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 月女神ルーネの花嫁行列が通る道は濃紺の絨毯が敷かれ、街灯の光が夜露に反射して、銀砂を撒いたようにキラキラと煌めいている。

 沿道には荊と柊のロープが張られているが、観客は誰も居ない。月女神の神話に沿って、往路は淋しい旅路となるため、観客は私の目からは見えない所に隠れているそうだ。私以外は獣役なので、月女神が湖に着くまで、ひと言も発してはならないらしい。


 行列は蛇行することなく真っ直ぐに長く伸びている。私がアルと一緒に森を散策した時にはかなり入り組んだ道だったので、知らないうちにまた森が動いたのだろうか。

 月女神を乗せた山車だしは列の後部にあって、前方がどこまで行っているのか確認できない。そもそも、よく動くこの森の中で正確に現在位置を把握できるのは、樹の魔法が使えるセシル家の人間だけらしい。


 あとどのくらいかかるのだろうか?

 暇になるとつい余計なことを考えてしまう。


 幽玄な星灯りに照らされる中、無言の花嫁行列は静々と往く。楽隊が演奏する曲もどこか物哀しくて、これではまるで葬列のようだと思った。

 ……いや、それが正しいのか。

 これは、空から降りることを選び、永遠の命を捨てた月女神を悼む葬列なのだから。

 まさかこの歳で、自分の結婚式と葬式をするなんて。なんだか不思議な気分だ。


 ――ちなみにこれは後から聞いた話だが、この時、行列は一時間ぐらい同じ所をぐるぐると回っていたそうだ。山車に乗る月女神の未練や抵抗が大きい程、湖への道が遠くなるらしい。


 重い荷物を引かせたまま、お使いの獣たちにたっぷり一時間以上歩かせて、月女神の一行は湖に辿り着いた。

 湖の岸辺には獣耳のついたフードを被った人々がたくさん集まっていて、湖に近い貴賓席には城から先回りしたらしいレグルス卿とミラ様ご夫妻、デニス兄さん、父さんとヒースの姿もあった。

 おそらく、今この森で唯一の人間であるヒースも、白い獣耳のフードを被っている。今夜は彼も獣人としてお祭りに参加できるようだ。


 安全のため、月女神を一旦山車から降ろすと、行列の同行者たちが山車の切り離し作業に取り掛かる。私が座っていた部分は小舟になっていて、下の車輪を外すと湖に浮かぶようになっているのだ。

 力自慢の獣人たちが小舟を肩に担ぎ上げて、そのまま湖に入っていく。無事に三日月の小舟が浮くと、夜の森に大きな歓声が上がった。やっと声が出せるみたいだ。


 続いて、神話に倣って小舟に月女神の花嫁道具が積み込まれていく。月明かりのヴェールに銀花の冠。星読みの鏡に銀の胡弓……ってあれは、父さんが祝福してうっかり神造楽器になっちゃったギターじゃないか? 弦楽器ならなんでも良いのかな?

 疑問に思って貴賓席の父さんを見れば、もう祝杯をあげたのか、すっかり出来上がって号泣している。


「うっ……セラ……セラ……きれいだよ。きれいだけど、お嫁に行かないでぇぇ!」


「せ、先生! 落ち着いてください! これは儀式なんだから、セラはまだ結婚しないですよ!」


 私の方に手を伸ばして、今にも飛び出しそうな父さんをヒースが必死に止めているが、泣き声は更に大きくなる。釣られたハティも遠吠えを始めて、森のあちらこちらで応じる遠吠えが上がる。大混乱である。


「このまま結婚式を挙げても良いんだぞ? どうせ、そう遠くないうちに結婚するのだから、今日でも構わんだろう?」


「うわーーーやだーーー!! パパは絶対に許さないぞぉーーー!!!」


「煽らないでください叔父上!! セラは早く舟に乗って! 僕が先生を止めてるうちに!」


 あらあらまあまあと笑うミラ様の隣では、デニス兄さんが死んだ魚のような目で惨状を見つめている。


「というわけだから、先生が無茶しないうちに出発しちゃおうか」


 私の側に控えていたアーサー兄さんが、星のランタンを掲げて小舟を示す。


「はは……そうですね」


 騒ぎを聞きつけて貴賓席を覗く観客も現れたので、とっとと儀式を済ませた方が良さそうだ。

 私はちょうど湖から上がってきたヴェイグ兄さんたちにお礼を言って、アーサー兄さんに手伝ってもらいながら小舟に乗り込んだ。ゆらゆら揺れる小舟の上で周囲を確認したが、椅子板と花嫁道具以外には何も無い。この後どうすれば良いんだろう?


「あの、アーサー兄さん? オールは無いんですか?」


「ああ、君は座っているだけでいい。舟が勝手に進むから」


 はあ。と曖昧な返事をして定位置に着くと、楽隊の演奏が優しげな曲に切り替わった。喧騒が収まり、人々は湖の中心に向かって祈りを捧げる。アーサー兄さんの言う通り、誰も漕いでいないのに小舟はゆっくりと水面を割って進み出した。

 湖の上はいつも霧がかかっているが、この日は快晴。星空を映した紺碧の水面に星型の灯篭が沢山流されている。まるで、星の水面が夜空まで続いているみたいだ。


 岸辺を離れ、楽隊の音楽も聞こえなくなった頃、前方に光る樹が生えた小島が見えた。その下には人影が見える。……アルファルドだ。

 小島に近付く程に、夜から切り取られたように存在がくっきりと明確に見える。光る樹には月光花の蔓が巻き付いて、枝に大輪の花を添えていた。


 ちゃぷちゃぷと小舟を撫でる水音に、アルが振り返る。月神役の白金色の衣装に身を包み、同色の獣耳フードを被ったアルは、いつにも増して貴公子然としていて、その華やかな美貌に気圧されそうになる。

 けれど、アルのかっこいい様子が見れたのはほんの一瞬だけで、私に気付いた途端嬉しそうに破顔した。バタバタと千切れんばかりに揺れる金色の尻尾の幻を見て、私は目を瞬く。


「やっと来てくれたね。もう少しで迎えに行くところだった」


 ゴトンと大きな音がして、三日月の舟が小島に着岸した。私が小舟から飛び降りると、ちょっぴり拗ねた顔のアルが受け止めてくれる。


「泳いで?」


「そう、泳いで」


「ふふふ、間に合って良かった」


 私の足が地面に着くと同時に、足元から銀色の花が開いて、小島を覆っていく。甘い月光花の香りが漂って、夜がほんの少し明るくなった気がした。


「そこにクッションがあるから、膝を着いて待っていて」


 アルが示す方を見ると、月光花の花畑に埋もれるように白いクッションが二つ並んで置かれていた。私は言われた通り、クッションに膝を乗せてアルの作業を見守る。

 私の正面には月光花に巻き付かれた銀色の樹がある。その前には三つの石の祭壇があって、折り畳んだ月明かりのヴェールと銀花の冠、星読みの鏡、銀の胡弓が順に供えられていく。全ての作業が終わるとアルは私の隣に跪き、歌うように祈りの言葉を奏上した。


「神話の森に座します金月と森の神セシェル、銀月と狩猟の女神ルーネよ。我、月神の御使いアルファルド・ルシオン・セシルが大前にして降月の儀を執り行わんとす。新月の夜に星の大海を渡りし月女神の娘に、森の祝福と月の加護を与え給え」


 祈りの言葉を聞き届けて、銀の樹は眩い光に包まれた。絡み付く月光花は神域から金月の魔力を吸い上げて金色に染まる。まるで、銀の枝に星が咲いたような美しい光景だった。

 銀の樹を中心に暖かい風が湖を吹き抜け、月光花の甘い香りが森に広がっていく。夜空に揺れる極光は緑から黄金に変わって、金色の月光花が森に降り注いだ。


 ――金色の空が落ちてくる。

 その光景は、世界の初まりに黄金の実を降らせた生命の樹を彷彿とさせる。生命力に満ちた豊穣の光が月の無い夜を焼き尽くして、春風に大きく深呼吸するように森がうねる。その壮絶な美しさに、私は言葉が出なかった。

 神の御業を目の当たりにして、私は跪いたまま呆然と空を見詰めていたのだった。

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