第15話 おもてなし料理
「あなたの髪はサラサラでいい香りがします。服はゴワゴワしてるけど」
「石鹸で洗っているからな。服は麻布だからゴワゴワするのは我慢してくれ。」
「石鹸?時々私の知らない言葉を使うのね。それに、あなたはずっと私をおぶってますけど、疲れませんか?」
「いや、軽いものさ。人と話すこともなかったから、ずっと抱えていたいくらいだよ。それにもうすぐ着く。あの見えてきた廃村が目的地だ」
「よかったわ。もう着いたのですね。あまり長くおぶさると迷惑かなと思っていたのです」
「大丈夫。軽いものさ」
「えっ。あそこに見えているのは 最果ての村?しばらく前まで倭人が住んでいた?うむ、間違いない。あの村の真ん中にある木を見間違うはずもない」
独り言が聞こえる。
なんだか1人で納得している魔術師。
シオンに案内され、朽ち果てた集落を通り抜け、少し進むと手入れの行き届いたこざっぱりした小屋があった。
魔術師も、ここが目的地なのだとすぐにわかる。
母屋の隣には明らかに素人作りの小さな可愛い小屋もあったが、ここに着くまで他に人を見かけなかった。
「さあ。着いたぞ。腹が減っただろう?ご飯にしよう。食べる前には汚れた手を綺麗に洗わないとダメだぞ。そこに、手洗い用の水が有る。桶に汲んで使うんだ。はい。これが石鹸」
小屋の中で床に降ろされ、少年から洗面所の流しの前でなんだか四角い物体を渡され固まる娘。
「これは?」
「あれっ?石鹸を知らないのか?水に濡らして洗うと泡が出て綺麗にしてくれるものだよ」
そう言うと、シオンは手慣れたように柄杓で桶に水を汲み、手を洗ってみせる。
みるみる手が泡立ち、シオンは使い終わった石鹸を、すのこ状の皿に置くと、柄杓で水かけて手の泡を洗い流す。
すのこ状の石鹸置きは、竹ひごを粗く編んだもので、水だけが下に落ちる作りだ。
よく考えられている。
そして、粘土を焼いたと思われる素焼きの流しから、竹のパイプで小屋の外へと手洗いに使った水が排出された。
洗い終わると横の棚からたたまれた麻布を取り出して、手の水を拭う。
お嬢さまにとって、それは初めて見る儀式のようなものだった。
「お嬢さま。まず私がやってみましょう」
魔術師が名乗りをあげる。
「おおっ。これは凄い。面白いな」
石鹸を受け皿に戻し、泡まみれの手をこすりながら何やら感動するおっさんが1人。
とても絵にならない。
お嬢さまと呼ばれる若い女性セリナ。
彼女は不思議に思っていた。
遭難したところを助けてくれた自分とあまり歳が変わらないであろう少年。
名はわからないと言う。
立ち振舞や受け答えから彼の育ちが良いのは間違いない。
何より、自立して1人で生活しているのに不自由を感じさせない生活力。
そして、石鹸という知らない物体。
この者の知識はどこから来たのであろうか。
魔術師が シオンに言われるままに手を洗うと、汚れていた手が泡立つ。
そして手の泡を水で流すと綺麗になっており、柑橘系のいい香りに包まれていた。
「これは素晴らしい。お嬢さま。これを売るだけで家が建つのでは?」
この男。
手を洗うだけで騒がしい。
セリナも石鹸を使ってみる。
擦るごとにだんだんと泡立つ手が、不思議だ。
水で泡を流すと、白く可愛い手になった。
「そうね。確かにいいわね。侍女に濡らした布で拭きあげてもらうより綺麗になっているわよ。見ただけでわかるほど違うわ。それに、いい香りがする」
セリナは手の匂いを嗅いでみる。
薄っすらと柚子の香りに包まれて清々しい。
「気に入ったなら少し持って帰ってもいいぞ。1人では使いきれないほど作ったからな。オススメはヨモギの石鹸だけど。ヨモギに薬効が有るからちょっとした擦り傷なら治りも早いのだ」
隣の部屋から返事がある。
作業のために移動したシオンは、何やら忙しく動き回っているらしい。
「ジューッ。パチン。ジュワー」
辺り一面に、香ばしい香りが立ち込めてくる。
「何をしておるのだ?」
「テナガエビの素揚げだよ。もう一品は、ポテトチップ。略してポテチだな」
そう言いながら、シオンは油に何かを投入する。
「ジュワワワワー」
合唱するように音を立てて泡立つ油。
エビとはまた違ったいい香りが周りに漂う。
「スアゲ?ポテチ?よくわからないがいい香りだな」
シオンは、魔術師の質問に答えることもなく、机に並べた2つの皿の上に揚げあがったものを乗せ、上からパラパラと塩を振る。
陶器の皿の上に平行に敷かれた笹の葉数枚。
その上に真っ赤なエビが並べてある。
大きな白い皿に乗せた緑の葉、その上に並ぶ赤いエビ。
見た目にもきれいな盛り付けだ。
「とりあえず、冷めないうちにこれでも食べて待っていてくれ」
食べてもいいと指示されたのは、隣の皿の上にコンモリと盛られたポテチだった。
両手ほどの大きさの目の細かい竹かご皿の上に、薄茶色に揚げられたものが、ゴソッと盛られている。
芋を薄くスライスしてしばらく水にさらし、その水分をよく拭き取ったものを揚げたものらしい。
お嬢さまたちは、揚げ物自体が初めてだった。
「お嬢さま。毒があるといけません。ここは私が味見します。私なら毒消しの魔法が使えますから」
また、魔術師がでしゃばった。
お嬢さまであるセリナは、この時ほど専属魔術師を疎ましく思った事がない。
そこから漂う素晴らしい香りから、ヨダレが垂れそうなのだ。
毒でもなんでもいい。
とにかく食べたい。
そう思うのだが、娘は上品に育てられたせいか欲望に忠実になれなかった。
魔術師である男が恐る恐る口にする。
「カリッ。サクッ」
と噛み砕く音。
「ハオーゥ。フォォォォォォォ」
男は口が緩み、目尻が下がってしまい、今まで見たことのない惚け具合だ。
魂が抜けるとはこの事か
「お嬢さま。どうぞ。お召し上がりを」
男はふと我に返って娘に勧め、皿からまたポテチを摘み上げると、自分の口いっぱいに詰め込んで頬張った。
セリナも1つつまんでみる。
ポテチはまだ熱いのだが、薄いだけに冷えるのも早く、手に持てないわけではない。
1枚だけ口に入れる。
「シャクッ」
セリナの目が見開く。
思わず、次を両手で掴み口へ運ぶ。
お嬢さまらしくないお行儀の悪さだ。
「ハムッ。ボリボリボリ・・・」
「バリバリボリ・・・」
部屋の中、ポテチを噛み砕く音だけとなる。
2人が争うように次々と口に運ぶため、すぐに皿は空になった。
魔術師も食べ物となるとお嬢様を気遣わないらしい。
「私としたことが・・・」
セリナは我に帰ると、自分が夢中で貪っていた事に気がついて恥ずかしくなっていた。
口の周りには、ポテチの破片と塩が付いているのに気がついていない。
「美味かっただろ?もうすぐ出来上がるからな。待っていてくれ」
「はい。完成。食器が揃っていないのは勘弁な」
少年は、セリナに向かってニッコリ微笑む。
その優しげな笑顔に、セリナの心は撃ち抜かれていた。
出来上がったのは、メインであるエビの素揚げ、白菜の味噌汁、ご飯だった。
米は地下に貯蔵されていた陸稲をシオンが育てて収穫したものだ。
それを食べる分だけ精米して使っている。
「いただきます」
手を合わせる男。
「????」
「食べ物には感謝の意味を込めて『いただきます』って言うんだ。食べた1つ1つが今の体を作ってくれているのだぞ。だから感謝は大事だ」
「いただきます」
「いただきます」
両手を合わせて真似する2人。
不思議な光景である。
「ハウッ。熱っ。うまっ」
味噌汁をすすり、ウットリと両手を頬に当てるお嬢様。
ホッペが落ちるとはこの事か。
「ハフ、ハフッ、ボリボリボリ・・・。ホォー」
まだ熱いエビを噛み砕いた魔術師ジュエルの目は垂れ下がり、頬も緩んでだらしなさ満載だ。
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