第十七章 予兆

 

 ある晴れた日。


 窓からサミュエルに向かって赤く点滅しながら何かが飛び込んできた。それは最初手鞠サイズの球体であった。手でふれた瞬間それは赤い龍の形となり、サミュエルの広げた右手の掌の上にお行儀良く着地する。それは、伝達術を用いて送られたゼピュロスからの機密文書だった。


 普段手紙は封書としてやり取りするが、火急の報せや機密文書を送る際、伝達術を用いてやり取りすることが多い。受け取る者に迅速且つ確実に届くからだ。受け取った者の手の上に乗ると、“気”を媒体として文書の内容を脳に直接伝え始める。伝達術をかけられた文書の形は様々であるが、種族のミニチュア型をしていることが多い。


「何!? ランドルフ家が……!? 」


 それはゼピュロスのヘスティアーにあるランドルフ家がラスマン家の襲撃を受けたという知らせだった。ウィリアム・ランドルフが伝送術で文書をウィリアムに送って来たのだ。サミュエルの背筋に冷や汗が流れる。


 ウィリアムからの文書によるとランドルフ家の負傷者は人型と龍体の者合わせて過半数だとのこと。屋敷は半壊。当主であるアラスター・ランドルフは重症を負い、サミュエルの幼馴染みであるウィリアムは傷を負いながら逃走中らしい。


 ――嫌な胸騒ぎがする。ウィリアムのことだから大丈夫だと思うが。


 役目を果たした赤い手乗り龍が姿を消し、サミュエルがルーカスの部屋へ向かおうとした矢先、突然後ろから何かがぶつかって来た。サミュエルが間一髪右腕で抱きとめる。それは辛うじて床に落ちずに済んだ。髪結いの解けた美しい蜂蜜色の長髪が波打つように乱れ、傷だらけの顔に零れ落ちている。髪の間から空色の瞳が悪戯っぽく輝いた。


「……ヘヘ……やはりこうきたかサム。私の予想通りだが、どちらかと言うとここは横抱きで抱き止めて欲しかったなぁ……」


 満身創痍で息が荒いのに減らず口を叩く。こんな芸当をやってのける者はただ一人しかいない。


「……床に転がさなかっただけ有り難く思え」


 サミュエルは半ば呆れ顔である。


「痛てて……冗談はさておき、サム手をかしてくれ」


 サミュエルはウィリアムに肩をかして何とか立たせ、椅子まで誘導し、座らせた。一先ず傷付いた友人の処置を施すのが最優先事項である。見たところ骨折は無いようだが、服はあちこち擦り切れ、全身に打撲と切傷と爆傷のようなものがある。それだけでも襲撃の壮絶さを物語っていた。何とか止血処置は施してあるようだが、先ずは手当てが必要だ。


「……お前は現在逃走中のようだが、よく此処まで目立たずに逃げおおせたな。徒歩では遠かっただろう」


 サミュエルは桶に組んできた水で濡らした布巾をよく絞り、血の汚れを拭ってやりながら労いの言葉をかけた。心では安堵の吐息をついている。


「痛てて……冗談抜きで楽じゃなかったぞ……私は見かけがこれだからな。ラスマン家の誰かが落としたのか黒い外套が丁度あったから、頭から被っていたのさ。勿論ゼピュロスを離れ隠れよと父からの命令さ。空を飛ぶわけにはいかぬし。飲まず食わず七日間歩き通しで殆ど寝てないからヘトヘトだ」


「小父上を屋敷に残して……か? 」


「父からの命令なんでな。万が一のことがあった場合、私一人でも生き延びれば家の方は何とかなる。父は表向き重症ということにしている。命に別条はないが、軽症でもないといった感じだな。今暫く戦力外だ。そうだサム、私が此処に転がり込んだことは極力内密にしてもらえないか? 身内は構わぬが」


「お前が転がり込んできた時に念の為結界を張っておいた。音一つ洩れない。この部屋から出なければ分かるまい」


「……すまないな。それにしても奴等半端ないぞ。中々手強い。心してかからねば、痛い目を見る」


 そこで戸を叩く音がした。


「多分ハンナだ。先程処置に必要な物を持ってきてもらうよう頼んでおいた」


 サミュエルが戸を開けると、薬箱と包帯のセットを持ったアシュリンが立っていた。サミュエルは驚いた顔をしている。


「……何故君が? 」


 アシュリンはジェスチャーで背を屈めるようサミュエルに伝え、彼の耳元に唇を寄せ、小声で話した。


「ハンナさん今厨房に食べ物を取りに行ってもらっているから、代わりに私が来たの。話しは聞いたわ。サムの大事なお友達なのでしょ? 私に出来ることはしたいの。よかったら手伝わせて」


「……分かった」


 承諾したサミュエルはアシュリンを部屋に招き入れる。ウィリアムの後ろから顔を覗かせたウィリアムは可能な限り居住まいを正した。


「君が……話しに聞いていたサムの“昔馴染み”か。私はゼピュロスのウィリアム・ランドルフだ。お初にお目にかかる。こんな形でご挨拶とは失礼な上に我ながら情けないが、致し方ない。どうぞよしなに頼む」


 アシュリンは治療箱を抱えながらテーカシーをした。


「ウィリアムさんですね。今こちらでお世話になっておりますオグマ国のアシュリン・オルティスと申します。どうぞ以後お見知りおきを」


 サミュエルはアシュリンから受け取った薬箱を開けると、中から必要な薬と包帯を取り出した。辛うじて縫合までは不要な為、塗り薬と包帯で事足りそうだ。アシュリンに手伝ってもらいながらサミュエルは流れる様な手つきでウィリアムの処置を続ける。


 ウィリアムの右腕に包帯を巻きつつサミュエルはふと顔を上げると、ウィリアムが妙に上機嫌な顔をしている。


「……どうした?」


「……いや……お前にも春が来たんだなぁと思うと何だか嬉しくてね」


「何の話しだ? 」


 サミュエルは真顔で包帯を持つ手に力を加えた。ウィリアムは涙目になって訴える。


「……痛たたたたた! 包帯をそんなにきつく締め上げるなよ卑怯者! 私は怪我人だぞ! アシュリン殿〜この涼しい顔をした乱暴者を何とかしてくれ! 殺される〜! 」


「……大袈裟な。これ位で死ぬわけがないだろう」


 二人の掛け合いを見ていたアシュリンはクスクス笑う。サミュエルは真顔のまま締め上げていた包帯を緩めた。


「……よし。取り敢えず私に出来る処置はこれで一通り済んだ。幸い縫うレベルの傷はなかった。治癒までは多少時間はかかるかもしれぬが、うちの秘伝の軟膏なら傷跡は残るまい。しかし細かいところは医師に診て貰った方が良いだろう。内部損傷や呪術をかけられてないかの有無に関しては分からないからな。生憎今日は休養日なので彼は不在だ。連絡しておくから明日診てもらうようにしろ。“気”を養いたければ敷地内の裏山を使え。さすれば傷の治りも少し早くなるだろう」


「助かった。……済まないな。ガウリア家は治療術の力が他龍族よりも抜きん出て優れているから、安心だ」


 サミュエルは後片付けをしていたアシュリンに声をかける。


「アーリー、私は今から父の所に行ってくる。ハンナが来るまで此処に居て彼の相手をしていて欲しいのだが、お願いして良いかな? 」


「ええ分かったわ」


 アシュリンは笑顔で快諾する。


「ウィル、横になりたければそこにある私の寝台を使うが良い」


「ああ、悪いな。有り難く使わせて頂くよ」


 サミュエルが部屋から出てゆくと、アシュリンとウィリアムの二人だけとなった。改めてよく見ると、サミュエルとウィリアムは本当に真反対のタイプだ。正統派優等生タイプのサミュエルに対し、優秀なのだろうけど、くだけてやや不良タイプのウィリアム。疲労感を帯びた目元。伏し目がちな空色の瞳。肩には波打った蜂蜜色の長い髪。やや俯きがちであちこち包帯だらけなだけに、どこか退廃的な雰囲気を更に醸し出している。通常ならきっと手放す娘はいないだろうと思われる美貌だ。


 暫く漂っていた無言の空気を先に止めたのはアシュリンだった。


「月龍族、火龍族、風龍族、土龍族……本当に様々な方がエウロスにはいらっしゃるのですね。私、人間だらけの中で暮らしていたから、今迄全く知りませんでした」


 ウィリアムは絆創膏を貼った口元に笑みを浮かべる。


「……君はエドとザックにはこの前あったとサムに聞いたよ。現在ベレヌス中の四大勢力と言えばその四種族になるが、龍の種族はまだまだある。勢力の弱い種族も居るし、例のラスマン家がそうだが、我ら人との混血龍族とは異なる純血龍族も複数いるからな。龍族の殆どがベレヌス内に居を構えるが、ラスマン家はベレヌス以外にエリウにも傍系が居を構えている。龍族と一口に言っても、色々存在するし、我々が知らない種族の者もいる。人間の中には龍を恐れている者も多いと聞くが、君は平気なようだね」


「ええ、恐怖より興味の方が先でしたから。最初は驚きもありましたが、今は傍に午睡中の龍が横たわっていても何とも思わなくなりました」


 ウィリアムは笑みを浮かべる。


「君は差別意識がない人間のようだね。先入観で物を見ないタイプか。好感度が高いよ」


「知っていることより知らないことの方が多いですから。知りもしないことを恐れても仕方ありません。今の私の居場所は昔と違い、自分以外は他種族の世界。現在自分のいる世界のことをもっと知って、皆さんのことを理解したいと思っています」


「好奇心旺盛なんだね。ルーカス殿もきっと君を気に入っていることだろう」


 ウィリアムが座っている椅子の手摺てすりに頬杖を付き始めたのを見てアシュリンはハッとなり話しを止めた。


「……ごめんなさい。一週間も休んでいらっしゃらないと聞いていたのに私ったら。お疲れでしょう? 少し横になられて下さい」


「お気遣い有り難う。アシュリン殿。龍族は人間よりは頑強に出来ているから、心配無用だ。簡単には潰れぬ。だが、お言葉に甘えて少し横にならせて頂こうかな。でも君とももっと話しがしたい。君みたいな人間と話せるなんて、中々ない貴重な機会だから。横になりながら話しだなんて失礼極まりなくて申し訳ないが、良かったら付き合ってくれぬか? 」


「分かりました」


 アシュリンは肩をかしてウィリアムを寝台に座らせる。重症ではないとは言え、ウィリアムは時々顔を顰めている。痩せ我慢しているのがばればれだ。


 アシュリンとウィリアムはその後少しずつ話しをした。アシュリンは火龍族の話し、ウィリアムはサミュエルと出会ったきっかけ話し、それぞれ知りたい話しをお互いにぽつりぽつりと話した。ウィリアムはアシュリンが淹れた茶を時々口に含みながら、アシュリンの話しに耳を傾けている。


「……君は本当に優しい人だな。サムが君を手放したくない気持ちも良く分かるし、あいつとお似合いだ。君とはきっと長い付き合いになるだろう。サミュエルを宜しく頼む。サムは立派だし頼りになる男だが、ああ見えて結構脆いところがあるんだ。是非支えてやって欲しい。サムの友としてのお願いだ」


 ――サムに近しい方々からお褒めの言葉を頂いてばかりな気がするけれど、私で本当に良いのだろうか? サムは私のことをどう思っているのだろう? いつか、聞いてみよう。


 アシュリンは拍動が身体中に響き渡るのを感じ、顔を真っ赤にした。






 一方、ルーカスの書斎にて。


 書き物の手を休めたままのルーカスとサミュエルが話しをしている。


「……そうか。お前のところにも連絡が来たのか。先程ヘスティアーに居るテオドールからの報告によると、今ゼピュロスの方にはボレアースのデルヴィーニュ家とノトスのピュシー家がサポートに回っているようだ。被害状況は酷い有様だそうだ。当家からも事後の手伝いに兵を向かわせている。アラスターが無事で何よりだ。ウィリアムも存命確定出来て安堵した。これでランドルフ家のことは何とかなるだろう。しかし重症ではなかったとしても、あのアラスターとウィリアムが手こずるのだから、ラスマン家の力は想像以上だな」


「当家が襲撃にあった際の備えと、被害にあった時の対策を考えた方が宜しいかと存じます」


「確かに。どちらの備えも必要であるな。兵の人数の確認と、万が一屋敷が損壊した時に備え、最低でもニから三週間分の衣食住の確保をしておくべきだな。ピュシー家とデルヴィーニュ家とも協力し合い、お互いが被害を受けた時の救援を出来るようにせねばな」


「ところで父上、ウィリアムを暫く私の自室で静養させたいのですが、宜しいでしょうか?」


「うむ、ウィリアムはお前の部屋で静養したほうが良かろう。お互いに気のおけない者同士だし、彼には早期回復して貰わねばならないしな。アラスターには後程伝達術で知らせておく。外部には漏らさぬよう皆にも周知せねばな。ウィリアムに関してはお前に一任する」


 サミュエルは表情を和らげた。


「分かりました、父上」


 その後、ルーカスとサミュエルは今後のことについて色々と話し合った。







 サミュエルがルーカスの所から自室に帰ると、いい香りが漂ってきた。



 ハンナがお手製「マナの実スープ」を運んで来てくれたのである。ウィリアムとアシュリンの傍に居たハンナは戸に立つサミュエルの姿を見付けると笑顔で手招きをする。


「おかえりなさいませ坊ちゃま! 丁度良うございました。さぁさ、お熱いうちに坊ちゃまもどうぞ。ウィリアム様が一週間殆んど何も口にされてないと伺っていたので、スープならお召し上がりになるかと思いまして。折角だからお一人より此処の皆様でご一緒にと沢山作りましたからね」


 サミュエルを視野に認めたウィリアムはにかっと笑顔になる。


「いやぁハンナさんは良く気の回る凄くいい人! お料理は滋味深く美味しいし! サム〜お前は果報者だなぁ。これで贅沢言ったらお前地獄行きだぞぉ」


「食事の時ぐらい少し大人しくしろ……と言いたいところだが、お前は学院の寮生活の時から全く変わらないから言っても無駄か」


 サミュエルは呆れ顔をしながら席につき、ハンナ特製のこのスープを久し振りに口に運ぶ。今日のも変わらず五臓六腑に沁み渡る、優しい味がした。ふと昔幼かった頃の記憶が脳裏に蘇る。あの頃、必死で自分を看病してくれた幼かったアシュリンの顔を思い出し、サミュエルの目元が自然と柔らかくなる。


「……そうだウィル、父から許可を得てきた。今日からお前は私の部屋で静養してもらう。早く完治する迄私が面倒をみる」


「おお〜有り難い! 恩に着るよ。まぁ、小父上は許可して下さると思っていたがな。その代わりと言ってはなんだが、ここ最近俺が見聞きしたこと知っていること、見解は全て提供する。身体は万全ではないが、おつむは万全だからな」


 ウィリアムは自分の頭を指差しつつ満面の笑顔を振りまいた。傷だらけだが艷やかな花のような笑顔である。自分の家や家族が悲惨な目に遭っているにも関わらず、辛い顔を一切していない。寧ろ今の状況を楽しんでいるようにさえ見える。


「今日からサムと一つ屋根の下かぁ。寮生活の時も同室だったから、何だか懐かしいな。あ、そうだ、お前に夜這いを仕掛けることは絶対しないから、余計な心配は無用だ」


 サミュエルは眉一つ動かさず即座に返答する。


「……お前は誤解を招くような余計な一言が多い。本当に実行したら私の権限でこの屋敷から放り出す。お前に関することは私に一任されているからな。アーリー、彼の冗談は日常茶飯事だから決して真に受けないように」


 ウィリアムはむぅと膨れっ面をする。


「つれないなぁ〜冗談には冗談で返せよサム。……と言っても、真面目なお前が乗るわけがないのは分かっているけどな」


 饒舌で根が陽気なウィリアムが仲間入りしたこともあり、その日は明るく楽しい夜となった。

  

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