首をちょこんと傾げる。優しい風に吹かれ、上着と同じ色の髪留めで結われた黄金色の髪が帽子から溢れ、ふわりと舞い上がった。髪は太陽の光に反射して、眩しく輝いている。


「リアム様は龍なのでしょう?わたくしはそのことを何とも思いませんわ。寧ろ龍としての姿を見てみたいのです。宜しければ是非わたくしに見せて下さいませ」


 龍を恐れないどころか龍体を見たいとまで言い出すとは、可憐な見かけによらず何と肝の座った姫君だろうと、リアムは驚きのあまり言葉が出なかった。気分は悪くない。


「……本当に宜しいのですか? 」


「ええ、お願い致します! わたくし、大変興味がありますの」


 リアムはクレアに大木の裏に隠れ、自分との距離をとるように伝えた。クレアが充分に距離を取れたのを確認すると、瞬時に龍体に変化する。クレアの目の前に一頭の大きな月白色の鱗を持つ美しい龍が現れた。龍の手は爪が四本で、クレアを掴める位のサイズだ。


 成人した龍族は、人型をとっている時は普通の人間と大差ないが、龍体になると体格が極端に大きくなる。対面している相手が人間の場合、ある程度距離をとっておかないと、自分の身体の一部で相手を潰して仕舞いかねないのだ。


 龍体になったリアムを目にしたクレアは頬を紅潮させ、ほぅと溜め息をつき、称賛の声を上げた。


「……素敵! 角が水晶のように光り輝いていますわ! 鱗は白と言うより月白! 琥珀色の瞳! 貴方は宝石みたいな身体をしていらっしゃるのね! 龍がこんなに美しいとは思わなかった……! 」


 クレアは龍体のリアムを見てうっとりとしていた。瞳がキラキラ輝いている。


 リアムはクレアに、龍の身体の色や大きさは、龍の種族によって様々であることを説明した。クレアは興味深く首を大きく縦に振る。


「リアム様、失礼を承知でお願いしますが、貴方に触っても宜しいかしら? 」


 クレアの頭上からリアムの声が静かに響き渡ってくる。


「構わないですよ。驚きました。龍そのものを見て怖がらなかった人間は、多分貴女が初めてだと思います」


 リアムは横たわるかの様に身体を草原に這わせると、クレアはリアムに駆け寄った。鱗はひんやりと冷たいが、腹の辺りはどこかほんのりと温い。胸の辺りに耳を近づけてみると、生命を営む為の拍動が響いてきた。龍の鼓動は人間のそれよりも早いのかしら? とクレアは思う。


「それにしても、人間の姿をしていれば龍族だろうが人間だろうが対して変わりがないのに、何故人は龍を恐れねばならないのでしょう? 両親や大臣達はいつも龍は凶暴だのと話しているけど、わたくしには理解出来ませんわ」


 クレアはリアムの耳や角に触れながら尋ねた。リアムはどこか擽ったいような表情をしながらクレアの問いに答える。


「龍と人間では違うことが色々あるからだと思います」


「例えばどんなことですの? 教えて下さる? 」


「先ずは寿命の違いです。人間は百年生きられれば良い方ですが、我々龍族は致命的な怪我や病気でもしない限り千年を軽く生きられます。短命種、長命種と生きる時間そのものが異なる訳です。ものの考え方や価値観が違ってくると思いませんか? 」


「成程……そうですわね。物の価値観とか、人間にとっては大事でも、龍族にとっては取るに取らないものとして扱われてしまいそう……」


 クレアの瞳に少し寂しげな色が映るのを見て、リアムは突然話題を変えた。


「ところでクレア殿、少し“散歩”しませんか? 」


「ええ、そうですわね。……あら、リアム様は龍体のまま? 」


「我々の“散歩”は爽快ですよ。但し、危ないので私の角にしっかり捕まっていて下さい」


 リアムの言わんとすることを解したクレアは目を輝かせながらリアムの頭に登り、跨がって角に捕まった。


「今日はこの格好で来て正解でしたわ。これは馬に乗る時に特によく着ている服ですの。普段のドレスも別に嫌いではないですけど、動きにくい上目立ちますもの……」


 クレアが自分の角に捕まったのを確認したリアムはゆっくりと身体を浮上させた。それから空へと登っていく。


 今日は雲一つない晴天。心地よい風が吹いている。

 帽子が飛ばないように帽子留めをしたクレアは、目の前に広がる絶景を前に感嘆の声を上げた。

 クレアを振り落とさない様に細心の注意をはらいながら、リアムは青空を泳ぐかの様に飛び続ける。


 月白色の身体に紺碧色の上着を来たクレアは目立つ為、リアムは然りげ無く魔術をかけ、クレアの姿が他の者には見えない様にした。音も消している為、二人の会話は聞かれない。傍から見てもリアムだけが空をただゆっくりと飛行しているようにしか見えない。周囲に他の飛龍達は居ないが、二人にとっては、お忍びの“散歩”である。


「クレア殿、ご気分は如何ですか? こういう“散歩”は初めてだと思いますけど」


「すっごく爽快で楽しいですわ! 上から見たら、人間は砂粒みたいになんて小さいの! 」


 頭上からクレアの興奮した声が聞こえてくる。


「実は歳の離れた弟が一人おりますの。まだ言葉も話せない位小さいのですけど、こちらに向かって一生懸命伸ばしてくるあの小さな手を見ていると可愛くて。彼にも出来ればこの素晴らしい景色を見せてあげたい位……」


 リアムはクレアに優しく諭すように言う。


「クレア殿、お気持ちはお察ししますが、今日のことはどうぞ御内密に」


「ええ、分かっておりますわ。これはわたくし達だけの“秘密”ですもの。特別ですわ 」


 敵対している者同士が周囲に内緒で会っている。その癖現在人知れず一緒に果てしない大空を飛んでいる。空は曇り一つなくどこまでも透き通って清々しいのにどこか背徳感があり、背中がゾクッとした。


 暫く飛んでいると、クレアがぽつぽつと話し始めた。


「わたくし、今迄人間で色々な方々にお会いして参りました。でも皆様、わたくしを『ディーワン家の姫』としてしか見て下さいませんの」


「貴女は大切な姫君ですから、無理もないでしょうね」


「それは重々承知ですけど、それでは『わたくし』個人を理解して貰えなくて、ずっと寂しい思いをしておりましたの。わたくしを『一人のわたくし』として見て下さるのは、リアム様が初めてですわ。だからわたくし、それがとても嬉しくて」


 クレアは花のように笑った。クレアが喜んでくれるなら、また何かしてあげたいと思うリアムだった。






 先程迄いた草原に戻りクレアを下ろすと、リアムは人型に変化した。何事も無かったかのように涼し気な顔をしているリアムだが、拍動がいつもより喧しく聞こえる。


「お疲れではありませんか? リアム様」


「私は平気ですよ。龍族は人間よりも頑丈に出来ていますから」


「それは良かったです。今日はどうも有り難う御座いました。滅多に経験出来ない“お散歩”をさせて頂いて。とても楽しゅう御座いました」


 にっこりと微笑むクレアを見ていると、自然とリアムの口から言葉が無意識に出て来る。


「こちらこそ。今度またお会い出来ますか? 」


「ええ、喜んで。是非またお会いしとう御座います。お手紙を下さいませ。次は何をしましょうか? 」


 クレアは悪戯っぽい微笑みを浮かべる。それを眺めつつ、リアムは予てから思っていたことを素直に言った。


「出来たら今度は普段の姿を見せて欲しいです。貴女は男装も良く似合っていますが、普段の姿も是非見てみたいです」


 最初目を丸くしていたクレアだったが、何かを思い付いたのか、弾けるような笑顔で答えた。


「分かりました。貴方がそうおっしゃるのでしたら。そうですわ! 次はダンスの練習をしとう御座います。今度わたくしの所で舞踏会がありますの。久し振りだから、身体がなまっておりますので、是非お相手願います。 勿論“秘密の”練習ですわ」


 次クレアに会える日は、なるべく早くに決まりそうである。リアムはどこか胸が高鳴るのを感じていた。

  

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