30 閑話 Ⅲ 消息(ディーン視点)

 シュセイル王国首都、主要四島のひとつ、ガレア島。

 騎士団本部、宿舎、飛竜の訓練場、闘技場など騎士団関連の施設が集まる騎士の街である。

 アルファルドの兄、ヴェイグ・セシル卿が在籍する第五騎士団は島の東端に拠点を置く。島の中心部から離れた静かな場所に拠点を置くのは、彼らの鋭敏な五感を少しでも休めるためである。


 ディーンが飛竜を駆り、第五騎士団営舎近くの平原に降り立つと、早速目敏い獣人の騎士がやって来て出迎えた。ヴェイグ卿に会いに来た旨を伝えると、なんとも微妙な顔をされたが、その理由はすぐに知ることになる。


 応接室に通されてしばし待つと、黒の制服に身を包んだ青灰色の髪の大男がやって来た。


「おお、本当に殿下がいらっしゃるとは。このようなむさ苦しい所に突然どうなさったんです?」


 体躯に相応しい重いバリトンを響かせて、蒼獅子ユーリ・リヴォフ団長はどすんとディーンの正面に座る。


「突然押し掛けてすまない。ヴェイグ・セシル卿に会いに来たのだが……」


 何故団長が現れたのかなど考えるまでも無い。蒼獅子ユーリ卿は、第二王子ディーンを王太子にと望む有力者のひとりである。

 ディーンが来たと聞けば、何を置いても馳せ参じるだろう。そして、あわよくばディーンに貸しを作り、望む機会に回収するつもりなのかもしれない。


 団長の地位に上り詰めるためには戦闘力に加え、統率力、政治力も不可欠である。おそらく、目の前のこの男はその全てを有している。故に、借りを作るような隙を絶対に見せてはならない。

 ディーンは姿勢を正し、膝の上に置いた拳に力を込めた。頼れば後が怖いと身に染みて知っている。


「わざわざご足労いただいたのに申し訳ありませんが、ヴェイグは五日前から長期休暇を取っておりまして、戻るのは再来月の半ばと聞いております」


 手元の紙束を捲りながらユーリ卿は答えた。表紙には休暇申請書とある。何枚かページを捲るうちに、目的のページを発見したようでディーンに開いて見せた。

 ヴェイグ卿のサインが入った休暇申請書の日付は五日前。休暇期間は六十日間となっている。


「私でよろしければ、お話をおうかがいしましょうか?」


 気遣わしげな声音ではあったが、その眼は油断無くディーンの表情を窺っている。これがただの厚意ならいいのだが。とディーンは内心が冷える思いがした。


「ありがたい申し出だが、気持ちだけで結構。団長殿のお手を煩わせることではない。個人的な用事だからな」


「左様ですか。しかしながら、我々騎士団と懇意になることを避けている殿下が、自らここにいらっしゃったということは、それなりに重要な用事なのでは? ご命令とあれば緊急招集をかけてすぐに呼び戻しますが?」


 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながらユーリ卿は切り返す。

 ユーリ卿の言う通り、ディーンが命令すればヴェイグ卿を呼び戻すことも、ガイドをさせることも可能だろう。しかし、そうなれば『第二王子が秘密裏に騎士団を動かした』という事実がひとり歩きして、在らぬ疑惑を掛けられることになる。それでは、今まで騎士団と距離を置いてきた意味が無い。


 腹立たしいのは、そういったディーンの状況を知りながら、耳に優しいが罠だらけの提案をする目の前のこの男だ。

 母が元騎士だから騎士団勢力に取り込みやすいとでも思われているのだろうと分析して、ディーンは辟易する。


 他の選択肢が、代々要職に就いてきた大貴族が支援するマティス侯爵家のフィリアス。新興貴族や王妃派が支援するレーニエ子爵家のイサークであれば、たしかにディーンは最も御し易い候補者かもしれない。


 ユーリ卿の真意がどうあれ、ナメられっぱなしは性に合わない。ディーンは腹を括ることにした。


「要らん、と言ったんだ。聞こえなかったか?」


 ディーンが不機嫌を隠さずむしろ強調する方向で返せば、ユーリ卿は愉快そうに笑った。仔猫に威嚇されたぐらいでは、蒼獅子は怯みもしない。両の掌を見せて「失礼しました」と形だけ謝った。


「ヴェイグ卿の行き先は?」


 さっさと切り上げようとディーンが問うと、ユーリ卿は決まり悪そうに頭を掻いた。


「普段は休め! 有給消化しろ! と言ってもなかなか休まない仕事大好き野郎が、珍しく自分から休暇を申し出たもんで、深く追及しなかったんですよ。長期休暇ですし、実家にでも帰ったんじゃないですか?」


「……そうか。邪魔したな」


 苦労の末、手に入れた情報がこれっぽっちではフィリアスに合わせる顔がない。無駄足に落胆しながら席を立つと、応接室を出る直前、ユーリ卿が声を掛けた。


「殿下。我々はいつでも貴方の御下命をお待ちしております。どうぞ、お心に留め置きください」


「……わかった」


 奥の手は使わないに限るのだが。

 ディーンは小さく頷いて営舎を後にした。




 ***




 夕刻、再びマティス侯爵邸に集合した三人は、お互いの顔を見るなり戦果が芳しくないことを察した。


「盛り上がってきたな」


「きな臭くなってきたの間違いだろう?」


「もう! どうして二人ともちょっと楽しそうなんですか!」


 エルミーナの悲鳴に、ディーンとフィリアスは顔を見合わせる。なるほど、たしかに楽しんでいるかもしれないと納得した。


「ヴェイグ卿は五日前から長期休暇を取っているらしい。戻るのは再来月の半ばだとよ」


 ディーンがそう報告すれば、フィリアスは力無く笑った。どうやら、アルファルドの次兄デニスの方も同じような結果だったらしい。


「ここに来る途中セシル家のタウンハウスにも寄ってみたが不在だった。……これは、逃げられたと考えるべきか? 偶然にしてはタイミングが良過ぎる」


「逃げるということは、やましいことがあるということだ。……ふふ」


 父親似の悪役顔で不穏な笑いを溢すフィリアスに、エルミーナは引き攣るこめかみを揉みほぐしている。


「俺たちはアイツらの無事さえ確認できればいいんだけどな」


 壁にかけられたシュセイルの地図を眺めながらディーンは呟いた。できることなら騎士団を頼るのは最終手段にしたいが、これといって良い案は浮かばなかった。となれば、現地に行く方法も考えるべきだろうか。


「隠れているのなら誘き出してみるか?」


 フィリアスが見つめる窓の外には、落日に赤く染まる王の居城。天を突く矛の如き尖塔がエア島の街に深い影を落としていた。


「五日後に陛下主催の夜会がある。首都圏に居る全ての貴族に招待状が届く。ちょうど今年最後の社交シーズンだ。いくら人間嫌いなセシル一族とはいえ、伯爵が来ないのなら名代として長兄アルタイルが王宮に来るだろう」


「五日後ですか……」


 アンジェリカが手紙を出した日から既に七日経っている。更に五日待たねばならないと聞いて、エルミーナは表情を曇らせた。


「現地に行って情報を集めた方が早いんじゃないか? お前ら二人で夜会に出て、俺がモルヴァナに行こうか?」


 退屈な夜会に出るよりは楽しそうだというディーンの思惑はお見通しのようで、フィリアスの答えは否だった。


「オクシタニア出身者が領外へ出る際に、内の情報を決して漏らさないと領主と契約をするそうだ。破れば二度とオクシタニアには帰れないのに、善良な民を脅して喋らせることはできない。向こうに行っても有用な情報は得られないだろう。それに……俺たちを足止めしたいのなら、アルタイルは必ず王宮に来るさ」


 不安そうなエルミーナの手を握り、フィリアスは楽しげに口の端を上げる。


「この五日間は準備にあてよう。相手にこちらの動きを悟られないように、モルヴァナに行くフリをしてもいいかもしれない。最大にして最後のチャンスを逃さぬよう、慎重に行動しよう」


 決戦は五日後。

 狼を捕らえる網は徐々に狭まりつつあった。

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