第十九章 霊獣


 あくる日、冬だが珍しく暖かい日のことだった。セレネーのガウリア家に一人に若者が訪れた。身なりの良い青年だ。その日ルーカスは仕事でノトスに出ており、テオドールはヘスティアーへ支援に出ている為、二人共不在である。使用人が当主不在の件を伝えると、その訪問者はサミュエルに用事があると言ってきたらしい。昨今の事件に関して相談したいことがあるそうだ。


 自室にて使用人から報告を受けたサミュエルは眉を顰めた。


「私に用事? はて、一体誰だろうか? 」


 ――先ずサミュエルは使用人に客人を門に一番近い中庭へ案内するよう伝えた。使用人が部屋から居なくなると、本棚の傍に立っていたウィリアムが歩いて来る。


「よりによって小父上とテオドール殿不在の時に訪問者か。何だか臭うが、お前は立場上拒む訳にはいかないよな。私はまだ表には出られない上戦力外だから、ここに居て後方支援に回ろう。何かあったら手を回せるようにする」


 ウィリアムはサミュエルの左肩にぽんと手を置いた。


「……ウィル、有り難う。何かあったらすぐ知らせる」


 ウィリアムを部屋に残し、サミュエルは使用人に指示した中庭へと向かった。ウィリアムは己に術をかけて気配を消し、自分の存在をサミュエル以外誰にも気付かれぬ様にした。


 まさかこの日の出来事が戦いの火蓋を切って落とす切っ掛けになろうとは、この時の二人はまだ、知る由も無かった。




 サミュエルは素性が分からぬ客人を敷地内に入れたとしても、屋敷内には入れなかった。極稀なことであるが、ルーカスやテオドールも似た状況の場合は門に一番近い中庭に案内していた。何かあった時の対応をとりやすくする為である。念の為、気配を嗅ぎ取られにくい場所へ兵士を待機させている。


 使用人に中庭へ案内されていた客人は深緑色の外套を羽織り、切れ長の目、灰白色の瞳を持つ青年だった。どこか弱々しい雰囲気を漂わせている。彼はサミュエルを見ると一瞬びくっとしたが、恭しく礼をした。


「当家にようこそおいで下さいました。本日当主不在の為、代わりに私、サミュエル・ガウリアが対応致します」


 その来訪者はおずおずと口を開き始めた。


「私はジェイコブ・ロールズと申します。勢力の弱い家系である為、貴方様は私のことを多分ご存知ないと思われます。ガウリア家の方に直にお目通り出来るなんて身に余る光栄でございます。サミュエル様、どうか、どうか我々をお助け下さいませ」


「ジェイコブ殿。どうぞ頭をお上げください。当家はそんな大それた家柄でも何でも御座いません」


 サミュエルは平身低頭しながら懇願するジェイコブを助け起こす。


「相談事があるとのことでしたよね。ゆっくりお伺い致します」






 一方、こちらは書庫にて。読書がほぼ日課となっているアシュリンが今日も書を読みに足を運んでいた。普段と違うのは、ハンナがお供についてきている位だ。


「今日は珍しく私も書を読みたい気分ですから」


 とハンナは言ってはいるが、アシュリンが心配でついてきているのである。実は兵士も何人かこっそり尾行して張り付いている。


「……監視されているみたいで何か妙に落ち着かないけど、仕方がないわよね。何事も用心するに越したことはないわけだし」


 書庫の中でアシュリンとハンナは全くの別行動で、何かあったら直ぐ呼ぶようにアシュリンはハンナに言われていた。


 ……ゴト……


 何か物音がする。


 ……ゴトゴトゴト……


 アシュリンは何だろうと思って顔を本から上げると、自分に向かって何か音が近づいて来る。


 ……ドグゥオオオオオオオ!!!!!


 アシュリンが反射的に身を屈めると、騒音が鳴り響き、目の前の壁に大きな穴があいた。


「アシュリンさん! 危ない!!」


 ハンナが間一髪、アシュリンを抱えて右側の通路に跳んだ。本棚が雪崩のように倒れてきた。耳を劈くような地響きとともに、沢山の書籍がバサバサと床に広がる。ハンナの温かい腕の中でアシュリンは血の気が一気に引いた。背中がひやりとする。


「ハンナさん! これは一体……!!」


「やはりご一緒して正解でしたわね。はっきりとしたことは分かりませんが、誰か曲者が敷地内に入り込んだのかもしれません。私達は早く書庫から抜け出す方が宜しいですわ」


 とその時、アシュリンとハンナの眼の前に何者かが現れた。見たところ九つの頭を持つ蛇の様だ。丈は見上げた以上に大きく天井ギリギリであり、黒黒とした鱗が艶々と照りかえっている。


「キシャアアアアアアアアアアアアア!!!」


 巨大な黒蛇の咆哮が書庫内に響き渡った。


「頭が……九つある……蛇……!?」


「これは……私は初めて見ますが、霊獣のようですわね。どなたの霊獣かは存じ上げませぬが……」


 その九つの頭を持つ蛇が口を開いた。大きく真っ赤な下がチロチロ出ている。


「我が名はヒュドラ。我が主の命により、その娘を連れ申す!」


 ハンナがヒュドラの前に立ちはだかる。いつの間にか右手に棒のようなものを持っていた。


「そうはいきません。私が相手になります」


「我、相手が女だからと容赦はせぬぞ」


「上等ですわ」


「ハンナさん……!?」


 ハンナはアシュリンにそっと耳打ちする。


「私が囮となってここは何とか食い止めます。アシュリンさんはなるべく早く書庫を出て早くサミュエル坊ちゃまのところに向かって下さいまし!」


「そんな……! ハンナさん!!」


「私も龍族ですからそう簡単には死にませんわ。どうぞご安心なさって。さあ、早く」


 ハンナは右手に握った物を大きく振りかざし、ヒュドラ目掛けて一気に振り落とした。すると、棒かと思ったその先から一気に何か縄のような物が伸び、ヒュッと風を切る音とともにヒュドラをピシリと打ち据えた。


 幾ら禁忌文書が保管されている部屋は頑丈に閉ざされているとは言え、流石に書庫内である為ハンナはあまり派手なことが出来ない。建物内では龍体にもなれない為、人型のままである。


 ヒュドラが触手のようなものを伸ばし、鞭のように振り回してきた。ハンナは辛うじて避けつつ鞭で応戦する。裾の長いドレスを着たままであるが、空中を飛び回る、その身の裁きはまるで舞を舞うかのように美しい。普段のおっとりした彼女とは真反対である。


 ぶつかり合う触手と鞭、飛び回る机や椅子、双方の気魄きはくがバチバチにぶつかり合い、巻き起こる激しい風圧で重たい書籍が何冊も弾き飛ばされる。


 ハンナはアシュリンを庇いながらヒュドラとの攻防を繰り返す。何とかしてアシュリンを書庫の外に誘導しようと奮闘した。


 触手がハンナにぶつかる寸前、扇のような物で触手からの攻撃を受け止めた。


「は!」


 ハンナは扇を投げた。

 扇はヒュッと風を切る音を立てて大きく弧を描きヒュドラに一撃を喰らわすと、ブーメランの様にハンナの手元に戻った。


「ほう…“海鳴鞭かいめいべん”や“海風鉄扇かいふうてっせん”を保持しているとは。この建物内ではただの飛び道具にしかなれず本領発揮出来ぬのが残念だな。お前はシートン家の者か? 」


「その通り。しかしそれ以上話す必要は無用ですわ」


「面白い。どこまで持ちこたえられるか、見物だ」


 ハンナとヒュドラは再び対峙した。






 その頃、中庭にてサミュエルはジェイコブと言う青年と話しをしていた。ジェイコブは涙をはらはらと溢し、ハンカチで鼻をかみながら、これまでロールズ家がラスマン家から受けた損害と屈辱を恨みつらみ話して聞かせている。相談事とはラスマン家に対抗する為に是非ガウリア家の助力を願いたいとのことだった。ジェイコブの話しを聞いていると、やたら家柄や血筋の話しがくどくて引っかかりを感じていた。


 ――サム!


 突然サミュエルの脳にウィリアムの声がダイレクトに伝わってきた。


 ――ウィル? お前こう言う形で伝達術を使えたのか?


 ――こういう使い方は今回が初めてだ。見えないようにしているが、お前の左肩に私の“子火龍”を貼り付けて置いたのだ。私の声は聞こえているようだな。


 ――ああ、きちんと届いている。


 ――“子火龍”は実体がないから壊れることはない上、私が術を解かない限り外れないから、安心しろ。お前の目の前にいるジェイコブという奴、やはり曲者のようだぞ。名前も恐らく偽名だ。今迄の話しも、身振り手振り元々全て“演技”しているに過ぎない。


 ――やはりそうか。漂う気配と感じる“気”が弱小のものとは到底思えぬから、怪しいと思っていた。


 ――ルーカス小父上とテオドール殿には伝達術をこっそり飛ばしておいた。私は私で他に企みがないか探ってみる。サム、頑張って持ちこたえろ。


 ――有り難う、ウィル。お前が居てくれて心強い。


 サミュエルはジェイコブと話しをしつつも、脳内ではウィリアムとこっそり連絡をとっていた。


「――ジェイコブ殿、そろそろ本題に参りませんか? 」


「はて、サミュエル様、一体何のことでしょう?」


「我が家に何のご用事で参られたかということです……エレボス・ラスマン殿」


 ジェイコブの灰白色の瞳が奥で光った。口調も大変わりする。


「……漸く気付いたか。サミュエル。貴殿ならばこれ位の芝居、もう少し早く気付くと思ったぞ。しかし、貴殿は私の人間としての姿を見るのは初めてだろうから、致し方あるまいな」


 ジェイコブの先程までの弱々しい表情がなくなり、深緑色の外套をその場で雑に脱ぎ捨てると、真っ黒な装束が下から現れる。今迄とは全く別人の表情だ。


「しかし、もう手遅れかもな。今頃私の手の者が貴殿の“宝珠”を手に入れている筈……」


 サミュエルは息をのむ。


「……な……!? 」


「私は部下の監視と時間稼ぎの為だけに此処に来た。主な仕事は部下に任せておる。貴殿に危害を加える気はない。今のところは……だが」


「……貴様という奴は……」


 サミュエルの顔に苛立ちが現れる。そこへウィリアムの声がサミュエルの脳に語り掛けてくる。


 ――サム! エレボスの言葉で冷静さを失うな! アシュリン殿は書庫にいる! ハンナ殿が奴の手下を食い止めている。彼女達はまだ無事だ。


 ――分かった。ハンナが付き添ってくれて助かった。ただ、早く助力が必要そうだな。


 サミュエルはエレボスに悟られぬよう脳内でさっと会話した。


「私の言が信用ならぬのであればその目でしかと確かめてみるが良い。武器? 今日は私自身元々戦いとは無縁のつもりだからほら、持ち合わせておらぬ」


 エレボスは両腕を広げ、剣といった武器の不所持を示すジェスチャーをした。


「……兎に角ここは一旦失礼する。暫しお待ち頂こう」


 サミュエルは兵を二・三人呼び、エレボスの相手をするよう指示し、もし何か異変があれば連絡を直ぐ寄越すよう頼んだ。


 サミュエルは書庫に急いだ。早鐘の様に拍動が喧しい。


――頼む。間に合ってくれ……!!






 ヒュドラがアシュリンに向かって触手を伸ばした。それを見かけたハンナが身を盾にしてアシュリンを庇った。触手はハンナに絡み付き、投げ飛ばした。


「ハンナさん…!」


 …ズシャアアアアアアッッッ…!!!!!


 …バキバキバキバキッッッ…!!!!


 物凄い騒音と共にハンナは壁に叩きつけられた。壁には本棚一つ分の大穴が空き、亀裂が蜘蛛の巣のように走っている。


「……う゛っ……」


 ハンナはその場に倒れ込み、動けなくなってしまった。衝撃で脳震盪のうしんとうを起こし、気絶しているようだ。


 異変に気が付いた兵士達も駆け付けて来てくれたが全く歯が立たず、全員ヒュドラによって壁に叩きつけられ、動けなくなっていた。


「来ないで!! 」


 アシュリンが叫ぶと胸元から幾筋もの眩い光が迸った。

 月白珠が光を放った途端、周りの本棚がヒュドラ目掛けて一気に倒れ込む。

 ヒュドラは避けながら場所を移動すると、重い書籍が爆弾のようにヒュドラ目掛けて飛んできた。


 ヒュドラは自分に向かって飛んでくる無数の書籍やら机やら椅子やら本棚やらを避ける様集中し始めている。その空きをつき、アシュリンは倒れているハンナや兵士達を書庫の入り口に運ぼうと試みた。


 その時、


「アーリー!!!」


 アシュリンを呼ぶ声が響いてきた。アシュリンが待ち望んでいた声だ。しかし、アシュリンの口からは真反対の言葉が出る。


「サム!! 来ちゃ駄目!!!」


「アーリー! 早く此方に来るんだ! ハンナ達のことは私達に任せて」


 サミュエルの後ろから追ってきた兵士達は負傷した兵士やハンナ達を運び出す作業を開始し始める。


「今は月白珠の力で何とかヒュドラを食い止めているけど、この発動が消えたら誰も抑えられなくなるわ。いつ消えるか私自身全く分からないの……だから……」


「ならば、私とアーリー以外が書庫から出れば良いわけだな? 」


 兵士達がハンナ達を運び出し終わった途端、サミュエルは書庫内に入る。その際、海鳴鞭と海風鉄扇を握り締めたまま気絶しているハンナの肩に手を置き、労いと感謝の意を示した。


「負傷した者達を急いで医務室に運んで、医師を呼べ、急ぐんだ」


「は! 仰せのままに」


 サミュエルの指示を受けた兵士達はハンナ達を運び出し、医務室に向かってゆく。


 サミュエルはアシュリンの元に駆け付ける。少しずつ弱まってゆく月白珠の光の中で座り込んでいるアシュリンは、今にも泣き出しそうである。


「アーリー、怪我はないか? 」


「私は大丈夫よ。でもハンナさんが……兵士さん達が……」


「ハンナも兵士達も普通の使用人ではない。幾ら人間の姿をしていても龍族だから頑強だ。これ位で命に問題は出まい。今医師の診察を依頼したから、彼女達はそちらに任せよう。アーリー、何とかここまで食い止めてくれて有り難う」


「サム……」


 月白珠の光が消え、アシュリンがサミュエルに向かって手を伸ばした。


 その時急に何かが光ったと思った途端、


 ドンッ


 サミュエルの身体に衝撃が加わった。右の背中からヒルトが生えている。


「……え……? 」


 ……ぽた……

 ……ぽた……


 サミュエルの口から一筋の赤い雫が溢れ落ちる。


 右の背中から脇腹にかけて薄藍色の服がどんどん朱に染まってゆく。サミュエルの顔に苦悶の表情が浮かぶ。


「ぐ……は……っっ! 」


「きゃあああああああああああああ!! サミュエルーッッッッ!!! 」


 アシュリンの悲痛の叫び声が書庫内に響き渡った。


「……エ……レボス……! 貴様……!! 」


 サミュエルは激痛に耐えながら自分の背後に立つ男を睨みつけた。エレボスは涼し気な顔をして言い放った。


「ちょっとそこに落ちていた剣を拝借させてもらった。私は貴殿に危害を加える気は『今のところはない』とは言ったが『絶対にない』とは言っておらぬ。私も父からの命で動いているからな。任務遂行の為には何でもする。父の命は絶対だからな。……悪く思うなよ」


 サミュエルは反撃を試みたが、戒めの術を掛けられている為指一本動かせない。サミュエルを見下ろしながらエレボスは冷酷に言い放つ。


「この術は貴殿を足留めする程度しか掛けておらぬから、心配せずとも一刻程で解ける。無理に解こうと“気”を使うと貴殿は意識を失うぞ」


「サム……!!! 」


 口元を手で押さえたアシュリンの瑠璃色の瞳から大粒の涙がポロポロ溢れ落ちた。


「アーリー……」


 サミュエルに駆け寄ろうとしたアシュリンは何者かの力で動きが封じられた。


「いやぁあ! 離して!! サムーッッッ!!! 」


 アシュリンは藻掻もがくがヒュドラの触手に雁字搦がんじがらめにされ身動きがとれない。どういうわけか先程発動した筈の月白珠が発動しない。


 月白珠が……反応しない……? どうして……?


 ヒュドラはアシュリンを捕らえたまま飛び去った。エレボスはいつの間にか姿を消している。


 アシュリンはサミュエルに手を伸ばしたくても届かない。サミュエルはアシュリンに手を伸ばしたくても身体を動かせない。


 二人の距離がどんどん離れてゆく。


「アーリー…!!!」


 サミュエルの叫び声が書庫内に虚しく響き渡った。







 一刻程してエレボスに掛けられていた戒めの術は解けた。身体の自由がきくようになったのを感じたサミュエルは先ず“気”を使い、自分の背に刺さっている剣を歯を食いしばりながらゆっくりと抜いた。無理に手で抜くよりも組織への損傷が最小限で済むからだ。


 カランと音をたてて、サミュエルに刺さっていた剣が床に落ちた。サミュエルの足元に血溜まりが出来ている。


 それから“気”を使い何とか止血術を施した後、立ち上がろうとした。だが目眩がして上手く立ち上がれずにその場で倒れ込んだ。


 その時、力強い腕がサミュエルの身体を抱き止めた。サミュエルが見上げると、淡い琥珀色の瞳が優しくサミュエルを見下ろしている。


「……ウィリアム殿から連絡を聞いて急いで戻ったが、手遅れだったようだ。父上はもうじき戻って来られる。……お前には本当に済まないことをした。ラスマン家の者は、我々が留守の時を狙って仕掛けて来たに違いない」


「兄上……」


サミュエルは頭痛と身体中を走る鈍痛に耐えながら、掠れ声で何とか答える。


「先程留守番の兵士達から聞いたが、負傷者は出たが死者は出ていないそうだな。当家の被害は予想していたより遥かに少なかったと私は思う。お前は良くやった。奮闘してくれたハンナ達も労ってやらねばな」


 腕の中で弟の心境を何となく読み取ったのか、テオドールは宥めるように言う。


「サミュエル。まずは落ち着くのだ。身体を休め、傷の手当を先にしよう。お前一人では太刀打ちできぬ相手だ。皆の手を借りねばなるまい」


「アーリー…!!! 」


 サミュエルは涙こそ流してはいないが目を血走らせ真っ赤にしている。やる場の無い怒りと苦しみと悲しみで心が破裂しそうになっているに違いない。


「……アシュリン殿の行方は近い内に分かる。ウィリアム殿がエレボスにさえ気付かないようアシュリン殿にこっそり印をつけてくれたそうだ。おおよその検討は出来るが、はっきりした場所が特定出来るまで体調を整えながら次の作戦を考えよう。ラスマン家の狙いはどうやらアシュリン殿の持つ“月白珠”のようだ。月白珠と深く結びついている彼女自身に危害を加えるとは考えにくい」


 テオドールは肩をかして意識が朦朧もうろうとしている弟を立たせた。先ずは医務室へ連れて行くのが先決だ。


 サミュエルは医務室の寝台に倒れ込むと、あっという間に意識を失った。止血術を施していたようだが血を多量に失っている為か、只でさえ色白な顔色が輪をかけて青白くなっている。


「今のお前には休息が必要だ。身体も心も疲れ切っている。これから先もっと過酷な戦いになってゆくだろう。弟よ、今のうちにしっかり休め」


 テオドールは弟の頭を撫でながらつぶやいた。


 医師が医務室の戸を開けて入って来ると妙に冷たい風が入り込んで来た。


 ――今日日中は暖かかったが、夜からは冷え込みそうだな……。


 医師がサミュエルの身体の状態を調べている中、窓からは今まさに沈み込もうとする太陽の光が差し込んでいた。もう少しで闇夜のベールが静かに降りて来るだろう。


「テオドール様、ルーカス様がお呼びです」


 医務室に使用人が迎えに来た。


「父上が戻られたのか、分かった。すぐに行く」


 テオドールは医師にサミュエルを任せ、ルーカスの書斎に向かった。

  

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