第十四章 書庫にて

 ガウリア家には大きな書庫がある。屋敷の中央近くにあるが、古今東西ありとあらゆるジャンルの書籍が置かれており、屋敷内の者は誰でも目を通すことが出来た。


 一部限られた者しか入れない部屋もある。そこは鍵がかけられており、ルーカスかテオドールの許可がないと入れない。ガウリア家の機密文書が保管されている為だ。その部屋は滅多に開かれることはない。普通に入れるところは至って普通の図書館のような感じである。基本的に持ち出しはしない。


 書庫には机が置いてある部屋も幾つかあり、戸を閉めてしまえば個室としての利用も出来た。飲み物を入れる給湯室も完備してある為、書類を持ち込んで仕事をすることも可能だ。勉強しているものもいる。




 あくる日。


 アシュリンがガウリア家の書庫に入ると、テオドールが書き物をしているのが目に入った。髪は漆黒で瞳の色はサミュエルより薄い琥珀色をした、ルーカスに似た美丈夫である。サミュエルとは血の繋がった実の兄弟だが、外見はあまり似ていない。穏やかな目元はどこか似ている。


 アシュリンはふと顔を上げたテオドールと偶然目があった。テオドールは微笑みを浮かべながらアシュリンに声をかけた。


「……おや。どなたかと思えばアシュリン殿。今日のお召し物は清らかな色合いがとても素敵だ。よく似合っている。私の元に月の精霊が舞い降りたのかと思ったよ」


 サミュエルとは違った美貌を持つテオドールにこうさらさらとお世辞を言われると、慣れていないアシュリンは壁の裏に隠れたくなる衝動に駆られる。


「テオドール様! ど……どうも有り難うございます。滅相も御座いません」


「先日は折角の外出がラスマン家の者に邪魔されたそうだが、大事なかったようで良かった」


「お気遣い頂きどうも有り難うございます。お仕事のお邪魔をしてすみません」


「いや、貴女に声をかけたのは私の方だ。父から伺ったが、貴女は本好きらしいね。当家は現当主が書庫を作って自由に書を読める機会を作っている。是非好きなだけ書を読んで頂きたい」


 アシュリンが目を瞬かせながら口を開く。


「あの……お尋ねしたいことがあるのですが、今宜しいでしょうか? 」


「構わない。この仕事は急ぎではないし、私もどこかで貴女とゆっくり話しをしたいと思っていた。こちらの席に掛けて少し待っていて欲しい」


 そう言ってテオドールが奥の部屋に一旦姿を消した。


 アシュリンが指示された椅子に座って待っていると、テオドールはお茶の器を二つ載せた盆を持って戻ってきた。いつかルーカスの後を継ぐ立場であるテオドールが手ずからお茶を淹れてきているとは思わなかったので、アシュリンは焦った。


「……テオドール様! すみません。どうぞお気を遣わず……」


「丁度茶を飲もうと思っていただけなので、気にしないで欲しい。うちは使用人に依頼することもあるが、割と自分でなんでもする習慣なのだ。私はお茶をいれるのが特に好きでね。さてと、私にどんなお話しかな。楽しみだ」


 テオドールは向かい合わせに座ったアシュリンの前に茶の器を乗せた小皿を置き、すすめた。彼はそんなちょっとした動作も眼を見張る程美しい。戸を閉めるとアシュリンは緊張しながらお茶を啜り、ぽつぽつと話し始めた。お茶は温度加減も丁度良く上品なまろやかさの中にきりっとした渋味があって、ふわりと安らぐような甘味があり、絶妙な淹れ具合だ。


「この前のことを含め、最近謎の事件が起きていますよね。私がこちらに訪れてから事件の起こる頻度が上がってないでしょうか? 」


 テオドールは優しく答える。


「あぁ……そのことか。事件自体頻度は少ないものの、ずっと昔から起こっていることだ。現段階では君と関係があるとも言えないし全く関係ないとも言えない……としか答えられない。まだ調べが全て出来ている訳ではないから、はっきりとは言えないことが多々ある。アシュリン殿は何か気になることがあるようだね」


 お茶の器から真っ白な湯気が上に上にと静かに立ち上る。アシュリンは何か決意したかのように真顔で答えた。


「もし……私が此処にいることで色々起きているのでしたら、私は此処から立ち去った方が良いのではないかと思いまして」


 アシュリンからの突然の言葉にテオドールは表情を変えずに答える。


「何故そう思うのかな。サムと何かあったのかい? 」


 アシュリンは慌てて首を横にふる。


「いえ、サムには本当に良くしてもらっています。此方にはお世話になってばかりなのに、私のせいで色々災いが起きているのかと思ったら、何だか申し訳なくて」


「貴女は真面目な方のようだ。しかしゆくあてはあるのかな」


 アシュリンは言葉に詰まる。ケレース町にある実家は全焼してもうない。町の人々もアシュリンは家と共に焼け死んだと思っているだろう。


 ……自分の居場所……


 ――私はいつかエウロスを去る日が来るのだろうか?


 ふと考えると、不思議とどこか切なく感じる。胸を鋭い針で刺されたような感じだ。自分はオグマ国で生まれ育った人間の筈なのに、周りが龍だらけのこの国に違和感なく馴染んできていることに気付き改めて驚く。


「……ゆくあてがないのであれば、暫く当家に居た方がまだ安全だ。龍に比べ人間は骨格的にも肉体的にも脆弱だと思う。狙われたら終わりだ。既に貴女は彼等に顔を見られている。外に出る方が命の危険性が高いと思う。遠い昔からだそうだが、ガウリア家とラスマン家は何かしらの因縁があるようだ。これは貴女だから話すが、これまで起きている事件の殆どにラスマン家の者が絡んでいるという情報をやっと掴んだ。彼等が此処を襲撃せぬとも分からないが、今すぐとも限らない。父も分からぬと言われている。父が存ぜぬことであれば、年若い私とサムは尚更分からぬ。分からぬまま策を練るよりも、調べを進めてこれから対策を練ったほうが現実的だと私は思う」


 テオドールはそこで茶の器に口を付けた。自分の茶の淹れ具合に満足しているのか、表情がやや緩んだ。


「実は、弟にもう一方の情報を調べるよう依頼している。人間が関係している事件の黒幕に関してだ。私にはどちらも裏で繋がってそうな気がしてならぬが、まだはっきりしたことは分からぬ」


 ――道理で最近サミュエルに会わないと思ったら。別件の仕事で忙しいみたいね。あの日以来、自衛の為とは言え外にも出てないみたいだし。


 アシュリンの目の変化に気付いたテオドールが話題をすかさず変えた。


「ところで、貴女が持つ“月白珠”はその後変化はないかな?」


 アシュリンははっとして答えた。


「先日黒龍とぶつかった時、強く願ったら私の願いを聞いてくれたのか、サムと私を二人共守ってくれた……位ですね。真っ白な光に包まれて、何が起こったのか分からなくなりました」


「何を願ったんだい? 」


「『サミュエルを守って欲しい』と、ただそれだけを願いました。私は祈る以外何も出来ないからです」


 テオドールは無言でアシュリンに向かって左手を出した。右手で袖を捲り上げる。すると、腕輪が現れた。その腕輪の中央に石がはめられている。その石はアシュリンの首飾りの石と同じ輝きを放っている。


「テオドール様……これは……! 」


 アシュリンは目を大きく見開いた。予想通りの反応を見せるアシュリンにテオドールはどこか嬉しそうだ。


「御察しの通り、これは私の月白珠だ。私は月白珠をこの腕輪の石として保持している。サムと異なり、私はまだ“守るべきもの”に出会っておらぬからな。戦後いつの頃からかは分からぬが、ガウリア家直系の子孫は月白珠を何らかの形で保持している。伴侶が居る場合は伴侶が保持している。父の場合は母がもう居ない為、現在父自身が保持しているが、指輪の石の体をしている」


 アシュリンはふと思い出した。ルーカスは左指の薬指に指輪をしていた。月白珠を保持しているガウリア家の者は、何らかの理由で伴侶が居ない証を示している。


「父も私もこの月白珠が“発動”しているのを実際に目の当たりにしたことがない。発動を起こした月白珠の話しを聞くのは恐らく貴女が初めてだ。それ故に、貴女の持つ月白珠が何故発動を起こすのか理由は不明だ。月白珠が未知なる力を秘めているということだけは想像出来る」


 テオドールは腕輪をひとなでした。琥珀色の瞳は興味津々で輝いている。


「月白珠は『主』と認めた者の意思を尊重する。きっと貴女の意思を認め、サムを守ったのだろう。まさか自分が守ろうとしている者に逆に守られるとは……サムはさぞかしや驚いたに違いない。その時のサムの顔を見たかったよ」


 テオドールは破顔する。その時のサミュエルの顔を思い出し、アシュリンもつい笑顔が溢れた。


「今のサムは生き生きとしているように感じる。多分学院を卒業して以来かな。ずっと真面目に家業を勤めてばかりだったから。だから弟が突然なんの連絡も寄こさず当家に貴女を連れてきたと聞いた時は正直驚いたよ。一途で頑固な性格の弟らしいとも思ったがね。昔自分を助けてくれた相手、しかも月白珠を渡す程の相手を助け、守りたい。間違いなく弟は、貴女に恩義以上の想いを持っている。ただ、弟の話しを聞くに、弟自身はまだ自覚はないようだ。貴女はサムのことをどう思っている? 無理にとは言わないが、出来れば聞かせて欲しい」


 突然意見を求められたアシュリンは少し間を置いて話し始めた。


「彼と一緒だと安心感があります。サムとは昔から知っているような気がします。あの八年前の雪の日に初めて出会うもっと昔から。何故かと問われても根拠がないので何とも言えません」


 それを聞くと、テオドールはどこか安心した顔をした。


「……そうか。貴女と弟はきっと何かしら縁があったのだろうね。無理に聞いて済まなかった。兄としてはたった一人の弟のことが気掛かりでね……おっと、すっかり話し込んでしまったな。つい長く引き止めて済まなかった。私個人的に貴女がどんな人か知りたかった。貴女はとても聡明な方のようだ。どうかラスマン家に関してはまだ他言無用にしていて欲しい。今まで話したこと聞いたこと全て外部に漏れないように結界を張っていたから、音一つ漏れてはいまい。個人的な内容のことは誰にも話す気はないから気にしないでくれ」


 テオドールが戸を開ける仕草をすると、戸が音をたてずに開いた。今、結界も解けている。


「あ、いえ、大丈夫です。こちらこそ大事なお時間を頂きどうも有り難うございました。色々知らなかったことも分かって、大変有意義な時間でした。また色々教えて下さい。あとお茶もどうも有り難うございました。美味しかったです」


 お茶の器を片手にテオドールの元を辞しながらアシュリンはふと思った。


 ――私はサムのことをどう思っているのだろう?


 テオドールから問われて改めて考えた。正直今のところ、一緒にいて安心する。それ位しか感情がない。しかし、なんの取り柄もないただ一人の人間でしかない自分の一体どこが良いのだろう?


 ――テオドール様は、結構お優しい方なのが分かって良かったな。今日は急に声を掛けられて驚いたけど。


 話しているところをあまり見かけたことが無く、少し近寄り難く感じていたテオドールが身近に感じられた。アシュリンは一人っ子の為、兄弟姉妹が居ない。頼もしい兄が居るサミュエルが羨ましかった。


 ――私は此処から追い出されることはまずなさそうね。寧ろ逆に此処から出て行かないで欲しいと言われているような気がする。


 使用人や兵士達含めガウリア家当主一族は皆龍族である。自分以外種族は別だが、不思議と違和感を感じない。たまに話す使用人や侍女達も優しく明るい者達ばかりで、どちらかと言えば居心地が良い。


 ――お世話になってばかりでは申し訳ないよね。武力は無いし魔術さえ使えない非力な私に何か出来ることはないだろうか……?


 給湯室で器を洗いながらふと我に返ると、自分が現在居る場所のことを思い出した。此処は書庫。何でも揃っている知識の宝庫ではないか!


「折角色々聞いたことだし、歴史書も読んでみようかしら? 幸い此処の言語は私の国と共通だから翻訳の心配要らないみたいだしね」


 アシュリンは洗った器を返却棚に置き、書庫の別の部屋に入っていった。

  

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