53
空に旗めく緑の極光の向こうから、箱庭を覗くように真昼の月がヒースを見下ろしていた。燃え盛る炎の花畑の中、月に挑む太陽の化身は、手にした長剣の柄に口付けて勝利を誓う。
この戦いの勝利条件は、アルファルドを一時間程足止めすることである。だがそれはそれとして、森の暴君に一矢報いなければという、ヒース自身の剣士としての矜持の問題もあった。
ヒースは眼を瞑って呼吸を整え、胸の鼓動に耳を澄ませる。足のつま先でタンタンと節を取って、ほんの数回しか見たことのないアルファルドの太刀筋を必死に思い出す。
アルファルドはここ数日セリアルカに付き添って、食事も睡眠もまともに摂ってはいない。体力が落ちている分、短期決戦を狙ってくるだろう。
今はまだ赤い魔力光を放つ長剣だが、いつ魔法の効果が切れるか分からない。魔法剣が使えるのは、あと一回。魔法剣の補助なくしては、火魔法が使えないことがバレたら一気に勝負をかけてくるだろう。なんとかして剣主体の戦いに持ち込まなくてはならない。
最終的に、頼れるのは自身の剣技だけだ。
炎が生み出す風が、陽光を紡いだようなヒースの髪を煽る。炎の最中に居ても不快な熱を感じないのは、これが火神の加護によって齎された炎だからだろうか。
不意に風の音が変わったのを感じて、ヒースは短剣を抜いた。閃きか、はたまた剣士の勘が働いたのか。双剣を立てて身構えたその時、黒い剣風が炎を裂いて吹き抜けた。
花畑を焼き尽くす炎は突風に吹き消され、細い煙が昇る黒灰の大地に、ひとつふたつと花が咲き始める。花は数分と待たずに大地を覆い隠し、ヒースが来た時と何ら変わりの無い極彩色の花畑が蘇った。
さくさくと花を踏み締めて、白い陽炎が揺れる。白金の長い前髪がかかる青白い顔に、エメラルドの眼光は鋭くヒースを睨め付ける。剣風を放った黒刀は、今は鞘に納められていた。
「やぁ、久しぶり。……千年の恋も冷めそうな酷い顔だね」
ヒースは軽口を放ってにこりと微笑む。防ぎきれなかった風が、首と頬の表皮を裂いてヒリヒリと痛んだ。
咄嗟に剣を構えなかったら首が飛んでいたかもしれない。こんな緊張に一時間も耐えられるか? なんて弱気が囁く。
内心冷や汗をかいているのを見抜かれたのか、アルファルドは唇に薄い笑みを浮かべた。
「学院に逃げ帰ったんじゃなかったのか? まぁ、どちらにしても、お前はこの森で消息を絶つのだから、どうでもいいか」
帰ることを選んでいたら、エリオットの与り知らぬところで消されていたということか。自分はそうまで憎まれていたのかと、少しだけヒースの胸は痛んだ。
「僕を神隠ししたかったってこと? そんなに求められていたなんて知らなかったなぁ」
ヒースは双剣を構え、アルファルドの出方を探る。左手は鯉口を切った黒刀の鞘にあり、右手はだらりと垂らしたまま。まだ刀を抜く気配は無いが、緩く曲げた指の先まで緊張が張り詰めている。一分の隙も無い。
温い風が花畑を吹き渡り、花々は森の王の足元にかしずく。明るい真昼の空の下、ざわざわと蠢く極彩色の花畑は色の情報量が多過ぎて遠近感が狂う。間合いが測り難い。
「でも、ごめんね。僕はモフモフの狼より、綺麗なおねえさんの方が好きなんだ。君の気持ちには応えられないな。それに、ここに居続けたら気が狂いそうだもの……」
君みたいに。続く言葉は剣戟に掻き消された。
ほんの僅か、身を屈めたアルファルドは次の瞬間一気に間合いを詰める。瞬きの間すら与えない神速の抜き打ちがヒースを強襲した。袈裟に入った初撃を躱し、返す刀を二本の剣で受け止め斬り結ぶ。緑と赤、両者の魔力が鬩ぎ合い、熱風が花畑を吹き飛ばした。
「せっかくここまで来たんだ。遠慮せず、ゆっくりしていくといい。……死ぬまでな」
「ほんっと、酷い顔!
舞い上がる花弁に紛れて、一瞬アルファルドの姿を見失う。再び視認した時には、刃がヒースの眼前に迫っていた。
ヒースはふわりと舞うような足捌きで躱し、身体の回転を利用して後ろ回し蹴りを放つ。相手が身を反らして避けるのは予想通り。ヒースは更に回転を加え、全身を使って双剣を大きく振り抜いた。
しかし相手は身体能力に優れた狼男である。あっさり躱されて間合いを大きく開けられる。
アルファルドは後ろに大きく飛び退き、着地と同時に納刀。また、対峙する二人の間を花々の囁きが埋めた。
太刀筋が捉えにくいのは、刀という珍しい武器による独特の剣技もさることながら、そもそも刃を見せている時間が極端に短いからだろうか。
一切の無駄を排し、最短距離で急所を断つ剣技は、アルファルドが言う通り暗殺向きのようだ。
ヒースは握った双剣をくるくると回して挑発しながら、分析を深める。高まる集中に、さらさらと揺れる花の囁きが遠ざかって、聞こえるのは少し早い胸の鼓動だけ。
アルファルドの白い指が、血を求めて逸る天狼を宥めるように柄頭からするりと艶かしく撫でる。ジリジリと肌を刺すような殺気が迸り、凍てついた空気に肺までも凍るようだ。抜刀術が来ると警戒したのと、アルファルドが
瞬時に遠間合いを飛び越えて、光を呑む黒い三日月がヒースに肉迫した。躱すか受け止めるか。一拍の躊躇が重大な誤ちの刃となって降りかかる。
抜刀の一撃は躱したものの、風を纏う追撃の刃は捌ききれず、かまいたちが腕や足を切り裂いた。刀の斬撃を防いでも風の刃は容赦無くヒースに襲い掛かり、極彩色の花畑に鮮血の花を添える。傷は浅いが、とにかく痛い。
躱しても風の刃が追いかけて来る。受け流すには攻撃を充分に引きつけなくてはならないが、近付き過ぎれば風の刃に対処できない。このまま防御に徹していても、風に引き裂かれるだけ。
ヒースには殺傷するつもりは毛頭無いが、ある程度はこちらからも攻めなければ、アルファルドはヒースに対する興味を失う。セリアルカに注意が向いてしまったら、エリオットを危険に曝してしまうことになる。
――そろそろ腹を決めなくてはならない。
今更、傷付けるつもりはないなんて甘ったれたことを言うつもりはない。アルファルドを傷付けてでも止めるつもりでここまで来たのだから。
ただ、対話で解決できるかもしれないという希望を、最後まで捨てきれなかっただけ。
――だがそれももう終わり。
ヒースは左手に握った短剣を掌でくるりと逆手に持ち替えて、黒刀の斬撃を止めると、反撃に出る。迷いごと撃ち抜くように右手に握った赤の魔法剣を突き出した。
瞬間、身体中の血が逆流して心臓が剣に引き寄せられるように大きく跳ねた。剣身が赤く燃え上がり、剣先から槍のように猛火が吹き出す。炎は轟音を立てて大地を抉りながら真横に飛んだ。
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