第6話 日本をデザインする。

 コロナ禍で分かったことは、当たり前のことだが、「人が動かないと、お金が動かない」と云うことだ。逆に云えば「人が動くと、お金が動くということ」でもある。

明治維新はまず天皇を動かし、そして人々を東京に集め、官僚を作った。遷都も一つ。霞が関を解体し分解する。東京から地方への流れを作る。人も企業も大移動のお引越し。これだけでも、相当なお金が動こうというものだ。放射能とコロナで汚れた日本列島を汚染水でもいいから、思いっきりかき混ぜたい衝動を私は抑えがたい。

 一番は地方にどうお仕事を作るかと云うことだが、日本経済連も中央集権・一極集中の限界を感じ、グローバル時代の道州制に前向きで、提言*も行っている。実行すれば企業も動く用意があるということだ。

 私が書くまでもなく、道州制は既に政策論議*も行われており、効果やデメリットも色々と研究されている。やろうと思えば出来ることだ。あとはその勇気があるかどうか、ただ、最大の抵抗勢力は霞が関である。


 道州制で一番期待しているのは、州首相を直接選ぶと云うことだ。中央の下請け機関の知事を選ぶのとは違う。アメリカの大統領選挙程ではないにしても、政治的関心が増すだろうと思うのだ。卵が先か鶏が先かの世界ではあるが、地方議会の体たらくと地方選挙への無関心は酷いものだ。特色ある地域政党が出来て、有能な人材が輩出されることを期待したい。間違っても、2世、3世の家業化した政治家の姿は御免こうむりたい。上に忖度の卑小な中央官僚の姿ではなく、オラが州創生に情熱を向ける地方官僚の姿を見たい。

 中央政府の首相はこれらの中から実績を残した人がなればよい。外交・防衛は中央が担うから、国際感覚の豊かな人が良い。間違っても靖国に参る人は御免こうむりたい。中央は今のままの議院内閣制である。大統領制と議員内閣制の両方を備えたいい案だと思うのは、自我自賛だろうか?


 九州なら九州を思い切ってデザインしなさい。出て行くだけでなく、逆に中国からの外資を導入、ニュー深圳(新鮮だと思うけど)。中国に安全・高級な食材を提供する農業基地九州なんて、元農学部はすぐ考えてしまう。私はこの程度だが、それぞれの人がそれぞれの州で地域限定のデザインを描くだろう。霞が関が考える薄まった地方より、九州は九州の人が、北海道は北海道の人が考える方が遥かに真剣だ。きっと新しい何かが生まれると思う。

「Think global, Act local」という言葉がある。つまり、「地球規模で考え、地域的に行動しよう」というものである。


 コロナ禍の中、リモートやテレワークが役立ち、その可能性を見せたが、やっぱり「人々が動き、出会い、話をする」ことが、どれだけ大切なことかを『ステイホーム』の中で私たちは思い知った。教育の場はやはり直接出会う学校であると学生諸君も再認識したであろうと思う。

都市機能の在り方、地域コミュニティの在り方も再考されなければならない。例えば ドイツのニュルンベルク郊外にあり、人口およそ10万のエアランゲンという地方都市は、街の中心部から車を完全に排除して歩行者だけの空間にしている。人々が「歩いて楽しむ」ことができ、ゆるやかなコミュニティ空間とも呼ぶべき場が提供されて、人口10万という都市ながらも中心部が活気ある賑わいを見せている。こうして「コミュニティ経済」が成り立っている。大都市ミュンヘン(260万)でも中心部は賑わっていた。大阪と同じ人口なのに?と思った。違いは地上を歩くか、空のない地下街を歩くかの違いである。

 洲本市はかつて淡路島の中心であった。福良から洲本まで島電が通っていて、港からは神戸に船が出ていた。人々は街中を歩き、商店街は人々で溢れていた。商店街に隣接していた鐘紡の工場跡地に大ショッピングモールが出来て、人々は車を止めてそこから出て来なくなった。海峡大橋が出来て港からは船が消えた。商店街は例によってシャッター通りになって、寂しい街になった。これらは、開発はあっても、都市に対するデザインの欠如を意味する。


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