66 閑話 Ⅶ 犬飼星(ディーン視点)

 前大公サフィルスが亡くなったのは、ヒースが学院に入ったばかりの頃の事。同時期に起きた痛ましい事件の後、アルファルドと共に一ヶ月間の謹慎を命じられたヒースは、ローズデイルに帰ることとなったのだが、彼が学院に戻るのは当初の予定より一ヶ月後の事になる。


 ヒースが故郷に帰ると、まるで息子の帰りを待っていたかのように、サフィルスは体調を崩してそのまま帰らぬ人となった。謹慎期間が明けた途端、今度は喪中となりヒースはそのままもうひと月をローズデイルで過ごす事になったのだ。


 事件から二ヶ月後、学院に戻って来たヒースに、以前のような卑屈さは無かった。


『ディーン。僕はね、近衛騎士を目指すよ』


 親友が夢を打ち明けてくれた時、ディーンは応援する気持ちよりも心配が勝ってしまった。

 どうして急にそんな事を言い出したのか。少し前までは、剣の修行なんてやりたくないと駄々を捏ねていたのに。予言者の眼を持つサフィルスから、何か予言を授けられたのか。

 ディーンには、ヒースが何かに追い立てられているかのように、生き急いでいるようにしか見えなかった。


『なんで、よりによって近衛騎士なんだ? お前……騎士になんてならないって言ってたじゃないか』


 夢を否定したいわけじゃない。だが、近衛騎士は王家を守護する騎士。騎士団の中でも優れた者しか入れない。ただでさえ難関なのに、魔法が使えないという致命的な弱点があるヒースが入れるとは思えなかった。

 しかしヒースは『近衛騎士だからだよ』と得意気に答えた。


『王城には、王家の人たち以外魔法が使えなくなる結界が張ってあるんでしょう? だったら、みんな僕と条件は同じじゃないか』


 憑きものが落ちたのか、そう言って笑った顔は晴れやかで、ディーンはそれ以上の追求を止めた。ヒースがベアトリクスに弟子入りしたのはその数日後のことである。




 ***




 襲撃者の残党狩りに近衛騎士が忙しなく走り回るのを横目に、ディーンはセシル家の竜車に乗り込んだ。逃げるように王宮を後にする貴族たちに紛れ竜車が城門を潜る頃、アーサー卿は徐に事件の真相について話し始めた。


「殿下は、夏のリブレアスタッドの事件をご存知ですね? 今回、我々が秘密裏に招集されたのは、あの事件に端を発します」


 コツコツと、規則正しく竜の爪が石畳を叩く。記憶の扉をノックされているようで、ディーンは窓の外に夏の扉を探す。


「現場に居た時はとにかく目の前のデカブ……失礼、ヒュドラを倒すことに集中していたので、知っているとは言い難いですが、獣人の赤い牙から作られた薬が原因だったと聞きました」


 王宮から出た解放感で、どうにも気が抜けてしまいそうになる。ディーンは砕けた言葉を空咳で誤魔化した。


「その通りです。あれは、一時的に獣人と同等の身体能力を手に入れられる薬。しかし、同時に心身を破壊し死に至らしめる猛毒でした。王城は王家に連なる方々以外魔法が使えませんので、薬による偽獣人を警戒して、我々セシル兄弟が護衛に抜擢されたというわけです」


 陛下が主催する今年最後の舞踏会は、エア島中の貴族が招かれる。貴族に随伴した使用人に紛れて、よからぬ者が侵入したのだろう。或いは、手引きした者が居るのかもしれない。


「製作者ヴェロニカ・ラッセル博士は研究資料と共にグランシア帝国に向かったとみられ、陛下はこの件を非常に憂慮されています。考えようによっては、その薬によって一時的に獣人の軍隊を作り上げることができる。或いは、飲み水に混ぜて大量殺戮の後に侵略の布石とすることも可能でしょう。……そんなものがグランシアの手に渡れば、戦争に発展するのも時間の問題ですからね」


 アーサー卿は窓の外を見つめたまま、澄ました顔で淡々と告げる。

 ヒュドラを倒したことで解決したと思っていた事件は水面下で続いていて、国際問題へと発展を遂げていた。

 ゾッと悪寒が背中を駆け上がる。ヴェロニカの憎しみの深さと、兵器利用を考える為政者の野心と、そしてそれらの悪意に対処する王の冷徹さに。


「そこまで俺に話してくれるのは、それが全てだからですか?」


 竜車の車窓から、夜景が斑らの光を飛ばす。アーサー卿の端正な横顔に、ほんの僅か喜色が浮かんだように見えた。


「……ええ。それだけが理由ではありませんが。内偵の結果、王妃派に研究資料が渡った形跡はありませんでしたし、ラッセル博士もアルディール国境付近で遺体で発見されました。この件はこれで捜査終了となるでしょう」


 表向きには。ということだろうと、ディーンは沈む思いに蓋をする。

 空と星の海の間に浮かぶエア島は、島自体が星であるかのように夜でも明るい。エア島には有翼人の遺跡が数多く残っていて、年末年始の夜間はライトアップされて、デートスポットになっている。

 車窓を流れる華やかな街並みが軽薄に感じられて、ディーンは目を逸らした。


「……そういえば、フィリアスが貴方を“アルタイル”と呼んでいたのですが、どちらが本当の名前なんですか?」


 気まずい沈黙に耐えられず、無理やり紡ぎ出した問いが車内の闇に弾む。コツコツと鳴り止まない爪音が胸の奥を引っ掻いて痛んだ。


「どちらも本当の名前です。先祖にあやかって、セシル家に生まれる子供には星の名を付けることが定められています。ですが、王家の隠密として仕えるようになった頃から、星の名を隠すために似たような名を付けるようになりました。星の名はコードネームのようなものだと思っていただければよろしいかと存じます」


「では、アルファルドは……」


 くすりと艶やかな笑みを溢して、アーサー卿はようやくディーンに顔を向けた。夜闇に妖しく光る金色の瞳が、彼が人間ではないことを嫌でも思い出させる。おそらく、今までにディーンが出会ったどの狼よりも狡猾な猛獣だろう。


 ――少し突っ込んで訊き過ぎただろうか?

 しかし、ディーンの心配に反して、アーサー卿は気を悪くした素振りは見せず、水面に揺らぐ月光の如き穏やかな微笑みを浮かべる。


「アルファルド・ルシオン・セシル。セシル家の四人目の子には“ルシオン”という名を付けるのが我が家の伝統なのです。星の名は、末っ子ひとりだけ付けないのも可哀想だという父の考えで名付けたそうです。なので、ひとりだけな星でしょう?」


 アーサー卿は悪戯気に地味を強調して笑う。

 星の名を付けられた時点で、自分よりだいぶ派手な名ではないかと思ったが、ディーンは相槌に留めた。竜車の揺れで首肯したように見えたかもしれない。


「セシル家は千年前に月神の器ルシオンを虐げた罪で断絶の憂き目に遭いました。森が枯れて疫病が流行り、作物等のあらゆる植物が育たなくなったのです。――ルシオンという名を受け継ぐのは、その罪を忘れていないという祖神への誓いなのですよ」


「……なるほど。込み入った話をさせてしまいましたね」


 例えば出生が違うんじゃないかなどと余計な気を揉んだのが恥ずかしい。ディーンが気まずさに俯くと、からりとした笑い声が降ってきた。


「どうぞ、ご随意に。此度はそのアルファルドのことで随分とご心配をお掛けしたようですが、私も夜会の直前に父から連絡を貰いましてね。『色々あったが、全員生存している』と。まったく……その色々が問題だというのに」


 生存はしているが、無事ではないということか?

 間違いなく何か事件が有ったのだろうが、既に気力を使い果たしたディーンは「それはひと安心ですね」と肩を竦めた。

 どうせ、学院に戻ったら、聞かなくてもヒースの方からさも大冒険をしたかのように報告してくるだろう。そうして日常が戻っていくに違いない。今はここに居ない親友を思うと、重くのし掛かっていた影が引いていく。


「雪崩による通行止めも解消されたそうですので、事後処理が終わったら私とヴェイグも帰郷するつもりです。クリスティアル公子にお託けが有れば承りますが?」


「ああ、そうだな……『バァカ!』とでも言っておいてください」


「ははは! かしこまりました」


 車内の雰囲気が和んだ頃、竜車がアスタール侯爵邸の車寄せに着いた。アーサー卿によく礼を述べて、ディーンはステップを降りる。地に足が着くと共に、ようやく人心地が付いてホッと胸を撫で下ろす。


「最後にひとつ、教えてください」


 このまま玄関に飛び込んでザファ相手に愚痴を溢したいところだが、まだひとつだけ疑問が残っていた。『ご随意に』と言ったのはアーサー卿だ。ならば答えてくれるだろう。


「……何故、こんな大事な話を俺に?」


 振り返ると、アーサー卿は座席に座ったまま左胸に手を当てて頭を下げる。柔和な笑みを浮かべていても、その金色の瞳に宿る、品定めするような鋭い光は隠せない。


「貴方はやがて我らの主人となる御方ですから」


「俺は……!」


「ええ。貴方が王位を望んでいらっしゃらないのは存じておりますよ。……しかし、貴方が望めば、その足元に馳せ参じる者たちが居る事をお忘れなきよう。それでは、いずれまた何処かでお会いしましょう」


 ドアが閉まって、セシル家の竜車が街に消えていく。御者台に掲げた魔石のランプが見えなくなると、ディーンはきつく締めたタイを引き千切り、髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。

 見上げた空に、一条の流星が駆ける。

 燃え尽きるか、輝き続けるか。戦いは既に始まっている。ディーンが望もうと、望むまいと。

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