第十五章 異変

 ある冬の日。夜も更けた頃、サミュエルが自室の書斎で書き物をしていると、戸を叩く音がした。どこか切羽詰まった雰囲気を感じる。


 ――誰だろう……? こんな時間に。何か事件でも起こったのだろうか?


「坊っちゃま! 坊っちゃま!! いらっしゃいますか? 」


 ――ハンナの声だ。ひょっとしてアシュリンに何かあったのだろうか?


 ペンを机に転がし慌てて戸を開けると、血相を変えたハンナが戸の前に立っていた。


「坊っちゃま! 早く来て下さいまし! アシュリンさんのお部屋から謎の光が出ていて、幾らお呼びしてもアシュリンさんのお返事がないのです!! 」


 サミュエルがハンナと共にアシュリンの部屋に駆け付け戸を開けると、真っ暗な部屋の中で寝ている筈のアシュリンの身体が淡く白い光に包まれながら宙に浮いていた。栗色の髪は下から天井へと波打ち目は虚ろの状態で、首飾りの月白珠が光り輝いている。その様子は背筋がぞくりとするような幻想的な美しさがあり、どこか蠱惑的でもあった。


「アーリー!? 」


 サミュエルはアシュリンに呼び掛けるが、言うまでもなく返事がない。何か言わんとしているのか口元に動きがみられるが、何を言っているのかは良く分からない。


 ここ数日特に異変もないのに、月白珠が何故「発動」を起こしているのか理由が分からない。


 サミュエルは術をかけ、月白珠に直接問い掛けてみることにした。しかし、サミュエルが幾ら術をかけても反応がない。どうも術が月白珠に跳ね返されて効果がないようだ。


「坊っちゃまの術に応えない……? これは一体何なのでしょう……!? 」


 今度はアシュリンの意識が戻るよう覚醒術をかけてみた。今回の術の方がまだ手応えがあったようで、少しずつアシュリンを包み込んだ月白珠の光が和らいでゆく。


 光が完全に消え失せた途端、宙に浮いていたアシュリンの身体が落ちて来た。サミュエルが慌てて受け止め、そっと抱き寄せる。


「アーリー! アーリー! アシュリン!! 」


「アシュリンさん! アシュリンさん!! 」


 二人で何度か呼び掛けた後、サミュエルの腕の中で虚ろだった瑠璃色の瞳に漸く光が戻った。額に冷や汗の玉が光っている。サミュエルはアシュリンの額に手をあててみた。熱は無いようだが呼吸が浅い。


「……リアム……」


 アシュリンの口から最初に飛び出した名前にサミュエルとハンナは絶句した。


 ――リアム。それは龍族の王子の名前。


 龍族がまだ人間と争っていた頃、長い間続いていたその戦争に終止符を打つきっかけとなった一人の王子、リアム・ラウファー。龍族の者ならその名を知らぬ者はいない。しかし、ケレースから出たことのなかったアシュリンが、何故その名を知っているのか? 父上や兄上からは祖先の話しまではしていないと聞いている。月白珠に纏わる書籍は書庫には置いていない。それなのに……一体何故だ?


「……私……今何を……?此処は……? 」


 自分を心配そうに見下ろすサミュエルの顔に気が付き、アシュリンは驚いた。サミュエルがアシュリンの額に掛かる乱れた栗色の髪をそっと掻き分けると、アシュリンの肩が微かに震えるのを感じた。


「此処は君の部屋だ。君は魘されていたが、もう大丈夫だ。気をしっかり持て」


「夢……また夢を見ていたのね。私。ごめんなさい。ここのところよく不思議な夢を見ることが増えて……」


 サミュエルが静かに問いかける。


「……どんな夢だ? 」


 アシュリンの左手が無意識にサミュエルの右腕を掴んだ。顔色があまり芳しくない。身体が冷や汗でじっとりと湿り気を感じる。


「あれは……私がエウロスに来てからと言うか、来る時と言えば良いのかしら。あの火事にあって以来、時々見るようになったの。最近はその頻度が上がったわ。自分がお姫様のような格好をしていて、誰かが私を呼ぶ声が聴こえるけど、その人は私を『クレア』と呼ぶの。私はその人を知らないのに、その人のことを『リアム』と呼んでいて、その度に酷く胸を締め付けられる……そんな夢を見始めた。何故かは……良く分からないわ」


「ケレースに居た頃は見なかったのか?」


「ええ、全く。最初はまだ何処かの森の中で彷徨っている夢だったけど、どんどん細かい内容になってきているの。建物の模様とか、出かけた場所とか。自分が経験したことがないのに、沸き起こる感情が生々しくて、冷や汗をかく時もあるわ」


「そうか……分かった。君は少し顔色が優れないようだ。続きはまた今度ゆっくり聞かせて欲しい。ハンナ、彼女の着替えを頼む。このままでは……風邪をひいてしまう」


 するとサミュエルの右腕を掴むアシュリンの手に力が入った。指先が震えている。


「サムお願い。もう少し……傍に居て欲しいの。何故か分からないけど、今だけで良いから……」


 サミュエルは自分の右腕を掴んでいるアシュリンの手を優しく包み、自分の腕からそっと外しながら諭すように言った。


「……分かった。先に着替えなさい。ハンナ、私は外に居るから、終わったら呼んでくれ」


「分かりました」


 アシュリンはまだ夢から完全に覚めていないようだ。顔色が紙のように白くなるほど、月白珠が彼女に見せる「夢」は恐ろしいものなのか? 月白珠がそんな力を持っているとは知らなかったとは言え、彼女を不安がらせる原因を作ってしまったのは月白珠を渡した自分である。そのことを申し訳なく思うサミュエルだった。




 月白珠は四百年前に龍族の王子であるリアム・ラウファーと人間の王女、クレア・ディーワンの因果で生じた石。リアム王子の涙とクレア姫の血から生まれた幻の宝玉。持つ者をあらゆる苦難から守り抜く守護石。それ故持つ者に害を与える筈がない。




 ――あの火事の日以来見る夢。私があの時駆け付ける前に一体何があったのか? そう言えばあの時私はエウロスに居た。急に誰かに呼ばれた気がして、その方向に気を集中させたらいつの間にかオグマ国の町、ケレースで燃えさかるアシュリンの家の前に来ていた。私は瞬間移動術は出来ないのに何故だ? 月白珠が私を呼び寄せたのだろうか?その時アシュリンは月白珠の光に包まれながら座り込んでいた。怪我をしていて血だらけだった。……血……? まさかアシュリンの血に月白珠が反応していたと言うのか? ……ということは……。





「坊っちゃま、終わりましたよ。アシュリンさんがお待ちですわ」


 ハンナの声でふと我に帰ったサミュエルはアシュリンの部屋に入った。着替えの済んだアシュリンは天蓋付きの寝台で背中を起こしていた。今日の彼女は何処か儚げに見える。


 サミュエルは今宵自分がずっとアシュリンの様子をみることを伝え、ハンナに一旦下がるよう指示した。


 サミュエルが寝台の傍の椅子に腰掛けると、アシュリンが身を乗り出してサミュエルの右腕に縋り付いてきた為、左手で肩を抱いてやる姿勢になった。体制がきついので自身もそのまま寝台に移動し、寝台に腰掛けることにした。


「普段は平気なのに、何故か今日は酷く怖いの。背中がゾクゾクする。自分が自分でなくなってしまいそうな気がして仕方がなくて……」


 アシュリンは微かに震えている。サミュエルは左手で静かにアシュリンを抱き寄せる。


「君は月白珠の力にまだ引き込まれてしまっているようだ。再び引き込まれてしまわないよう私が術で引き止める。今晩ずっと傍に居るから、安心して休みなさい」


「サム、ありがとう。凄く安心するわ。さっきまで仕事だったのでしょう? 忙しいのにごめんなさい。……貴方とはずっと昔から知っているような、そんな気がしてならないの。不思議ね」


「私も同じだ。八年前のあの雪の日に初めて会った筈なのに、君とはずっと昔から知っている気がしてならない」


 アシュリンはそのままサミュエルに身体を預けるような姿勢で、いつの間にか静かな寝息をたてていた。サミュエルはアシュリンが落ちないよう自分の方に抱き寄せ、布団をかけてやった。そして彼女の額に人差し指と中指をあて、呪文を唱え始めるとサミュエルの指先が白く発光し始める。サミュエルはただひたすらアシュリンの安眠を願った。


 ――ここ暫く“気”を使ってなかったから、これ位の使用量なら大したことはないな。幸い明日は仕事の予定は入れてなかった。夜が明けてハンナと交代したら少し裏山で休むか。今後のことも考えねばならないしな。


 サミュエルの祈りの色とも見える小さな白い光は、夜が明けるまでずっと輝いていた。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る