エピローグ②ただいま

 モルヴァナの街外れの丘の上には、千年ぐらい前にできた古い礼拝堂がある。モミの木の林が周囲を囲って、ヴィスナー山脈から吹き下ろす風を防いでいるため、礼拝堂は木々に埋もれるようにひっそりと息を潜めて今日までその姿を保っている。


 観光地から離れた場所に在るので街の人々しか知らず、昼間でも訪れる人は殆どいない。礼拝堂の隣には墓地があり、霜が降りた草原に白い墓石が整然と並んでいた。


「今は寒々しいけど、春には花畑になるんだ」


 私の手を引いて先を歩くアルは、ちょっぴり気まずそうに言う。

 背の高い雑草は無いし、墓石の周りはよく手入れをされている。とても大事にされているのが見て取れるから、私としては何も文句は無いのだけど。


「花が咲いたら賑やかになるね」


 と相槌を打てば、アルはホッとしたように笑って、私の手を握り直した。

 墓地の奥に進む毎に年代が遡り、墓石の形や大きさも不揃いになっていく。やがて辿り着いた最奥のエリアには、墓碑銘が殆ど読めず切りっぱなしの石を墓石に見立てたお墓がずらりと並んでいた。


「何処に居るの?」


 繋いだ手を引いてアルに問えば、アルは墓地の隅にある親指の先のような形の墓石を指した。近付いて薄く降り積もった雪を払うと、風雨と歳月に削られた名前の下に、ユリに似た蔓性の花が刻まれている。見る人が見れば月光花だと分かるだろう。

 ――ああ、ここに眠っているのか。


「ただいま。カストル……」


 荒れ果てたオクシタニアの森が復活した後、カストルは月女神ルーネの宿命に従って森を出た。その後、オルハの娘と結婚して、モルヴァナの街で一生を終えたそうだ。

 そして、カストルの子もまたモルヴァナに留まり続けることはできず、成人後に西へと旅立った。


 領主の城で見せてもらった家系図にはそこまでしか書かれていないが、カストルが現在のリーネ家の祖であるとはっきり書かれていた。カストルが月女神の御印みしるしを継いだのなら、彼もアスタヘルの記憶を見たのだろうか?


 随分と遅くなってしまったけれど、ルシオンとアスタヘルは森に帰ったよ。月神セシェルの元で私たちを見守ってくれているよ。


 私は持参した白いユリの花を手向けて、冷たい石の表面を撫でながら心の中で二人の顛末を報告した。返る言葉は何も無いが、不思議と心が軽くなった気がした。


「……また来るね。今度は花が咲く頃に」


 灰色の空が墓地の静けさに陰鬱な色を添える。墓石に触れた手はかじかんで、石の冷たさが骨に深く沁みる。

 ここに来たらカストルの記憶を見るんじゃないかと少し怖かったけれど、御印の反応は無かった。

 クレアノール王国は滅んでしまったが、魔族との戦いが終結して平和な時代が訪れた。アスタヘルの願い通り、カストルは戦いから遠く離れた場所で生き抜くことができたのかもしれない。


 私は指に口付けて、もう一度墓石を撫でる。日が翳って風が出てきたせいか、肌が凛と痛い。私は毛糸の帽子に耳を突っ込んで、マフラーに顎を埋めた。

 少し離れた所で待っていてくれたアルの元に戻ると、アルは私と入れ替わりに墓石の前に花を手向けて、すぐに戻って来る。ご先祖様に何も伝えること無いの? という私の視線に、アルは肩を竦めた。


「僕は何度も来てるから。それに……寒い所に君を長居させるなって怒られてる気がする」


「あはは! そっか、それじゃあそろそろお暇しようか」


 手を繋いで礼拝堂に戻る途中、ふと彼の横顔を見上げる。凍える風に耳と頬が赤くなっていて、開け放した首元が寒々しかった。いくら首に何かを巻くのが嫌だといっても、この寒さでは心配になってしまう。


「ねぇ、アル」


 私は立ち止まって、背負っていた鞄から黒いマフラーを取り出すと、驚きに目を丸くしている彼の首に巻いた。


「プレゼント。君に内緒で編むのは結構大変だったんだぞ。……でも、やっぱり首に巻くのが嫌だったら、無理に使わなくていいから。風邪ひかないように今だけ巻いていて」


「編んだって……セラが? 僕のために?」


 ぽふぽふとマフラーを撫でながら、アルは震えた声で問う。そんなに意外そうな顔をしないで欲しんだけど。


「うん。ミラ様に編み方を教わってね」


「ありがとう……すごく、嬉しいよ!」


 アルはマフラーに顔を埋めてくすぐったそうに笑う。さっきよりも血色が良くなって顔が赤い。


「あったかい?」


「うん。セラのマフラーも自分で編んだの? なんだか髪色を交換したみたいだね」


「言われてみれば……そうだね」


 最初に編んだクリーム色のマフラーは、失敗して穴ぼこだらけになってしまったので、流石に伯爵家のご子息に穴だらけのマフラーをあげるのはしのびなく、急遽新しい毛糸で編み直したという話はアルには秘密だ。


 クリーム色の方は、ミラ様が鉤針でお花をたくさん編んでくっ付けてくれたので、私が使うことにした。本当はひとつのものを共有しようって目的でマフラーを編み始めたんだけど、これで良かったのだろうか?


 色についてもミラ様に貰った毛糸で編んだので、黒なら何にでも合いそうだなーぐらいしか考えていなかったけど、アルが喜んでるからそういうことにしておこう。

 でも相手の髪や瞳の色に持ち物を合わせるって……よくよく考えたら恥ずかしくなってきたな。色は私が選んだわけじゃないからな! って釘を刺しておくべきか。


 私が悩んでいることなど知らず、アルはうっとりとマフラーに顔を埋めてスンスン嗅いでいる。……こうなりそうな予感はしてた。


「はぁ……セラの匂いに包まれてる。もうお風呂以外は外さない」


「嗅がないで。定期的に洗濯して」


 喜び方が独特過ぎる気がするけど、こんなに喜んでくれるなら、もっと早くに渡せば良かった。こっそり彼の横顔を見上げれば、今度は気付かれて、エメラルドの瞳がニヤリと笑う。


「首輪、大事にするね」


「マフラー! ね!」


 私は訂正しながら風にふわふわ揺れる彼のマフラーの端を掴んだ。狂犬のリードを握っている気分だけど、繋がれてしまったのは、きっと私の方なのだろう。

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