第十六章 想い

 ある日アシュリンが部屋で鏡を見ていると、ハンナが大きなカートを押して来た。


「アシュリンさん、お茶にしましょうか? 」


「ええ。ハンナさんもご一緒して下さいますか? 」


「あら、宜しいのですか? ……と言いたいところですが、アシュリンさんお一人ではきっと寂しいでしょうから、実は私のも準備して参りました。女二人で色々お話ししましょう」


「ああ、嬉しい」


 ハンナがテーブルに茶器セットとお皿を並べ始める。使われている食器はポットを含め白磁に紺色で草木の蔓の文様が描かれた焼き物である。


 ファミル茶と花の形をした焼き菓子・ルーゼとミルカが準備されていた。ジャムやクリームのようなものも、可愛らしい器に上品に盛られている。ティースプーンや小さなナイフも添えられていた。


「さあ、冷めない内にどうぞ」


 紅茶の器から湯気がゆっくりと立ち昇り、得も言われぬ甘く芳しい香りが部屋中を漂い始めた。


 ファミル茶は身体を芯から温める効能のあるギムが入っており、茶葉にファミルの花弁がブレンドされた、ガウリア家冬の定番紅茶だそうだ。アシュリンは一口飲んですっかり気に入った。ストレートでも勿論美味だが、好みでファミルの蜜を入れても茶の渋味を抑え円やかな味わいとなり、口の中がお花畑になったような心地がする。


 ルーゼは小麦粉を使った生地でファミルの咲きかけの花弁を立体的に再現されており、見ただけで壊れないか心配したくなるほど繊細な作りをしている。口に入れると優しい甘さが舌を喜ばせ、形はあっという間にホロホロと崩れてゆき、ファミルの花の香りだけが口の中に残る。


 ミルカは木の実をひいたものと小麦粉を混ぜて牛乳で練り上げた生地を丸く成形してさっくりと焼き上げたもので、大変香ばしい。パンとクッキーを足して二で割ったような食感でそのまま食べても美味だが、添えられているファミルの実と花弁と蜜を煮詰めて作られたジャムとバナ牛の乳を煮詰めて作ったクリームをつけながら食べるものらしい。


 お茶を一緒にしながら、ハンナとアシュリンは色々話しをした。サミュエルは早くに母親を亡くし、それ以来ハンナが母親代わりとなってあれこれ世話をしていたとのこと。ハンナが言うことには、サミュエルはただでさえ静かで大人しく優しい性格だが、アシュリンに関しては更に輪をかけて優しいらしい。


「この前サミュエル坊っちゃまが貴女を連れて戻られた時は本当に驚きましたよ。確か夜が明けて間もない時刻でしたが、全身真っ黒で傷だらけの坊っちゃまが血だらけの貴女を抱き抱えて転がり込むように屋敷の中に飛び込んできましたから。私は丁度早く起きておりましたので、何事かと思って駆けつけましたよ。あの時の坊っちゃまは鬼気迫るような雰囲気で、まるで別人のようでしたもの。あんな坊っちゃまは初めて見ましたわ」



 ――ハンナ。もう起きていたのか。助かった。こんな時刻に申し訳ないのだが客室を一部屋至急準備して欲しい。それと医師を頼む。このままではこの娘の命が危ない。彼女を何としても助けたいのだ――


 ――分かりました。急いでご用意致します。坊っちゃまも怪我をなさっているではないですか! 早くお手当しなくては! ――


 ――……私の怪我はかすり傷程度だ。戻る途中に止血術をかけたから然程さほど傷まぬ。彼女の手当の方が優先だ。応急処置はしたから何とか持ちこたえているようだが、私の術だけでは限界だ――



「医師から命に別状はないが、暫く静養が必要と言われた時は、坊ちゃまは本当に心から安心なさっておいででしたわ」


「私が意識不明の間そうだったのですね。その節はご心配おかけしてすみませんでした。あの……ハンナさん。一つお尋ねしても良いですか? 」


 アシュリンは手にしていた紅茶の器を皿に乗せた。


「ええ、構いませんよ。どうなさいました? 」


「ルーカス様やテオドール様からお伺いしたのですが……私何か良いところはあるのでしょうか? 龍族ではない上魔術も使えないし、何の取り柄もない非力な人間ですけど」


 アシュリンの言わんとしていることに気付いたハンナは、にっこりと微笑みながらゆっくりと諭すように話し始めた。


「どなたも何かしら良い点はあると思います。寧ろ良いところが無い者は聞いたことが御座いません。私から申し上げるとしたら、アシュリンさんはその優しさですね。とてもお優しい性格だと思います」


 ハンナの手にあるティーポットからこぽこぽと音を立てて器に茶が満たされるのを見ながら、アシュリンは聞き返す。


「優しさ……ですか? 」


「ええ、そうですとも。ただ一人に対してではなく、誰に対しても大変お優しい。とても素晴らしい長所だと、私は思います。坊ちゃまもアシュリンさんのそういうところをお好きになられたのだと。“優しさ”はどこかで大きな力となっていますよ」


「そう……なのですか」


「もっと自信をお持ちになって下さいまし。誰が何と言おうと、サミュエル坊ちゃまの月白珠をお持ちになっておられるのは、アシュリンさんただお一人なのですから」


 月龍族・ガウリア家直系の子孫から贈られた月白珠の保持者、それ即ち「ガウリア家の婚約者」もしくは「ガウリア家のパートナー」と認められし者――エウロスに来て突然現れた肩書にアシュリンはどうしても緊張が拭えなかった。


「当主様もテオドール様も貴女のことを大変気に入っておいでです。私達使用人も皆一同、貴女を大切に思っております。近頃脅威になりつつあるラスマン家の者が色々騒動を起こしているようですが、アシュリンさんを頑張ってお守り致します」


「どうも有り難う御座います。……何か恥ずかしいです」


 突然転がり込んだ平凡な人間である自分を、屋敷の者皆が慕い、守ってくれる。もう独りぼっちじゃない。両親を喪い心細いながらも歯を食い縛って一人で生きてきたあの頃に感じた空虚感は今感じない。柔らかい羽根に包まれたような心地がする。まさか、全く種族の異なるこの土地で自分の居場所を見付ける日が来ようとは。人生何が起こるかよく分からないものだ。


 先日アシュリンが月白珠によって夢に引き摺り込まれていた時、サミュエルは一晩中自分の傍に居てくれた。仕事で疲れているだろうに、「傍に居てほしい」というアシュリンの願いを聞き入れてくれた。アシュリンが再び月白珠に引き込まれぬ様に“気”を使ってずっと引き留めていてくれたそうだから、多分一睡もしなかったに違いない。自分の為に。アシュリンが目覚めた時にはサミュエルは既に姿を消しており、ハンナが傍に居てくれていた。目覚めはすっきりで、心には安堵感があった。


 しかしよくよく考えると寝台でサミュエルと一晩中二人きり……シチュエーションを思い出すと今更ながらアシュリンは顔から火が出そうになった。


 ――あの時は恐怖のあまり藁尾わらおもつかむ思いでサムを引き留めたけど、我ながらなんて大胆なことを口走ってしまったのかしら! サミュエルは私のことを変に思ってないかしら? 済んでしまったことは仕方ないけど、恥ずかしい!! 私は何かと厄介になってばかりだし、この屋敷の方々に、何かしてあげられることはないだろうか? きっと少し位何かある筈。探してみよう


 益々募る想いを胸に、アシュリンは頬を紅く染めながらも微笑んだ。

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