27
案内された部屋は、とても懐かしい匂いがした。森の香りと樹の温もりが心地良くて、油断したら涙が出そうな郷愁を誘う。
よく覚えていないけれど、もしかしたら以前滞在した時と同じ部屋なのかもしれない。
優しい幸せな思い出と、つらく悲しい思い出がない混ぜになって、感情が追いつかない。
ベッドの上にちょこんと置かれた白い狼のぬいぐるみを見たら、どうしようもなく泣きたくなってしまった。
この子はあの日からずっとここで私を待っていてくれたのだろうか。
荷解きしてお風呂を借りた後、ぬいぐるみを抱いてベッドでごろごろしているうちに寝入ってしまったようで、気が付いたら外が明るかった。何も言わずに夕食をすっぽかしてしまったらしい。
気まずくて起きづらいものだから、昨夜から抱いたままの狼のぬいぐるみを撫でながらごろごろする。
ひとりで出歩くなと言われている私は、朝晩のハティの散歩も許してもらえず、ここに居る間はヒースと父さんが交代で面倒を見てくれることになった。仕方が無いけど、ちょっと寂しい。
私は反動をつけてベッドから起き上がると、軽く布団を直してぬいぐるみを寝かせた。顔を洗おうと洗面所入って、何気なく見た鏡の中の自分にぎょっとする。
腰より下、お尻が隠れるあたりまで伸びた真っ直ぐな黒髪。不安そうな目をした青白い顔の私が映る。
いつ伸びたのか、少なくとも昨日の昼食の時までは短かったと記憶している。それから移動が続き、夕方まで帽子を取らなかったから、その間ということになるけれど……。
昔聞いた髪が伸びる呪いの人形の怪談を思い出して、不気味なことこの上無い。後で鋏を借りて切ってもらおう。
私はまだ
歓迎は嬉しいけれど、迷惑だとはっきり言うべきでは? という問いに、父さんは悲し気に首を振った。
『神様はね、話が通じないんだ。こちらが道理を説いても理解してくれない。なんでも思い通りにする力を持った子供のようなものだ。だから、諦めて彼らの意向に合わせるか、力と契約で押さえつけるしかない。会話しようとすること自体が間違っている』
約十年前に、この森で月神の残滓に遭遇した父さんが言うのだから、そういうものなのだろう。……ため息が出る。
悩んでいるうちに身支度は終わった。
近くに誰か居ないかな? 廊下を覗くぐらいなら大丈夫だろうと、ドアノブに手をかけたがピクリとも動かない。
「えっ……嘘でしょ?」
私の記憶が正しければ、私は城主に招かれた客であり、監禁される覚えは無いんだけど……。
どこかに鍵があるんじゃないかとドレッサーやクローゼットを開けてみるけれど見つからない。探す途中で何か妙なものを見た気がして、もう一度クローゼットを開けて……すぐにバタンと閉めた。
なぁーにが三日間寝込んだ、だよ!
おそらく私が送り返したものと思われる見覚えのあるドレスと、見覚えの無いドレスがずらりと掛けられていて頭痛がした。
増えてるじゃないか!
「あいつ……やっぱり一番信用しちゃいけない奴だな」
私は自力で脱出することを諦めて、カフェテーブルの上に置かれた呼び鈴を鳴らした。
間もなくやって来たメイドさんに、出かけたい旨を伝えると、「お部屋でお待ちください」とすぐに逃げられてしまった。朝食を乗せたカートと共にアルが現れたのは、それから十分後のことだった。
私、やっぱり監禁されているのでは……?
「おはよう。よく眠れた? ……ってどうしてむくれているの?」
「なんで部屋に鍵かけてんだよぅ!」
私はカフェテーブルに頬杖をつき、声にありったけの不満をのせて問う。
「……まさか、ひとりで出かけるつもりだったの?」
朝だというのに、珍しく起きているアルは、ほんの少し前まで浮かべていた爽やかな笑顔を歪めて不快感を露わにした。
「廊下を覗くのもダメなの!?」
「覗いて誰も居なかったら、探しに行く気でしょう?」
「ぐっ……いじわる! 陰険! 監禁魔!」
アルは私の八つ当たりを多分に含んだ抗議の声を右から左に聞き流し、微笑しいものを愛でるかのように笑う。
「ははは。僕の恋人は可愛いなぁ。…………監禁もいいね」
なんか不穏な呟きが聞こえた気がするんだけど?
手際よくテーブルの上に朝食の皿を並べながら、監禁魔は余裕の笑みである。
「陰湿ストーカー!!」
「はいはい。そうですよ。ジャムは苺と林檎どちらにしますか囚われのお姫様?」
「両方!」
間髪入れずに答えると、彼はくすくす笑いながら私の目の前に分厚いトーストとジャムの入った瓶を用意してくれる。
「後で何処へなりとも連れて行ってあげるよ。機嫌をなおして。僕の
恋人だったりお姫様だったり
まずは何処に連れて行ってもらおうか、できるだけアルが困る所がいい。アルの部屋に突撃してみようかな? ベッドの下に何か見られたくないものを隠しているんじゃない?
アルの涼しげな顔が慌てふためくさまを想像しながら、気分良く食べていると、不意にアルが私の頬に手を伸ばした。
口の端についた真っ赤なジャムを指で掬い取り、躊躇無くぺろりと舐める。濡れた唇が弧を描き妖艶に笑う光景は、ぞっとする程綺麗で、目のやり場に困る。
父さん、私は今、朝っぱらから心臓に悪い色気を浴びています。
悪巧みを見透かされた気がして、私は大人しくモソモソと食事を口に運んだ。
私が食べてる姿なんて見ても、おもしろくないだろうに。恋人だったり森の王様だったり
ジャムの甘さも相まって胸焼けしそうだ。
「ああ、本当に閉じ込めてしまおうかなぁ」
「んぐっ!? ……な、何言って……!?」
しみじみと発せられた犯罪予告に、私は激しくむせて、慌てて紅茶で流し込んだ。
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