第六章 思い出のスープ

 アシュリンがエウロスに保護されて一週間が経ったが、中々食が進まない。他の使用人達が困り果てている中、ハンナがカートに乗せた大鍋を運んできた。中にはどうも汁物が入っているようだ。ハンナお手製マナの実がたっぷり入ったスープである。ハンナがそれを器によそい始めた。野菜のコクとギンカ豚の肉の旨味が入った芳醇な香りが部屋中を漂い、仄かに湯気が天井へと立ち昇る。


 出されたスープをひと匙口に入れた途端、アシュリンは目を丸くした。そのスープは香りといい味といい、懐かしい亡き母手製のスープと同じ味だったからだ。しかも、アシュリンの好物であるマナの実が沢山たくさん入っている。アシュリンの反応をみたハンナが微笑んだ。


「ここのところずっと食が進まないご様子でしたので、坊っちゃまのご意見もありこちらではどうかと思ってお持ちしたのですが、大丈夫のようですね。良うございました」


「……ハンナさん、このスープ……母の味と同じ味がします」


「実はこのマナの実スープ、坊っちゃまがお気に入りのスープなんです。昔旅から戻られた時に作って欲しいと何度もせがまれましてね。一度話して下さいましたが、貴女のお家でお世話になった時に食べて以来、忘れられない味だそうで。何回かお作りしてこの味に落ち着きました。貴女のお母様の味だったのですね。合点がいきました。これが大丈夫でしたらまだ沢山ございますので、どうぞ遠慮なくお申し付け下さいな」


 八年前のあの冬の日、まだ子供の龍体だったサミュエルを介抱した時に飲ませたスープ。サミュエルはこの味を覚えていたというのか。まさかサミュエルの家でこの味に会えるとは。お腹の中からじんわりと温かさが広まり、アシュリンの頬を涙が一筋こぼれ落ちた。


「坊っちゃまから聞きましたが、色々大変なことがあったみたいですね。アシュリンさんはこちらに来られてから何もお召し上がりになられてないですから、ずは食べられるものからゆっくりいきましょう。じゃないと、治るものも治りませんわ」


「……本当に、色々ご心配お掛けしてすみません。どうもありがとうございます」


「もう少しお元気になられたら街に出られると宜しいかと。……エウロスの街は初めてですか? 」


「初めてです。今まで人間ばかりのケレースから出たことがありませんでしたから」


「そうですか。……折角せっかくの機会ですからお出かけになられる際は色々見られて下さいな」


 アシュリンはひと匙ひと匙スープをゆっくりと口に運び、懐かしい日々に思いを馳せた。マナの実がホクホクと口の中で優しく崩れてゆく。温もりが五臓六腑に染み渡り、手足の先まで解れてきた。何故か火事に遭って以来、謎の夢を見たり悪夢を見たりが続きうなされることが屡々しばしばあったが、今日は悪夢を見ずにすみそうな、そんな気がした。


 生まれ故郷はもう居場所がないし、だからといっていつまでもお世話になりっぱなしになるわけにはいかない。なんとかして生きていかねばならない。先ずは元気になるのが先決だ。頑張って栄養のあるものを食べないと。それから身の振り方を考えよう。アシュリンは咀嚼していた豚肉をごくりと嚥下した。

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