20
「私には心に決めた人が居るの! もう口を出さないで!」
「何処の馬の骨とも分からない男に、貴女をお嫁に出せるわけないでしょう!?」
「彼はお母様が心配するような人じゃないわよ!!」
「僕もそう思いますよ。――ああ失礼、話が聞こえてしまったものですから、つい」
一向に終わる気配の無い母娘喧嘩に、見かねたヒースが口を挟んだ。思わぬ闖入者に男爵夫人は彼を睨み、そして言葉を失った。
ヒースは人懐っこい笑みを浮かべて、惜しげも無く魅力を振り撒く。自分の美貌を正しく理解しているからこそできる芸当だ。
「アルファルドの
ヒースはそう言って、アンに手首を示して目配せする。即座に意図を理解したアンは、コートの袖を捲って男爵夫人の目の前に掲げた。
「私が危険な目に遭わないようにって、誕生日に魔石のブレスレットをくれたのよ。ちょっと口が悪くて見た目は厳ついけど、強くて優しくて素敵な人なんだから。何度もそう言っているのに……。お父様もお母様も私の話をちっとも聞いてくれないんだもの」
直径三センチはありそうな大きなトパーズが煌めくブレスレットに、今度こそ男爵夫人は沈黙した。
普通の宝石としても高価なのに、魔石化しているともなれば、その価値は倍以上に跳ね上がる。何処の馬の骨とも分からない男が気軽に贈れるものではないのは明らかだ。
しかも、世にも珍しい雷の魔石だと知ったら、お母さん卒倒しちゃうんじゃないかな?
そこまで考えて、ふと思う。そんなすごいものをポンと恋人に送りつけるなんて、ライルって実はかなりの……うん、決めつけはよくない。やめておこう。
「そういうわけですので、後はご家族でゆっくり話し合ってください」
有無を言わせない笑顔でヒースが促すと、男爵夫人はきまり悪そうに目を泳がせた。
「お騒がせしましたー! みんな元気でね! 新学期に会いましょう!」
アンは、そそくさとまだ納得のいっていない様子の男爵夫人を馬車に押し込むと、素早く自分の荷物を放り込む。見守るしかない私たちを振り返り、両手を合わせて『ごめんね!』と声に出さずに謝ってから馬車に乗り込んだ。
「いやぁ……強烈だったね」
嵐のように去って行ったオーヴェル家の馬車を見送りながら、ヒースが疲労困憊といった様子で呟いた。
「途中から意識が朦朧としてた……」
顔を覆ってフラつくアルは、珍しく弱音を溢す。獣人の中でも特に鼻が利くアルにとっては苦行だっただろう。丸まった背中をさすってあげると、ひしとしがみつくように抱き締められた。
ものすごい勢いでにおいを嗅がれているけど、今はそっとしておいてあげよう。
「それにしても、ヒースが居てくれて助かったよ。ありがとう! ……でも、大丈夫なの? 僕の名に誓ってなんて言っちゃって」
「どういたしまして。ライルのことなら心配いらないよ。だって、君も見たでしょ? アンに何かあったら相手が王族だろうが、ヒュドラだろうがブッ飛ばす男だし。護身用のブレスレットって、あれはどう考えても男除けでしょ。それに、ヴァルガス辺境伯がセシル伯爵と同等の名家なのは事実だし」
見慣れたのか、私の背中の大きなくっつき虫には触れず、ヒースは涼しい顔で言ってのける。
思い返してみれば、たしかにライルの行動はアンを守ることに一貫している。なるほど……男除けね。
「あの様子では、セシル家にこだわってアンの話をまともに聞いてなさそうだったし、今回の帰省で話し合いができればいいけど、あとはアンの交渉次第だよね」
「私はたまに、君の口の上手さが心配になるよ……」
「ははっ! 伊達に修羅場は潜ってないさ」
「それ自慢するところじゃないと思う」
何故か得意げなヒースにチクリと刺したところで、川辺からのんびり歩いてきた父さんが合流した。
「な、なんだいこのにおいは!? 誰か香水瓶でも割ったのかい?」
「あー……ちょっと色々あってね……」
私の背中にくっついたままのアルを指して言うと、父さんは顔を引き攣らせながらも、何やら事情があるらしいと察してくれたようだった。
その後、ようやくセシル家の馬車が到着して、予定より一時間半遅れてモルヴァナの街を出発することになった。
***
切り立った崖の上から谷底に垂れる氷瀑は優美な曲線を描き、その青白い輝きは水の清らかさを物語っている。氷河が削り取った深い渓谷を横目に、私たちを乗せた馬車は断崖の上をのろのろと進んでいた。
やがて道は崖を離れ、峠へと続く上り坂となった。わた飴のようなモコモコとした樹氷の林を抜けて、馬車はひたすら登る。
時間すら凍ってしまったかのような静謐な絶景の中、動くものは私たちが乗る馬車だけだった。
車窓を流れる景色に、ほっとついた息は白い。馬車の中とはいえ、外は夜が迫る極寒の世界。ブーツを履いて、マフラーを巻き、毛糸の帽子を被った上からコートのフードを被って防寒しても、足元から寒さが這い上がって来る。
「あと十分ぐらいで森に入るよ。森の中は寒さが和らぐと思うから、もう少しだけ頑張ってね」
馬車に乗る前から繋いだままの手を握って、アルが気遣わしげに言う。大丈夫だよと頷くと、優しく目を細めた。
「先生ー! アルファルド君がまたイチャついてまーす」
「修学旅行には不純異性交遊がつきものだからねぇ」
なんとなく気が合いそうだなと思っていたけど、いつの間にやらすっかり意気投合しているヒースと父さん。不幸にもアルをからかうという目的が一致してしまったらしい。
「ははは……乗り遅れて置いて行かれるのも、よくある話ですよね? 樹氷が増えても僕は全く困らないし」
「怖っ……」
「やだこの子、目が本気だ」
隣で繰り広げられる豪速球の嫌味の応酬から目を背けて外を見れば、道は穏やかな下り坂になっていた。峠を越えたあたりだろうか? ならば、私たちは今、地図に無い場所を旅しているのか。
「森に降りる前に、高いところから眺めてみてもいいかな?」
期待を込めて今代の森の神様にお伺いを立ててみれば、「もちろん」と二つ返事で了承してくれた。アルが御者席の窓を叩くと、馬車は速度を落として停止する。
「足元に気をつけて」
「……うん。ありがとう」
アルが先に降りて、ごく自然に手を差し伸べてくれたので、私もなるべく平静を装って手を重ねた。凍える程寒いのに、顔から湯気が出そうだ。
「わぁ……ガイドブックの通り、本当に森だね」
雪山に囲まれた広大な盆地を、びっしりと隙間無く雪化粧をした森が覆っていた。まだ夕日が西の空にあるのに、森の上空には緑のオーロラが揺れている。おそらく、あれが魔力光なのだろう。
一見、ただの綺麗なオーロラに見えるが、高濃度の魔力の帯が幾重にも張り巡らされているのが分かる。絶景には違いないが、今までの場所とは明らかに空気が違うのが見てとれた。
「ねぇ、セラ。約束して」
私を背中から抱きしめて、アルは囁く。お互い厚手のコートを着ているせいか、いつもより彼が遠い気がした。
「森に入ったら、部屋の中以外では絶対にひとりにならないで。ハティはまだ戦闘訓練をしていないから当てにならない。人数に含めてはいけないよ」
「分かった。……けど、戦闘になるようなことがあるの?」
使い魔だから、いずれはそういう訓練もしなくてはいけないけど、私の頭にはハティを戦わせるという発想は無かったから少し驚いてしまった。
恐る恐る彼の顔を見上げると、質問には答えずに私のこめかみにぐりぐりと頬擦りする。
「君がずっと僕のそばに居て、手を繋いでいてくれれば大丈夫だよ」
「それは、君がそうしたいだけじゃないの?」
「ふふ、そうだね。否定はしないけど。――約束、覚えておいてね」
誤魔化されたなと思ったけれど、その時はそれ以上追求しようとは思わなかった。
とにかく寒かったし、私は浮かれていたのかもしれないし、素直に好意を伝えてくれるアルファルドが可愛いなんて呑気なことを考えていたのかもしれない。
「アル? どうしたの?」
彼の手を借りて馬車に乗り込んだ時、アルは山の向こうに沈む夕日を見つめていた。
残光が稜線に呑み込まれて、森に夜の帳が下りる。耳が痛い程の森閑に、自分の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
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