38
私は怒っていた。一刻も早くアルファルドと話をしなければならない!
やや乱暴に鳴らした呼び鈴に、すぐにガチャガチャと部屋の鍵が開けられる。まさか扉の前で私が呼ぶのを待っていたのだろうか? それはそれで怖いけど……。
ノックもせずに扉を開いた彼は、真っ直ぐに私の方に向かって来て満面の笑顔で両腕を広げる。そのまま感動の再会とばかりに抱き締めようとするので、私はその顔の前に手を出して押し留めた。
「待て!」
「えっ」
困惑顔のアルは行き場のなくなった腕を下ろして、そわそわしている。寂しげに下がった狼耳と尻尾の幻が見えるようで良心がチクチクする。
しかし、絆されてはいけない。私は怒っているんだから。
「おすわり」
ビシッとソファを指差すと、アルは素直にソファに腰掛けて、不安そうに私の顔を見上げる。
「……な、なんで怒ってるの? 怒ってる顔も可愛いけど」
「ほー、怒られてる自覚はあるんだな? ……それなら、あれを見て何か弁解はあるか?」
アルは私の目線の先を見て、私に視線を戻す。
「特に何も」
「そうだ……んんん? いやいやいや、どう見てもおかしいだろう!? なんで窓が全部塞がれているんだよ! 元に戻して!」
なんでと訊きはしたけれど、理由に心当たりがあり過ぎる。
窓の外にはびっしりと蔦が蔓延り太陽の光を遮っている。蔦の隙間から漏れる光で、辛うじて今が昼間らしいことが判るぐらいだ。
朝目を覚まして、メイドさんに頼んでおいた日めくりカレンダーの日にちが飛んでいないことに喜んだのも束の間。カーテンを開けた私は、あまりの惨状にしばらく固まってしまった。
特に酷いのはバルコニーに続くガラス戸だ。隙間無く絡んだ蔦がガラス戸の向こうに壁のように立ち塞がり、陽光を完全に締め出している。
試しに切れるかどうかフィリアスの短剣で突いてみたけど、全く刃が立たない。私を逃すまいとするその執念に寒気がする。
しかし、容疑者に反省の色は見えず。アルはソファの背もたれに寄り掛かると、上目遣いに私を睨む。
「君が夜中にこそこそ男と密会なんてするからだよ」
「言い方ぁ!」
「本当のことじゃないか。浮気者……僕は会いたくても会えなかったのに」
アルは唇を尖らせて顔を背ける。
ヒースと会ったことはバレているだろうとは思っていたけど、アルも知っていることを隠す気が無いらしい。
「そこまで知っているなら、分かっているでしょう? 何も無かったよ。ただ話をして、ハティに会わせてくれただけ。会っていた時間もほんの二十分ぐらいだよ」
ついでにハティに預けておいた短剣を回収したのは言わなかったけれど、きっとそれも知っているだろう。何もやましいことは無かったのに、なんだか言い訳を並べているような気分である。
私は不貞腐れた彼の両頬に手を添えて、こちらに向かせた。
「アルファルド。こっちを見て。君は本当に私を閉じ込めるつもりなの?」
潤んだエメラルドグリーンに金色が混じる綺麗な瞳が真っ直ぐに私を見つめる。不機嫌そうに皺が寄る眉間にキスをすると、アルは私の背中に腕を回して胸元に顔を埋める。
答えたくない。けれど、否定はできない。――それが、君の答えか。
私はアルの頭を抱えて、白金の髪を指で梳かしながら、慎重に言葉を選んだ。
「私は閉じ込められたくないよ。ここは居心地の良い所だけど、ずっとここで過ごすわけにはいかない。私たちは一緒に騎士になろうって約束したでしょう? もし嫌なら嫌と言って。無理強いはしないよ。私はひとりでも騎士を目指す」
傷付けてしまっただろうか?
それでも、いつまでもこの話題を避け続けるわけにはいかない。
アルは私の胸元に顔を伏せたまま、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。よほど私のにおいが恋しかったのか、まるで溺れる人が必死に命綱を掴むように、私の身体をきつく抱き締める。
「……僕は君が居ないとダメになるのに、君は僕が居なくても大丈夫そうだ。君に会えない間、僕は寂しくてどうにかなりそうだった。……君は? 寂しいと、会いたいと思ってくれた?」
私の鎖骨にぐりぐりと額を押し付けて苦しげに囁く声に、いつもの余裕は微塵も無い。深刻さと切実さを滲ませた訴えに、ぎゅっと胸が締め付けられた。
『会えるようになったら優しくしてあげてね。今頃きっと寂しがっているでしょうから』
伯爵夫人の声が脳裏を過る。
「……会いたかったよ。私だって君のことを考えてた」
眠っている間もずっと。
君によく似たあの人の姿を見て、君のことを思っていた。
夢の中の二人は大人の恋人同士で、現実の私たちの関係はまだそこまで進んではいない。
アルも同じ夢のルシオン側を見ていたのだとしたら、夢と現実とのギャップに苦しんでいたのかもしれない。
何も知らず、アスタヘルと同じ顔でアルを拒絶する私を、どんな思いで見ていたのだろうか。
恋人を見つめているとは思えない空虚な視線。あれは、ルシオンの物言わぬ非難の眼だったのかもしれない。
ルシオンは私の中からアスタヘルを呼び覚まそうとしている。だから、在りし日のアスタヘルの姿を見せて私を責めるのだ。
私はおこがましくも、アスタヘルに嫉妬しているの? アルの思いに応えられない私に、彼女に嫉妬する権利なんて無いのに。
「僕の
君が狂おしく呼ぶ
まだ、私を呼んでくれていると自惚れても良いのだろうか。
まだ、間に合うだろうか?
奪われそうになって初めて君への思いを自覚するなんて。
私は思い上がっていたのだ。どんなことがあっても、アルは私の側に居てくれる。私だけを見ていてくれる。私を求めてくれると。
「ごめんね。アル……」
私は君の望みを叶えられそうにない。君の首筋に唇を寄せても、あと一歩のところで吐き気と嫌悪感に襲われて噛み付くことができない。
もうそれしか君を現実に繋ぎとめる方法が思いつかないのに。
好きという思いがこんなにも苦しいだなんて知らなかった。君は、ずっとこんな思いを抱えながら私の側に居てくれたのか。
涙が伝う頬を、アルの指がそっと撫でる。ひび割れた傷を愛おしむように温かな手が頬を包む。はらはらと零れ落ちる涙が指先に滲めば、哀切に眇められた新緑の瞳は、自分の痛みよりも私の痛みに寄り添って嘆く。
秘めた思いに蓋をするように重なる唇。痛みを啄むように私を慰めるけれど、こんなにも悲しく惨めな口付けは無い。
ぱらぱらと音がして、窓を封印していた蔦が解けていく。部屋に柔らかな陽光が差し込んで、もつれた二人の影を照らす。
複雑に絡んだ思いは、まだ解けそうにない。
***
離れ難くて、今日は一緒に居たいと我儘を言ってしまった。嬉しそうに笑って許してくれるアルが、やっぱり好きだなぁなんて思ったりして。ダメで元々だったけれど、言ってみるものだな。
籠に軽食やお菓子を詰めて、アルと二人で森を歩いた。じんわり暖かい森の底は、真冬でもコートを一枚羽織ればちょうど良い。
湖の畔で昼食を食べて、川のせせらぎを子守唄にしばらくお昼寝して。
相変わらず会話は少なかったけれど、触れ合う肌から伝わるお互いの熱は雄弁で、胸の奥に直接温もりが届くようだった。
離れていた時間なんて無かったかのような、二人だけの甘い内緒話。幸福な優しい時間。
時折すれ違う人たちは、皆嬉しそうに微笑んでくれる。
行く先々で生き神のように拝まれて、籠いっぱいの果物や野菜や茸を渡されて、お城に帰る頃には大荷物になってしまった。
断りきれず困り果てる私を見て、アルは楽しそうに笑っていたけど、月女神の威光を笠に着てお
そんなつもりは無かったのだけど、こんなことになるとは。
持て余して、厨房に持って行ったら、料理長が大喜びで今夜の晩餐に出してくれると言う。
ずっと体調を崩していたから、今回の滞在において、今夜が私にとっては初めての晩餐になる。
料理長を始め、メイドさんたちが張り切っているのもそのせいかな?
「そういえば、晩餐はドレスを着るんだっけ?」
部屋への帰り道、繋いだ手を引けば、隣を歩く彼が優しく微笑む。
「うん。おめかししておいで」
人目も憚らず軽く唇を重ねて、アルは眩しそうに目を細める。笑顔のまま固まった私に、困ったように首を傾げた。
「足りない? もう一回する?」
「充分です!!」
そんな場面を目撃して、きゃーきゃー盛り上がるメイドさんたち。私は熱い頬を押さえながら慌てて部屋に逃げ込んだ。
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