50 閑話 Ⅳ 薔薇の庭園(ディーン視点)

 シュセイル王国首都エア島王宮。

 セシル伯爵家の者に動きを察知されないように、極力普段通りの行動をしようとの指示で、ディーンは王宮に来ている。

 長期休暇で首都に帰ると毎日のように王宮に召し出されるのがディーンの“普段”である。


 この日も父王アレクシウスに朝一番に呼び出され、執政官や補佐官や従者の真似事をさせられ、それが終われば運動という名の厳しい剣術指導が待っている。


 王の側近には王妃派や第一王子派が多く、毎日のように呼び出されるディーンを快く迎えてくれる者は居ない。異母兄フィリアスの方が優秀だなんて、改めて言われずとも知っている。ならば、王にフィリアスを呼べと進言しろと言えば黙ることも。


 幸い、この時期は年末年始の行事の準備で、皆忙しく動き回っている。わざわざディーンに嫌味を言うためだけに手足を止める者はそう多くはなかった。

 国王主催の夜会さえ終われば、後の休暇期間は理由をつけて登城を断るつもりのため、あと数日の我慢である。


 それに……きっと、呼ばれるのも今のうちだけだとディーンは思う。母ベアトリクスの遺言により、アレクシウスはディーンの師になることを承諾した。剣の稽古を申し入れれば、必ず付き合ってはくれるが、それも次第に減っていくだろう。

 王の関心がずっと自分に向いていると思える程、純粋には居られなかった。




 その日、一日の政務を終えて、三時間程集中して稽古をつけて貰った後のこと。

 アスタール侯爵家家令のザファが差し入れに持って来た果実水を口に含んだ瞬間、アレクシウス王の訝しげな声が降ってきた。


「そういえば、愛しのクリスタちゃんはどうした?」


 ブフォッと勢いよく水を吹き出して、激しく咽せるディーンに「汚いですねぇ」とタオルを手渡しながらザファは首を傾げる。


「はて、愛しのクリスタちゃんとは? 私、お会いしたことありましたっけ?」


「クリスタちゃんはなぁ、何を隠そうディーンの初恋の君なんだ」


 ゴホゴホと苦しそうに咳を繰り返すディーンの背中を叩きながら、アレクシウスは得意気に暴露した。


「ばッ……ちげぇーよ!! クレンネル大公の弟のクリスティアルのことだよ!」


「クリスティアル殿のことでしたか………………なるほど」


 ザファは顎に手を当てて宙を見つめる。アスタール侯爵邸に何度も遊びに来ているクリスティアルの容姿を思い出したのだろう、渋面で頷き、何かを納得したようだった。

 何かとんでもない誤解をされた気がして、ディーンは言い訳がましく弁解する。


「ガキの頃はどう見ても女の子だったんだよ! あれは誰だって間違えるって!」


「……儚い、初恋だったな。……ぶふっ」


 悲しげな顔で肩を組んで慰めても、最後にふき出してしまえばおしまいである。全力で嫌がっている息子を構い倒す父親の光景にザファは苦笑を溢す。


「ははぁ、私はてっきりこの前の手紙の彼女かと」


「手紙の彼女だとぉ!? 詳しく聞かせろ!」


 目を輝かせて話に食いついてきた王に、ディーンはたじろいだ。自分の在位中にディーンを結婚させると豪語して憚らないアレクシウス王が、その手の話に食い付かない筈もなく……。


「あれは、フィリアス宛の手紙を預かっただけだ!」


 ちょうど周りにはアレクシウス王とザファしか居ない。いずれ王の耳に入ることだろうと、件のクリスタちゃんが何やら面倒事に巻き込まれているらしい旨説明すると、アレクシウス王は途端に興味を失ったようだった。


「なんだよ。相っ変わらず女っ気が無ェなぁ〜。俺がお前ぐらいの時なんて、そりゃあもうモテにモテたというのに」


「いい加減浮いた話のひとつでも聞かせてもらいたいものですねぇ。陛下に遊びに連れて行ってもらっては? 当然私も護衛としてお供しますが」


「ははは! そいつぁいい! ……って、それ、お前が行きたいんじゃないのか?」


「接待交際費で落ちますかね?」


「うるせぇ〜……このエロ親父共クソうるせぇ〜……」


 ヒソヒソとお忍びの日程を相談し始めた二人を放置して、ディーンはひとり帰路についた。

 王宮内の訓練場から庭園に面した回廊を抜けて城へ戻る途中、誰かに呼ばれた気がしてふと足を止める。

 夕暮れに赤く染まる庭園に黄色い薔薇が揺れていた。のらりくらりと風に揺られる鮮やかなレモンイエローに誘われて、何気なく足を向ける。


 一年中薔薇が絶えることのないこの庭園で、薔薇の木の影に隠れて泣いていたクリスティアルを見つけたのは、十年ぐらい前のことだ。


 肩口まで伸びて毛先がくるくるした金髪に、潤んだ青い大きな瞳、泣き腫らして紅潮した頬。それはそれは儚げなが蹲って泣いていたのだ。


 この子が俺の『青き瞳の姫君』かもしれない! なんて思い込んで、その後しばらく騎士のようにいじめっ子たちから守り続けた。

 残念ながら守っていたのはお姫様ではなく、意外と強かで女の子が大好きなだったわけだが……。幼い騎士道に苦笑する。


「あの野郎、間違えられ過ぎて否定するのがめんどくさかったとか言いやがるしよ……」


 誰に言い訳するでもなくぼやきながら、ディーンはぶらぶらと庭園を散策する。

 そう、あの日も父王に剣の稽古をつけて貰った帰り道だった。城に帰る前に、おやつに貰った菓子を食べようと、居心地良さそうな場所を探していたのだった。

 その時、庭園の奥の白い薔薇の影に、クリスティアルの金髪が覗いていて……。


 我が目を疑って、ディーンは眼を瞬く。

 夕陽に俯く白薔薇の木の影に、確かに金髪が見える。しかし件のクリスティアルは今は遠いオクシタニアに居る筈で。


「そこで何をしている?」


 声をかけていいものか迷ったが、王宮に不審人物があってはならない。ディーンが声を掛けると、一瞬びくりと頭が揺れてゆっくりと振り返った。


「お前……」


 理知的な榛色の瞳はディーンの腰に提げた剣を見とめると、警戒感を露わにじりっと薔薇の影に後退る。

 やはり声を掛けるべきではなかった。何も見なかったことにしよう。ディーンはそう決めて立ち去ろうと踵を返したところ、庭園の入り口で不審な二人組を発見した。


「イサーク殿下! どこにいらっしゃるのですか!?」


「チッ……あのガキどこに行きやがった?」


「おい! 言葉に気をつけろ!」


「わかってる! だが、さっさと王子を見つけないと、俺たちが叱責を受けることになるぞ!」


 彼らが身につける紺色の制服は、第二騎士団の制服である。薔薇の影で震えていたあの子は、どうやら彼らから逃げているらしい。


 なんとなく事情を察したディーンは、存在をアピールするようにわざと乾いた葉を踏みしめて音を立てながら彼らに近付いた。二人の騎士はディーンの姿を見るなり、みるみる青褪めてあたふたとその場に跪く。


「これはこれは。第二王子殿下におかれましてはご機嫌麗し……」


「イサークがどうかしたのか?」


 セリフを遮って問えば、騎士たちは言葉に詰まって顔を見合わせた。

 第三王子イサークと第二王子ディーンの王太子の座を巡る争いは彼らも知るところである。ディーンの前で、イサークの瑕疵を論えば叱責を受けるだけでは済まないことは容易に想像がつく。


「……い、いいえ、大したことではございません」


 案の定、しどろもどろ答えを濁したので、それ以上は追及しなかった。ディーンも事を大きくするつもりは無い。


「もうすぐ陛下がここをお通りになる。あらぬ疑いを掛けられたくなければ、とっとと失せろ」


「……はっ! 仰せのままに」


「失礼いたしました!」


 バタバタと城の方に帰っていく彼らを見送って、ディーンは小さくため息をついた。

 それにしても随分と慌てた様子だったが……と思案する背中に弱々しい声が掛かる。


「どうして、何も言わなかったのですか?」


 夜が忍び寄り、眠るように翳っていく庭園。夜に燻る夕陽がイサークの榛色の瞳に赤黒い影を落とす。

 王妃イヴリーン似の細身の少年は、まるで魔物に対峙したかのように表情を強張らせ、腰のベルトに提げた稽古用の剣の柄を、指が白くなる程固く握りしめている。


「大したことじゃないって言ってたからな」


「簡単に背中を向けたりして……僕が刺客だったらどうするのですか!?」


 事を構える気は無いのだと、軽く返したのがお気に召さなかったらしい。イサークの剣幕にディーンは眼を瞠る。

 その発想は無かったが、そう言われれば確かに迂闊だったかもしれない。


「……そうか。それは、そうだな。次は気をつける」


 素直に非を認めたディーンに、イサークは続く言葉を失って、所在無さげに俯いた。

 重苦しい沈黙に、こういう時は歳上がリードするものだと自分に言い聞かせて、ディーンはわざとらしく咳払いする。


「さっきまで訓練場に居たんだ。だからそろそろ出てくると思う」


「……え? はぁ、そうですか」


 眉を顰め、まるっきり不審者を見る目で返されたディーンは言葉に詰まる。


「あー……何が言いたいかって言うとだな、剣の師匠は親父に選んでもらえって事だ! 王の推薦なら誰も文句は言えねぇだろう。俺が言いたいことはそれだけだ。じゃあな!」


 ディーンは居た堪れなさに、つい数分前に言われた事を失念して、イサークに背を向けた。そのまま足早に庭園を出て城へと向かう。


 ――見えてしまったのだ。

 イサークが左腕を庇うようにさすっていたので、自然と視線が彼の腕に引き寄せられた。袖口から覗くその腕に複数の青痣があるのを見てしまったら、兄として一言言わずにはいられなかった。


 第二騎士団の連中が慌てた様子だったのは、日常的に稽古と称して無茶な指導を行っていた事を隠蔽するためではないのか?


「ありがとうございます……兄上」


 庭園を渡る風が、消え入りそうな囁きをディーンへと運ぶ。

 もし王位継承争いなど無ければ、その声に応えることができただろうか? ふと浮かんだ疑問に立ち止まる余裕は無かった。

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