第二十三章 舞踏会
数年の月日が経ち、リアムとアルバートは十七歳、アデルは十六歳になった。
いつもの草原で剣の打ち合う音がする。雪白色の上着を着たリアムと漆黒の上着を着たアルバートが互いに剣の稽古をしているのだ。裾捌きで風が巻き起こり、剣先で切れた草の葉が舞い散った。もう少しで刺すぎりぎりのラインを保ち、二振りの剣が
「また腕を上げたなリア。今の打ち込みは私の腕が痺れるほどであったぞ!」
頬を真っ赤にしたアルバートは肩で息をしながらも上機嫌だ。銀髪が陽光に反射して煌めいている。
「それはこちらの台詞だアルビー。お前こそ腕を上げたな。避けるのに失敗したら刺さるかと思ったよ」
肩に掛かる艶のある緑の黒髪をかき分けつつ剣を鞘に納めながら、リアムはにっこりと微笑む。
「そうだリア、これを見てくれよ! 昨日やっと出来るようになった新技だ!」
アルバートは両手を頭上に上げ、一気に振り下ろすと、真っ白な雷が空からドドドド……と地響きを立てながら目の前に幾つも落ちてゆく。そのくせ、目の前の草は全く焦げ一つない。リアムはほうと感嘆の声を上げた。
「……凄いな。あれだけの大きな雷なのに、何事も無かったかのようだ。これはひょっとして目眩ましか脅し用か?」
「そうだな。攻め手ではなく守り手。逃げる時間を確保する又は
リアムとアルバートが武術用魔術に関して論議で白熱していると、アデルのやや苛立った一声が割って入ってきた。
「……二人共、武術や魔術も分かるけど、ダンスの練習を忘れてないかしら? 舞踏会まであと一週間しかないのよ! 」
「……分かった分かった。散々待たせて悪かったアディ。三人だから、交代で練習するか」
武術の稽古を終えたらダンスの稽古をすると、アルバートはアデルに約束していたのだ。
リアムとアルバートは交代でアデルの相手をし始める。
今迄戦争のない、比較的平和な年には舞踏会が開催されていた。舞踏会は龍王族にとっての他家との交流を兼ねた娯楽の一つだ。暫く数年程人間との戦いが続いて情勢が落ち着かなかったせいもあり、舞踏会は開催がずっと見通されていた。漸く平和な年が数年続いた為、舞踏会が久し振りに開催されることとなった。今回はアルバートの家、セヴィニー家主催である。三人共揃って初参加目前だった。
リアムがパチンと指を鳴らすと音楽奏者が出現した。彼等は各自持っている楽器を奏で始める。ワルツの音楽に合わせて、アルバートとアデルが踊り始めた。アデルはオリーブグリーンのスカートを翻し、軽やかなステップを踏む。時折吹く風に銀色の長い髪をたなびかせながら太陽の光を一身に受けて踊るアデルの姿は、まるで森の精霊のように美しく輝いていた。
「何だか、光とともに現れた精霊と踊っているようだな。普段のがさつな君とは大違いだ」
アルバートは嬉々としてアデルに語り掛ける。
「ちょっと、からかわないで兄上! 期間がないのだから真剣にしてよ」
アデルは顔を真っ赤にしながらぷりぷりしている。
「いやぁ、だって、我が妹ながら惚れ惚れするステップだからな。私は褒めているのだよ。今回は当家が主催だし、君はきっと注目の花になるね。これは当日楽しみだ! 」
「ほら、今度はリア、貴方の番よ」
アデルがリアムに手を差し出した。
「うん。交代だね」
リアムはアデルの手をとった。
いつもの草原がダンスの練習場となった。
舞踏会当日。セヴィニー家の城は昼間から大盛況だ。会そのものは正午から夜中迄ずっと行われる。着飾った参加者は数年振りに会う者達同士で昔話に興じたり、優雅な調べに合わせて身体を動かしたりと、思い思いに楽しんでいる。昼食、夕食はテーブルに準備されている為、各自好きな時に済ませるスタイルである。
「見違えたなアディ! 凄く綺麗だ! 」
一曲ダンスを終えたアルバートは妹の姿を認め、称賛の声を上げた。
アデルは背まである銀髪を高く結い上げ、桃色のドレスに身を包んでいた。髪飾りは衣装に合わせた桃色の薔薇の花である。ドレスは彼女の輝く銀髪と白皙の肌によく映えて、まるで大輪の薔薇が咲いたかのように美しい。アルバートは左腕を曲げ、エスコートする。
「妹よ、まるで別人のようだ! 」
「それってどういうこと? 兄上」
アデルは口元を扇で隠しながらアルバートをじろりと睨む。
「普段の君からは想像出来ないということさ。いつもこんな感じなら良いのにな」
アルバートはわざとからからと笑った。
「もう! 褒めているのか
流石に公共の場だから、アデルは声のトーンを落としている。
「アディ、そんなに眉間に皺を寄せると折角のおめかしが台無しになるぞ」
「一体誰のせいよ」
「おや? ……あれはリアじゃないか? 」
アルバート達がふと目を向けると、向こうで
「ははは……リアもモテモテで大変だな。先程迄誰かと踊っていたかと思えば、また立て続けに婦人客に捕まっている」
「私が行ったほうが良いかしら? 」
「私も一緒に行こう」
アルバートが魔術を使ってリアムに群がる婦人客の目を引き、アデルがリアムにダンスを申し込む形でリアムを助け出した。アルバートは即興のマジックショーを始めたのだ。婦人客はアルバートの手の中から現れる薔薇の花やら青い鳥やらに釘付けである。
「……助かったよ。どうも有り難う」
「リアはお人好しだから、断るのが下手だからね。ここは兄上に任せてちょっと一休みしたらどう? 」
「……そうだね。ずっと踊りっぱなしでヘトヘトだ」
リアムは窓に向かって歩き始めた。
「……リア? どうしたの? 」
「ちょっと外の空気を吸ってくるよ。初めて参加したこの会で、少し疲れたようだ。アルビーにちょっと出ていることを伝えてくれるかな? 」
「……分かった。気を付けてね」
リアムは窓から飛び降り、月白色の龍体に変化して飛び去った。
アデルは暫くリアムをそっとしておくことにし、会場に戻っていった。会場ではリズムの良い賑やかな音楽に変わり、参加者は軽やかなステップを踏みながら身体を動かしている。
リアムは直ぐ側にある森の中に舞い降りた。直ぐに人間の姿となる。いつも三人で遊んでいた、馴染みのある草原の奥にある森だ。あまり他の龍も来ず、彼が一人で過ごしたい時に時々訪れている場所である。
「……ふぅ〜。慣れないせいか、酷く疲れる……」
リアムは目の前の大木を通り過ぎようとした時、たまたま通り掛かった若者とぶつかった。
「……あ……! 」
相手はバランスを崩し、尻もちをついてしまった。弾みでカーキ色の帽子がはらりと大木の根本に落ちる。
「申し訳御座いません! 私としたことが、考え事につい夢中になってしまって、前を見ておりませんでした。失礼をどうぞお許し下さい」
真っ青になったリアムが倒れた相手を助け起こそうと手を差し伸べた途端、息を呑んだ。
長い睫毛に縁取られた
陶器のように滑らかで白く美しい肌。
瑞瑞しい白桃のように淡く色付いた頬。
桜桃のようなふっくらとした愛らしい唇
帽子と同じカーキ色の上着に溢れる結われた髪は黄金のように輝いており、
どういう訳か格好は男装であるが、大変美しい娘であった。
「……わたくしは大丈夫です。どうぞお気になさらないで下さいまし」
リアムの手を取り立ち上がったその娘は、どうやら帽子が落ちたことに気が付いていないようだ。リアムが帽子を渡そうとすると、その娘ははっとなり顔を上げた。リアムの顔を見て、さっと頬を紅く染める。
「……これは失礼を。私はラウファー家のリアムと申します」
「お初にお目にかかります。わたくしはディーワン家のクレアと申します。どうぞ以後お見知りおきを」
「それにしても何故男装を? 」
リアムの問いに対し、カーテシーをしたクレアはゆっくりと冷静に答える。
「中々外に出してもらえないからですわ。リアム様も王族の者とお見受けしますが、今少し平和な日々が訪れているでしょう? それなのに、ずっと部屋の中だなんて、億劫ですもの。息が詰まりそうですわ。格好さえ変えれば動きやすいですし、直ぐにはバレないかと思いまして、変装して抜け出して参りましたの」
立居振舞と言い話し方と言い、身分の高い者だということが分かるが、随分と奔放な娘のようだ。家でじっとしているのはあまり好きではないと言う。
「家の者が心配なさるのではないですか? 」
「時間を決めておりますの。ある一定の時刻になったら、小間使いのナンシーがこの森の近く迄来てくれます。ところで此処は何処でしょうか? わたくしとしたことが、迷い込んでしまったようですの。どうか教えて下さいまし」
リアムは教える。
龍族の国・ベレヌス国と人間の国・オグマ国の境目にある草原。その敷地の内、オグマ国よりに森がある。今二人が居る場所は丁度草原とその森の境目であると。
国境に柵と言ったものは特に何もない為、オグマ国から人間が迷い込んでも別におかしくはない。しかし、敵対している龍族と衝突すると無事では居られないとオグマ国では流布している為、この森に人間が入り込むことはほぼ皆無である。
色々話しをすると、不思議と息も合う。最初緊張で表情が硬かったクレアも、打ち解けてきたらコロコロと良く笑うようになった。それはまるで小鳥の囀りのようだった。
出会ったばかりであったが、互いに他人の気がしなかった。
四半刻程経ち、そろそろセヴィニー家の城に戻らねばならないと分かっていたリアムだったが、クレアと妙に離れ難かった。
「そろそろ戻らねば……又、貴女に会えますか?」
「久し振りに楽しゅう御座いました。わたくしも、貴方にお会いしとう御座います。……毎日でも」
クレアはにっこりと微笑む。そこでリアムは提案した。
「それではクレア殿に場所と日時を書いた手紙を贈りましょう。貴女が読めば手紙は直ぐ消える仕掛けだから、他の者にばれることは無いから」
「嬉しい。直ぐ消える仕組みの手紙? 貴方は手品がお出来になるの? リアム様は凄いですわね! 」
遠くでクレアを呼ぶ声が聞こえた。
「ナンシーが呼んでいますわ。もう行かなくては」
「あの声の方向なら、あの大木から北の方角に向かってゆけば辿り着ける筈です。危険な動物も特に居ない森ですが、足元にはどうぞお気を付けて」
「有り難う御座います。それではリアム様、ごきげんよう」
クレアは帽子を被って髪を隠すとリアムの言った方向に向かって歩き、あっという間に森の中に消えた。
この出会いがこれから先の運命を大きく変えてゆく引き金になろうとは、この時の二人は知る由もない。
リアムが城に戻るとアルバートが声を掛けてきた。片手にカクテルグラスを持っている。
「リア? アディに聞いたがお前、途中で抜け出して一体何処に行っていたんだ? 」
「頭が痛くてな。外へ気分転換に行っていたんだ」
「戻ってきたなら大丈夫と思って良いのだな? 」
アルバートは使用人の盆からカクテルグラスを受け取り、リアムに渡す。リアムは受け取ったグラスに口をつけた後、アルバートに尋ねた。
「ああ、もう大丈夫だ。そう言えばアルビー、お前に一つ聞きたいことがある」
「どうした? 」
「王族で“ディーワン”の家名を聞いたことがあるか? 」
「ディーワン家? ああ、知っている。人間の国、オグマ国内で今一番勢力を持っている王族だ。しかし急にどうした? お前が人間の王族の家名を聞きたがるとは。ディーワン家の一人娘であるクレア姫は大層美人だと聞いている。龍王族の姫なら私はひと目あってみたいがな……残念だ」
アルバートはやや残念そうに眉を曲げた。龍王族としてプライドが高い彼は、龍族の者にしか興味がない。
リアムは驚いた。では、先程あったあの男装の娘は、姫君だと言うのか? 言われてみれば所作振る舞い口調など、上品さを感じた。しかし、好奇心旺盛な心は深窓の姫君のそれとは思えなかった。
そう言えば、あの姫の瞳孔は縦長ではなく、円形だった。人間と龍族との違いを決定づける特徴。しかし、リアムの心から先程の男装の姫君の可憐な容姿が消えることはなかった。
リアムの心にあるのは
あの姫に又会いたい
ただ、それだけだった。
夕暮れが近付き、日が暮れ始めた。
城に松明による炎のデコレーションが加わった。
奏でられる調べも緩やかで甘い響きの曲となり、男女で踊っている者は頬をつけて踊り始める。
舞踏会は夜遅くまで続いた。
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